ガラス玉の街とパン屋の娘
石畳の通りにある小さなパン屋「くるみの実」。
両親を事故で亡くし、若くして店を継いだ娘ミーナは、
王都に出る夢を胸にしまいながら下町でパンを焼いている。
ある朝、店先で拾った小さな青いガラス玉――それはただの飾りではなく、とある貴族の“蒼晶石”という魔導具だった。
盗みの疑いをかけられたミーナが知る、ほんの少しの魔法と、人の信頼の物語。
朝の鐘が、屋根の上の小鳥を驚かせる。
わたしはパン窯の前で、汗をぬぐった。
外はまだ朝もや。焼き上がる香ばしい匂いが石畳を伝って広がる。
「おーい、ミーナちゃん! 今日も焼きたてある?」
ドアをがらりと開けて入ってきたのは、ここ半年程顔なじみの常連になったトマ。
ぼさぼさの茶髪に大きなあくびをしながら目はキラキラとパンを見ている。
「トマさん、まだ熱いから気をつけてくださいね」 「わかってるって、今日は慎重に――あっっつ!」
「だから言いましたよ!」
パン釜から取り出したばかりのパンにチラリと目を向けると、トマは待ってましたの如く飛び付きその熱さに驚いてパンをお手玉のようにしている。
今日も安定の火傷である。
下町の人たちは彼のことを“うっかり兵士トマ”と呼んでいる。
正確には「城壁の見張りをしているらしい」と噂されてるけど、仕事の話はあまりしない人だ。
「……ミーナちゃんは王都、行かないの?」
トマが、焼き上がった丸パンを頬張りながら言った。
「夢だって言ってたろ、昔。王都でパン職人になりたいって」
「うん、でも……店、放っては行けないから」
「そっか。でも、ここのパンが一番うまいよ」
その何気ない言葉に、少しだけ胸が温かくなった。
トマは代金を多めに置いて、「また来るな」と出ていった。
いつもの日常、そんな毎日を過ごしていたある日、店の前を掃いていると石畳の隙間に何かが光っていた。
拾い上げてみると、それはビー玉より少し大きい透明な玉。
青く揺れる光が中でゆらめいている。
「……きれい」
魔力の気配が少しする。
でも、魔導具にしては力が弱いし、何かの飾りかもしれない。
とりあえず布に包んで、カウンターの隅に置いた。
――その小さなガラス玉が、あんな騒ぎを呼ぶなんて思いもしなかった
三日後。市場が妙に騒がしかった。
鎧を着た衛兵たちが通りを塞ぎ、人々がひそひそ話をしている。
「“蒼晶石”ってのがが盗まれたんだってさ! 貴族様の魔導珠らしいよ!なんでも悪いものを寄せ付けないすごーい石なんだってさ!」
薬草屋の娘が息を弾ませて言った。
「王都のアルトリア卿って人が視察に来てて、落としたとか盗まれたとか!」
「ふーん……」
と、相槌を打った瞬間、嫌な予感がした。
(青く光る玉……まさか)
でも、まさかそんな高級品が下町の石畳に落ちてるなんて。
“偶然似てるだけ”だと思い込もうとした、その日の午後――。
「ミーナ・クルミエだな!」
店の扉が勢いよく開き、衛兵たちがなだれ込んできた。
「貴殿が蒼晶石を所持しているとの通報があった!」
「えっ!? そ、そんな――ただ拾っただけです!」
客たちがざわめき、八百屋の親父が声を上げる。
「ミーナちゃんが盗むわけねぇだろ!」
けれど、衛兵は無言で例の玉を布ごと差し出せと言った。
「これは貴族アルトリア卿の所有物だ。詳しく聞く、屋敷まで来てもらおう」
わたしは抵抗もできず、ただ頭が真っ白になった。
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通された屋敷はまるで別世界だった。
壁に絵画、床は鏡みたいに磨かれ、香の匂いがほのかに漂う。
「君がミーナ・クルミエか?」
声の主――金髪の男性がゆったりと椅子に腰掛けていた。
穏やかだが、どこか凛とした雰囲気。
これが噂のアルトリア卿らしい。
「はい……その、石は本当に拾っただけで……」
「拾った、と言う者は多い。ふむ…」
淡々とした声。けれど敵意は感じなかった。
アルトリア卿が机の上の“蒼晶石”に短く何かを言うと石は淡く光った。
そしてその光は、なぜかわたしの掌に呼応した。
手のひらが温かくなり、やさしい波のように光が広がる。
「……ほう。反応したな」
アルトリア卿が小さく笑った。
「蒼晶石は石が認めた者の魔力にのみ共鳴する。盗人の手では光らぬ」
「えっ……じゃあ、どうして……?」
「君には少し魔力があるようだ。そしてそれはこの石の魔力と似ている。“癒やし”の属性だ。この石は心の素直な者にだけ反応し、周囲の者の心を癒して悪意を無くしていく」
少しざわつく衛兵たち。
そこへ1人の男が入ってきて、わたしは思わず目を見開いた。
「アルトリア卿、失礼します。…ミーナちゃん、どうしてここに!?」
「トマさん!?」
いつものトマとは異なり寝癖もなく服もキッチリ着ている姿はもはや別人だ。
「実は自分、アルトリア卿の命であの街を調べてたんだ」
「ええぇぇ!?」
声が裏返った。
あの、パンで火傷してたトマが!?
トマは一歩前に出て、きっぱりと言った。
「この娘は嘘をつくような人じゃありません。
自分がこの街に駐在して半年、毎日パンを買って見てきました。朝早くから焼いて、誰にでも笑って渡す――そんな人です」
その言葉に、アルトリア卿の表情が和らいだ。
「……お前の目は確かだからな、トマ。信じよう」
そして、わたしを見て言った。
「疑ってすまなかった、ミーナ・クルミエ。蒼晶石は戻った。君の手に預けておこう」
「え……いいんですか?」
「石が共鳴したのは偶然ではない、君を気に入ったのだろう。実を言えば石は一つではない。東部であるここは王都から離れている。だからこそ共鳴できる人を見つけ預けたいと思っていたのだ。…そうだな、知り合いなら護衛としてトマをつけよう」
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夕暮れ。
トマさんと店に戻ると、みんなが心配して待っていた。
「無事でよかったねえ」と声が飛び交う。
ひとしきり皆の波がひくとトマさんが手紙を渡してきた。
『君の魔力はこの街の灯と似ている。
光は奪うより、分け与える力だ。
どうか、この街を照らし続けてほしい。――アルトリア』
胸の奥がじんわり温かくなった。
この小さな光は、きっと両親が残してくれた店と同じ。
守るべき場所の“灯”なんだ。
「……トマさん」
「ん?」
「わたし、やっぱりこの店を続けます。王都にも行きたいけど、お父さんとお母さんのいたこの街を守りたいから」
「そっか」
「うん。でも、夢は捨てません。ここで腕を磨いて、いつか王都にも負けないパン屋になります!」
トマは少し笑って、パンを受け取った。
「俺はすでに王都の味より好みだけどな。これからも期待してるよ」
「もちろん!」
笑い声とパンの香りが混じる。
青い石はカウンターの隅で、やわらかく光っていた。
パン屋「くるみの実」は、明日もきっと朝早くから開いている。
石畳を照らす灯のように。
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夜風が店先を撫でる。
窓の向こうに見える街の灯は、まるで星のようだ。
小さな魔法も、人のぬくもりも、きっと同じ光。
わたしはランプを消して、静かに呟いた。
「……おやすみ、蒼晶石」
淡い青が一瞬だけ、やさしく瞬いた。




