舌先の棘
右の奥歯のすぐ横、あやまって噛んでしまった頬の内側の肉が、熱を持って腫れている。舌先で触れると、そこだけ他人の肉体のようにぶよぶよとしていて、生温かい。
「聞いてる?」
正面に座る男の声が、水の底から響いてくるように鈍く聞こえた。私は慌てて頷こうとして、また同じ場所を噛む。じゅわり、と鉄の味が広がった。
「聞いてるよ」
嘘だ。意識は全て、口の中の小さな破綻に向いている。
彼が並べる言葉は、どれも正しくて、綺麗で、だからこそ私の粘膜を逆撫でする。彼は知らないのだ。私が今、口の中に小さな血溜まりを隠し持っていることを。彼に愛を囁くはずのこの場所が、今はただの傷ついた空洞でしかないことを。
熱いスープを口に運ぶたび、鋭い痛みが走る。その痛みに安堵している自分がいた。この傷が痛むうちは、喋らなくていい。この傷が癒えないうちは、彼に本当のことなんて言わなくていい。
「君って時々、何を考えてるかわからない顔をするね」
彼は困ったように眉を下げる。私は口内の傷を舌で強く押し潰しながら、曖昧に微笑んだ。鮮血の味が喉の奥へと落ちていく。飲み込んだのは血なのか、それとも腐りかけた別れの言葉なのか、私自身にも判別がつかなかった。




