第126話 距離
晴谷蓮二が、
盤面から手を離したあとも。
会場は、
すぐには騒がなかった。
勝敗は、
もう誰の目にも明らかだったのに。
「……終わった?」
「今の、
僅差だったよな……?」
そんな声が、
控えめに漂う。
だが、
すきだけは動かなかった。
視線は、
まだ台の上。
もう触れられることのない箱。
(……遠かった)
胸の奥に残るのは、
悔しさよりも——
理解してしまった感覚。
段階が違う。
努力でも、
気合いでも、
埋まらない差。
晴谷はただ、
楽しそうに盤面を見ていた。
——強い相手とやれた余韻。
それが、
何より残酷だった。
すきは、
ゆっくりと息を吐く。
(……次は)
そのとき。
場内アナウンスが、
静かに空気を切った。
「第四試合を、開始します」
その一言で、
会場の温度が変わる。
熱が、
引いていく。
「受験生チーム――
雪平 杏」
雪平は、
静かに前へ出た。
表情は穏やか。
だが、
その背中には迷いがない。
すきは、
その姿を見て思う。
(……この人は)
(もう、
負けを抱えたあとに立ってる)
会長選抜側。
ゆっくりと立ち上がる男。
「龍宮寺 玉」
その名が呼ばれた瞬間、
周囲のざわめきが
自然と消えた。
派手な登場はない。
だが、
存在感だけが重い。
龍宮寺は、
クレーンゲーム台の前で立ち止まると、
盤を“読む”ように
全体を見渡した。
(……将棋だ)
すきの背中に、
ひやりとしたものが走る。
速さじゃない。
技でもない。
詰みまでの道筋を、
もう描いている。
雪平と龍宮寺。
二人は、
一言も交わさない。
視線すら、
合わせない。
だが、
もう始まっていた。
売田が、
低く呟く。
「……嫌な相手だ」
「一手先どころか、
終局から逆算するタイプだ」
バズ子が、
珍しく軽口を封じている。
「映えない。
でも、一番怖いですね」
雪平は、
すきのほうを一瞬だけ見る。
何も言わない。
ただ、
小さく頷いた。
——大丈夫。
その仕草に、
すきは胸の奥が
少しだけ軽くなるのを感じた。
アナウンスが、
最後の準備を告げる。
「第四試合、
準備を整えてください」
雪平が、
ボタンに手を置く。
龍宮寺も、
同時に。
二つの盤面。
二つの思考。
第三試合の余韻は、
まだ消えていない。
だが、
ここからは別の戦い。
——盤上の王と、
境地の女。
開始の合図は、
まだ鳴らない。




