第136話 気が変わらねぇうちに
盤面は、静かだった。
四試合目までの熱狂が嘘のように、
第五試合の会場だけ、空気が張りつめている。
現状——
ジョー、二手。
売田、二手。
どちらも、形は悪くない。
だが、決定打にはまだ遠い。
売田の箱は、
数手先に“獲得”が見えていた。
経験が告げている。
——このまま行けば、勝てる。
一方、ジョー。
彼は、わざとリーチを作らなかった。
一手でリーチにできる。
だが、それをすれば——
初期位置戻し。
それが来ることを、
ジョーは理解していた。
だから、
あえて不利な位置へ。
観客のざわめき。
「なんで、そこで止める?」
「遠回りしすぎだろ……」
売田は、その一手を見ていた。
——見えてるな。
ジョーが、
その位置から決める自信を持っていることも。
売田は、
無言でカードに手を伸ばす。
初期位置戻し。
それを使えば、
安全に流れを断てる。
その瞬間だった。
ジョーが、
何も言わずに頭を下げた。
深く。
静かに。
会場が凍りつく。
「……え?」
「今、なに?」
理由は、説明されない。
通訳も、入らない。
ただ——
頭を下げた。
その姿は、
売田の目に、はっきりと焼き付いた。
——あぁ。
売田は、息を吐く。
「……ふぅ」
カードから、手を離す。
そして、低く言った。
「おい、ガキ」
ジョーが、びくっと肩を揺らす。
「気が変わらねぇうちに、
さっさと決めろ」
通訳はいらなかった。
言葉の意味は、
その場にいる全員が、
そしてジョー自身が、理解していた。
ジョーは、
ゆっくりとボタンを握る。
——集中。
境地。
視界が、落ちる。
音が、遠ざかる。
物体。
空間。
時間。
すべてが、
スローモーションになる。
不利な位置。
無理な角度。
普通なら、諦める盤面。
だが、
ジョーには“見えていた”。
アームが降りる。
触れる。
押す。
——空中。
箱が、
一瞬だけ浮いたように見えた。
空中ちゃぶ台。
回転。
滑走。
そして——
ゴトン。
会場が、爆発する。
「入った……?」
「今の位置から!?」
世界への狼煙。
革命の灯。
ジョーは、
何も言わない。
ただ、
息を吐いた。
売田は、
黙って動く。
四手目。
無駄のない操作。
経験が導く、最短の一手。
箱は、
抵抗なく、落ちた。
ゴトン。
——同時。
第五試合。
四手、四手。
決着は——
ドロー。
静寂。
そして、
ゆっくりと拍手が広がっていく。
勝ちも、
負けも、
まだ、語られない。
ただ、
この試合が、
“何かを変えた”ことだけが、
確かだった。




