第125話 紙一重
決着は、
ほんの一瞬だった。
箱は、
獲得口の縁で止まり、
わずかに傾く。
次の手で、
晴谷の台が鳴った。
ゴトンっ。
それだけ。
「……決着!」
会場がざわつく。
「え?」
「今の?」
「僅差じゃない?」
誰もが、
そう思った。
盤面だけ見れば、
紙一重。
すきの台も、
あと一手だった。
——少し触れれば、落ちた。
でも。
すきは、
レバーから手を離したまま、
動けなかった。
(……ちがう)
胸の奥で、
はっきりと分かっていた。
境地の恩恵――未来選択。
すきが勝てる未来は、確かに存在した。
だが。
一瞬。
まるでオセロの角と角を同時に奪われたように、
勝ち筋は消えていた。
全然、届いてない。
僅差なんかじゃない。
自分は、
ずっと追いかけていた。
速さ。
精度。
判断。
全部、
晴谷の背中を見て。
でも、
その背中は——
一度も、近づいていなかった。
(……大きい)
(差が)
周りの音が、
遠ざかる。
歓声も、
ため息も、
全部、膜の向こう。
すきは、
自分の手を見る。
震えていない。
でも、
熱が残っている。
(負けた)
悔しい。
でも。
(……納得してる)
それが、
一番きつかった。
晴谷が、
こちらを見る。
いつもの穏やかな顔。
勝ち誇りもしない。
慰めもしない。
ただ、
一人のプレイヤーとして。
「……いい試合だった」
その言葉に、
すきは、
小さく首を振った。
「……違います」
声が、
思ったより静かだった。
「私、
全然、足りてませんでした」
晴谷は、
少しだけ目を細める。
「そう思えたなら」
一拍。
「今日は、
負けじゃない」
その意味が、
すきには分かった。
——勝ち負けじゃない。
——段階が、違った。
晴谷は、
すきの横を通り過ぎる。
すれ違いざま、
ぽつりと言った。
「次は、
もっと面白くなる」
すきは、
その背中を見送った。
悔しさの奥で、
胸の奥が静かに震えていた。
——ああ。
まだ、知らない世界がある。
(……追いつく)
(いつか)
初めての黒星。
それは折れる音じゃなかった。




