18.
緊迫した空気の中、のんびりとしたその声だけが、やけにはっきり聞こえた。声がした方を見ると、恭介が顎に手を当てながら眉を下げて笑っている。
「良いところまでいっているけど、それだと違和感が残る」
「……違和感、ですか」
自分の推理が急に崩れるような音がした気がする。ごくりと千夏は唾を飲み下す。
「殺害方法が衝動的だ。それまでは計画的に動いているのに、殺すときはその理性を感じられない」
「ですが、そばアレルギーがなければ、被害者も殺される、こと、も……」
「そうあくまでも、アレルギーを起こさせたのは事件のトリガー要素でしかない。これが事件がやや複雑化した原因でもある」
ああ、やはり足元にも及ばない。
自分に探偵役なんぞ務まることはないと思い知らされる。
「犯行現場が女性トイレであること。発見時は、お色直し前。離席してから、発見されるまで彼は席を離れられる状況ではなかった。それは、いろいろな人の写真やビデオを見せてもらったことにより、間違いはない。よって、殺害はしていない。突きつけられる容疑としては傷害罪というところか」
「そうすると、殺害した犯人は」
「彼女しかいない」
恭介が指したのは、沢村だった。
「だけど、被害者との接点は」
ないと断言しそうになったところで、千夏は口を閉じた。思い当たるのは、先ほど見せてもらったメールの内容だった。
メールには、過去亜美の父親が交通事故を起こし、女性を殺してしまったときの聴取が書かれていた。被害者の苗字は『沢村』だった。そして、彼女自身も当時は軽傷を負ったことも記されていた。
「きっと今まで接点はなかった。今日この結婚式に呼ばれ、彼女の顔を見るまでは多分」
「そうよ。何も知らなかった。でも、フロント前であの男を見て、その後にあの男と同じ顔をしたあの女を見たとたん、全てを思い出したのよ。あの男がいなければ、母さんは今も」
「え?」
間抜けな声を出して、千夏はじっと沢村を見た。
「いたのよ、似合わないくたびれた礼服を着て」
その男なら、千夏も現場に来る前に見かけた。まさか、彼が被害者の父親だったとは。自嘲気味に沢村は話を続ける。
「向こうは気づかなかったみたいだけど、私はすぐに分かった。母さんを殺した男だって。でも式場には来ていないみたいだし、あの男の娘を幸せに何てさせたくなかった」
何の感情もない冷たい目をしたまま、沢村は震えた声で一息に話した。
「くすぶっていた想いが膨らみ、たまたま見つけたアイスピックをもって披露宴会場に出ると、トイレに行く花嫁を見かけた。清掃中か何かの看板を出して、人が入って来ないようにして、機会をうかがっていると、花嫁が倒れた。意識がないことを確認してから、ひとおもいにってところ、かな」
ゆっくりとした足取りで恭介は沢村の前に立つ。目を細めた沢村は睨みつけるように恭介を見て、大げさなため息を吐く。
「まるで見てきたかのような言い方ね」
「自白ありがとう。とりあえず署に来てもらって、話をきこうか。そこの婿殿も」
皮肉にしか聞こえないトーンで恭介がそう言った後、千夏は沢村に、恭介は杉村にそれぞれ手錠をかけた。杉村を千夏が控室を連れ出そうとしたところで、岡田由美が口を開いた。
「……なんで……なんで亜美は殺されないといけなかったの?」
悲しみに暮れた声が聞こえてきた。
「亜美は……亜美は何も悪くないじゃない」
岡田は涙を静かに流しながら、睨みつけるようにして杉村を見た。杉村は鼻で軽く笑ってから、口を開いた。
「はあ? あの女、オレと結婚するのに二股してたんだぞ。そんな女と結婚することなんてできるか」
「亜美はそんなことしない」
「どうだか。最近あの女の周りに年がいったおっさんがいるのを知ってるぞ」
「それは!」
目を細めた岡田由美の目から涙が溢れ出ていた。悲しみにおぼれた彼女はそれ以上何も言えず、ただ嗚咽を漏らした。
「ほら、オレが言ったのが正解だろ」
「違うね。被害者があっていたのは、彼女の父親だ」
呆れた顔で恭介は振り返って杉村を見た。
「は? あいつは天涯孤独で」
「戸籍上は離縁しているし、どういう経緯であったかはわからないが、彼女とここ最近あっていたのは彼女の父親だけだ。結婚を前に、会いたかったのかもな」
「う、そ……だ。オレは二股をかけられてて」
「そう思いたければ、そうしておけ。事実は変わらない」
恭介はうなだれる杉村の背中を押しながら、控室を出て行った。千夏も沢村を促し、控室を出る。
残ったのは、泣いている岡田由美だけだった。




