第135話 ジョー
ジョーの記憶は、
いつも音から始まる。
銃声。
割れるガラス。
誰かの叫び声。
そして——
妹の、泣き声。
「……クレア」
その名前を呼ぶたび、
ジョーの世界は少しだけ、現実に引き戻された。
⸻
ジョーが育った国では、
内戦は日常だった。
爆発は遠くで鳴り、
銃を持った大人たちは、
理由もなく街を歩いていた。
それでも、
ジョーの家は、幸せだった。
父。
母。
妹のクレア。
貧しかったが、
食卓には笑顔があった。
父は、よく言っていた。
「クレアはな、
お前が守るんだぞ」
ジョーは胸を張って答えた。
「うん。まかせて」
本気だった。
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その日は、
いつもより静かだった。
静かすぎて、
それが不安だった。
ドアが、乱暴に開いた。
見知らぬ男たち。
銃。
怒鳴り声。
「金を出せ。食料を出せ」
父は、
迷わず前に出た。
「……全部出す。
だから、家族には手を出さないでくれ」
父は、頭を下げた。
ジョーは、
その背中を、今でも覚えている。
誇らしくて、
情けなくて、
でも——
かっこよかった。
床に置かれた食料。
なけなしの金。
男たちは、それを見て言った。
「……少ねぇな」
次の瞬間だった。
銃声。
父が倒れた。
母が、
悲鳴をあげて駆け寄り、
そして——
もう一発。
ジョーは、動けなかった。
クレアの手を、
強く握っていた。
離したら、
この子まで連れていかれる気がした。
だから、
叫ばなかった。
泣かなかった。
ただ、
見ていた。
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世界は、
その日、壊れた。
理由はなかった。
約束も、意味を持たなかった。
——理不尽。
それだけが、残った。
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それからのジョーは、
父親代わりだった。
クレアを食べさせる。
寝かせる。
守る。
盗みをした。
奪った。
でも、ジョーの中では、
それは「盗み」じゃなかった。
——取り戻してる。
最初に奪ったのは、
この世界だ。
ジョーは、
そうやって自分を保っていた。
やがて、
身寄りのない子どもたちが集まった。
ジョーは、
彼らの前に立った。
「俺たちは、奪われた。
だから、取り返す。
それだけだ」
誰も反論しなかった。
クレアは、
そんなジョーを見て、
それでも笑った。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
ジョーは、
何度も言った。
「大丈夫だ。
クレアは、俺が守る」
⸻
その日が来た。
クレアの誕生日。
「今日はね、
ケーキが食べたい」
ジョーは、
盗まないと決めた。
ちゃんと、
金を払って買う。
袋に入ったケーキを抱えて、
ジョーは帰った。
帰り道、
何度もクレアの笑顔を想像した。
——ただいま。
アジトは、
静かだった。
あまりにも、静かだった。
「……クレア?」
返事はなかった。
中に入って、
すべてを理解した。
誰も、
生きていなかった。
名前を呼んだ。
何度も。
何度も。
袋が、
手から滑り落ちた。
ボトン。
その音が、
世界の終わりだった。
⸻
時間は、
そこで止まった。
ジョーは、
生きていた。
でも、
心は、動いていなかった。
一年後、
会長に拾われた。
何を言われたか、
ほとんど覚えていない。
ただ、条件だけは覚えている。
「クレアと、
仲間たちの墓を建ててほしい」
会長は、
静かに頷いた。
「約束しよう」
⸻
日本で、
初めて触れた。
クレーンゲーム。
箱が落ちた。
ゴトン。
ジョーは、
息を止めた。
落ちたのに、
終わらない。
戻されても、
もう一度、できる。
——あぁ。
これは、
あの世界とは違う。




