第130話 門
再開の合図。
龍宮寺 玉は、
盤面を一目見て理解していた。
——詰んでいる。
逃げ道はない。
選択肢は削り切った。
この局面に至るまでの手順も、
読みも、すべて正しい。
完璧だ。
玉は、
常にそうやって勝ってきた。
だから、
雪平杏の様子が
どこかおかしいことに気づいたのは、
ごく自然な違和感だった。
焦っていない。
追い詰められているはずなのに、
視線が盤面だけに落ちていない。
——外を見ている。
その瞬間、
会場の奥から声が届いた。
「杏」
たった一言。
大きくも、派手でもない。
続けて、
別の声。
「いけるよ」
「まだだよ」
龍宮寺の眉が、
わずかに動く。
——ノイズ。
切り捨てるべき情報。
勝負には不要な感情。
そう判断したはずだった。
だが。
雪平の呼吸が、
静かに、深くなった。
肩から、
力が抜ける。
(……そうか)
雪平は、
そのとき初めて理解した。
自分はずっと、
与える側だと思っていた。
支える人間。
導く人間。
みんなを前に進ませる存在。
だから、
強くなければならなかった。
弱さを見せてはいけなかった。
でも。
——違った。
境地の奥にあったのは、
壁じゃない。
あまりにも大きく、
あまりにも動かず、
ずっと——壁だと思っていた。
越えられないもの。
才能の限界。
自分一人では辿り着けない場所。
だから、
見ないふりをしていた。
けれど。
近づいて、
触れて、
ようやく分かった。
それは、
越えられない壁なんかじゃない。
最初から、
越えるために造られていた。
境地の奥にあったのは、
個の完成ではなかった。
——“ 門”だ。
雪平は、
盤面を見る。
龍宮寺が積み上げた詰み筋。
完璧な終局。
否定しない。
崩さない。
だからこそ。
そこに重ねる。
龍宮寺が
「最善」だと信じた形を、
ほんの一手だけ、先へ進める。
受けるのではない。
避けるのでもない。
——受け入れて、越える。
雪平のアームが降りる。
掴む。
持ち上げる。
一瞬、
止まったように見えた箱が——
重力に導かれるように、
落ちた。
ゴトン。
会場が、
大きく揺れた。
龍宮寺 玉は、
立ち尽くしていた。
負けた。
読みは間違っていない。
技術も、完成していた。
それでも。
盤の外に、
自分の将棋には存在しなかったものがあった。
声。
視線。
信頼。
龍宮寺は、
静かに目を伏せる。
——玉、か。
盤の上には、
もう何も残っていない。
歩も、
金も、
銀も。
独りでは、
王にはなれない。
その事実だけが、
静かにそこに残っていた。
第四試合、決着




