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くれげの世界  作者: ぐろ
最終章“ 神域編”
150/205

第148話 下衆田下僕

中学三年の頃。


下衆田下僕(げすだしもべ)は、足が速かった。


部活をしているわけでもない。

特別なトレーニングもしていない。


だが、速かった。


クラスで人気者でもない下衆田にとって、

それは――


ほんの少しの優越感だった。



ある日。


運動会のリレー代表決め。


立候補は五人。

選ばれるのは四人。


当然、自分が入る。


そう思っていた。


そのとき。


「じゃあ投票で決めようぜ」


誰かが言った。


下衆田は理解できなかった。


投票?


なんのために?


リレーだろ?


速いやつが走れば、

勝つ可能性が上がるげす。


だが。


笑い声。

軽い空気。

冗談みたいな空気のまま――


投票は行われた。



結果。


四人の中に、

下衆田の名前はなかった。


「は?」


思わず声が漏れる。


投票用紙を奪い取る。


一枚。

二枚。

三枚。


……


下衆田の名前は――


自分で書いた一枚だけだった。


教室の空気が冷える。


誰かが笑う。


失笑。


「だってさぁ」

「雰囲気悪くなるし」


「チーム戦だし」


「速けりゃいいってもんじゃないじゃん」


その言葉が、

胸に刺さる。



耐えられなかった。



数日後。


リレーメンバーの一人が、

階段から落ちて骨折した。


小さな人影が目撃されたが、

誰かは分からなかった。



「代わりに走ってくれ」


声をかけられた。


下衆田は、断った。


「負ければいいでげす」


誰にも聞こえない声で言った。


「最下位になれでげす」


「自分たちで決めたんだから、

 自業自得でげす」


運動会の歓声の中で、

下衆田はただ立っていた。


拍手も、

声援も、

すべてが遠かった。


リレーが最下位で、

悔しがるクラスメイトの中、

下衆田はこの日初めて笑った。




高校卒業後。


下衆田は、ゲームセンターで一人の男を見た。


静かな観衆。


誰も声を出さない。


ただ見ている。


そのプレイは――


上手い、ではなかった。


違った。


次元が。


空気が。


支配されていた。


「……一条零」


プロクレーンゲーマー二期生。


有名な存在だった。



下衆田は勇気を振り絞った。


「あの……」


声が震える。


自分でも驚くほど小さな声。


悩みを打ち明けた。


評価されなかったこと。

認められなかったこと。

理不尽だったこと。


すべて。



零は一言だけ言った。


「くだらん」


下衆田は固まった。


だが。


続けて言った。


「強いものが正当に評価される世界など存在しない」


「綺麗事だ」


「ならどうするか」


零は盤面を見たまま言った。


「次元の違いを見せつければいい」


「比較対象になり得ないほどの差を作れ」


「理解されようとするな」


「圧倒しろ」


静かな声だった。


だが。


下衆田の胸の奥で、

何かが弾けた。



救われた気がした。



「おれはプロで証明する」


零は言った。


下衆田の中で、

世界の構造が組み替わった。


評価されないのではない。


足りなかったのだ。


差が。


圧倒的な差が。



下衆田は誓った。


この人についていく。



卑怯な手を使った。


不正もした。


妨害もした。


勝つために。


評価される側になるために。


プロになった。



プロになってからも、

零のそばにいた。


「おい、下衆」


「はいでげす」


「缶コーヒー買ってこい」


「ただいまでげす」


乱暴な扱い。


雑な命令。


名前ではなく呼び名。


それでも。


下衆田は離れなかった。



理解されたかった。


認められたかった。


否定されない世界にいたかった。


零のそばは、

それが許される唯一の場所だった。



現在。


売田が盤面を動かす。


不利な条件の中で。


確実に。


前に進めている。



下衆田の指が震える。


(なぜでげす)


(最適化は完璧)


(不利条件は揃えた)


(それなのに)



売田は言った。


「現場でやるもんだ」



その言葉が、


胸の奥の古い記憶を


わずかに揺らした。



教室の笑い声。


投票用紙。


自分の名前が一枚だけ。



下衆田は首を振る。


(違うでげす)


(弱さは罪でげす)


(強さこそ正義でげす)



それなのに。


なぜか。


胸の奥がざわついていた。

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