表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
くれげの世界  作者: ぐろ
第三章 プロライセンス編
118/205

第116話 使わねぇ

五手目。


九條の台は、

誰が見ても――リーチだった。


一手。

あと一手で、獲得口に届く形。


「……おい」


低い声が飛ぶ。


売田転だった。


「九條」

「今だ」


視線は台から外さないまま、

売田は言う。


「初期位置戻し、使え」


周囲がざわつく。


正しい。

合理的だ。

ここで使えば、この試合は取れる。


売田は続ける。


「権利は使うためにある」

「これは試験だ。勝て」


九條は、ボタンから手を離したまま、動かない。


視線は、箱。


(……分かってる)


頭では。


(使えば勝てる)


だが、

胸の奥に浮かんだのは、

返信の来ないスマホの画面だった。


「元気?」


既読もつかない文字。


この勝ち方で、

胸を張って会いに行けるのか?


九條は、ゆっくり首を横に振った。


「……使わねぇ」


売田が目を見開く。


「は?」


「それで勝っても、意味ねぇ」


九條は、初めて売田を見る。


「誤魔化した勝ち方だけは、

 したくねぇんだ」


売田のこめかみに血管が浮いた。


「……バカだな」


そう言いながら、

それ以上は言わなかった。


五手目。


九條は、

自分の手で、最後まで攻めた。


荒い。

だが、迷いはない。


箱は――

わずかに、足りなかった。


会場が息を呑む。


その瞬間を、

梅田芭蕉は、確かに見ていた。


(……使わなかった)


理解する。


勝率でも、効率でもない。


あれは、

選択だ。


五手目。


芭蕉は、

自分の台の前に立つ。


ボタンに手を置いたまま、

ほんの一瞬だけ、目を伏せた。


——息を、整える。


深く吸って、

静かに吐く。


まるで、

茶を点てる前の所作のように。


雑念が、すっと消えていく。


勝ちたい。

負けたくない。


そんな言葉すら、

今はもう無い。


あるのは、

この一手だけ。


芭蕉は、アームを動かした。


速くもなく、

遅くもない。


アームが描く軌道は、

茶筅を回す円のように、

無駄がなく、滑らかだった。


触れる。

押す。

乱さない。


箱は、

抵抗することなく、

その動きに身を委ねる。


——仕上げ。


最後に、

ほんのわずかだけ、力を抜いた。


ゴトン。


澄んだ獲得音が、

湯気が立ち上るように、

会場に広がった。


「第一試合、勝者――

 梅田 芭蕉!」


拍手。


だが、

芭蕉はすぐに動かなかった。


点て終えた茶を前に、

一礼するように、

静かに手を離す。


……だが。


胸の奥に残ったのは、

いつもの“整った感覚”ではなかった。


(……苦い)


理由は分からない。


ただ、

今までで一番、

味のある一服だった。


一方、九條は。


負けた台の前で、

肩をすくめる。


悔しい。

それでも。


胸は、張れていた。


(……まだだ)


売田が隣に立つ。


「……ほんと、バカだなお前」


そう言ってから、

小さく笑う。


「でもまぁ」

「嫌いじゃねぇ」


九條は何も言わず、

前を見た。


勝った者は、答えを失い。

負けた者は、次へ進む理由を得た。


第一試合は、

こうして幕を下ろした。


——だが。


物語は、

ここからさらに、深くなる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ