14.
千夏に無理やり婚礼料理のラインナップだけ押し付けるように渡して、恭介はその場を去って行った。
エレベーターの扉が閉まる音がして、千夏は足腰の力が抜けたように、座り込んでしまった。
「やってしまったぁ」
千夏は自分がしでかしたことに、頭を抱えた。
さすがに、アレはまずい。絶対怒らせた。
このままでは、憧れの警視庁捜査一課に着任する前に飛ばされる。田舎の駐在所か、それとも陸の孤島か。いずれにせよ、この華々しい職場に戻ることはほぼ無理になる。
なんとか挽回しないと。
こういう時、刑事ドラマの新人刑事なら、どうする。
頭の中に詰め込んだ刑事ドラマの刑事たちを思い起こそうとするが、今回の状況に当てはまるバカな新人は見当たらなかった。
どうしたら、どうしたら。
頭を抱えながら視線をさ迷わせていくと、恭介が千夏に押し付けた婚礼料理のラインナップ一覧が絨毯の上に落ちていた。
――刑事が事件を諦めたら、事件は迷宮入りだよ
頭の中で刑事ドラマの中でもひと際好きだった刑事がそう言っていたのを思い出した。何度も繰り返し見ていたせいか、その刑事のセリフだけではなく、一挙手一投足を記憶し、再現できるほどだった。
刑事になりたての頃は、その刑事の真似をしながら捜査に参加したものだった。真似をしていると、先輩刑事たちにも笑われたり、怒られたりすることもあったが、それでもその刑事のようになりたいとばかり思っていた。
そう言えば、あの人は捜査に行き詰った時にどうしていたっけ。繰り返し見たストーリーを片っ端から思い出していると、セリフと共に思い出した知識があった。
もしかして、アレは。
婚礼料理のラインナップを手に取り、千夏は隅から隅まで見返した。心当たりがないわけではない。もう一度確かめないと。
千夏は自分の頬を強めに叩き、立ち上がった。
披露宴会場に勢いよく入り、新郎の杉村に近づく。変わらず親族から慰められている姿を見ると、千夏は眉根を寄せた。声をかけると、渋々と言った様子で、千夏と披露宴会場の端に行ってくれた。泣きっぱなしなのか、目の周りは真っ赤になっていた。
「亜美さん、何か持病はお持ちでしたか?」
「持病?」
特に思い出すこともないのか、杉村は首を傾げていた。
「現場からピルケースが発見されました。中身は入っていなかったので、何が入っていたのかご存じでしたら教えてください」
「……知らない。ただ、いつも持ち歩いていたのは知っている」
この様子だと、何も知らないのかもしれない。しかし、旦那になる予定の人で良かったのだろうか。それとも妻が知られたくはない理由でもあったのだろうか。
「中身をお訊きされたことは?」
「あったけど、はぐらかされた。女性は腹痛とかあるからそれかなと」
杉村に頭を下げてから、千夏は次に花嫁の友人の岡田由美の元に向かう。こちらも目を真っ赤にしている。せっかくきれいに整えられていたはずの化粧も、少し落ちてしまっている。
杉村にした質問と同じ内容を岡田由美にも投げた。ハンカチで目元を武具いながら岡田由美は頷いた。
「それ、アレルギー用の薬だと思います。お守り替わりって言っていたことがあるので」
アレルギー発作に備えるような薬。それをお守り替わりとは。
「花粉症とかですか?」
「いえ、食べ物の。彼女、そばアレルギーで、食べると発疹ができたり、少し呼吸がつらくなるって言ってたので」
「そばアレルギー……」
恭介に見せてもらったメニューにはそばは入っていなかった。それは、確か。
「今日はお蕎麦が混ざったものが出ないように、ウェディングプランナーの人にお願いしたって言ってました」
パチン。
岡田由美の言葉が、千夏の頭の中でパズルのピースがハマったような音が響いた。確か新婦たっての希望のメニューだったとウェディングプランナーの坂本が言っていた。
岡田由美に頭を下げ、千夏は披露宴会場を出た。
自分の中の血液が熱を帯びて体中を駆け巡っているのを感じ始めた。
そばアレルギー。
それを仕掛けるには、そばそのものを用意する必要があるけど、一体どうやったら。
「あれれ? あいつどっかいったの?」
どこかに行ったはずの我妻が、再度エレベーターから出てきた。ひと仕事を終えたにも拘わらず、首にタオルを巻いたままでまだ鑑識官の制服だった。
「さっきとは雰囲気変わったね。何か見つけたの?」
「多分、絶対、恐らく」
「どっちなのよ。それで、どうするの? あいつにガツンと言いたいんでしょ」
「はい」
「いい顔。私に手伝えることがあるなら、使って見せなさい」
「それじゃ、早速お願いします」
千夏は入り口の警備担当者に被害者の席の料理を控室に運んでもらうように依頼した。
「料理だけで良いの?」
我妻が控室に運び出されていく料理を横目に見ながら、千夏に問う。
「新婦が口にしたのは料理だけですよ」
「千夏ちゃん、友達の結婚式とか参列していた時のこと思い出しながら、本当にそれで良いか考えてみたら?」
「どうしてですか?」
「私は私の仕事をするだけだから。頭をひねるのはあなたのお仕事」
突き放すような言い方をされた千夏は黙ったまま我妻が控室に入って行くのを見送った。我妻はスマホで誰かと話しながら、ポケットから白い手袋を取り出して、控室に入って行く。
一体何が足りないと言うのだろうか。
千夏はこれまで出席した披露宴を思い出しながら、もう一度披露宴会場内を歩くことにした。披露宴会場には出席者たちが千夏を黙ったまま見ている。この現場の捜査権限を持っている相手に対して何を思っているのか、顔を見なくてもわかる。
疑惑、嫌悪、苛立ち。
それらの視線を振り切るように、高砂にたどり着いた。料理はすべて出されたわけではない。メニューに書かれていた通りであるならば、テーブルに並べられたのはアミューズ、前菜、スープまでだった。
お魚料理が来る前に発見されたことも考えると、お魚料理、口直しのシャーベット、お肉料理、デザート、飲み物にはそばが混ざるタイミングは無い。
三皿のうちで混入したと考えるのが普通だ。
千夏は花婿の席の前に立ち、臙脂色のテーブルクロスがかかったテーブルの上を見た。記憶通りの皿が並べられ、それらを囲むようにテーブルの端には色とりどりの花が飾られていた。
高砂から見える景色を花嫁は何を思って見ていたのだろうか。
テーブルに近づくと、足元で何かが当たった。
テーブルクロスの下を覗き込むと、バケツがあった。何の変哲もない、ホームセンターで売っているようなものと同じだ。華やかな世界に現れた異物。千夏は何故かそれに目を奪われた。
ゆっくりと引き出して見ると、途端にアルコール臭が鼻についた。バケツの中を覗き込んでみると、たっぷりと液体が入っていた。
確か、このバケツは。
同期の結婚式の時に、次々に継がれるグラスに注がれる酒を遠くから見ていた。写真撮影の時の同期の顔はいつも通りだった。酒を少しでも飲めば赤くなるから困ると言っていたはずなのに。
その時、同期は新郎に聞こえないようにこそっと千夏に耳打ちして教えてくれた。
「主賓が酔いつぶれるのは、まずい、よね」
せっかくの結婚式だからね。ウィンクした同期の言葉に、また頭の中でパズルが一つかみ合った気がした。
花嫁席にあったグラスとバケツの取っ手を持ち、千夏は再び披露宴会場のど真ん中を突っ切るように足早に走った。
控室に持っていくと、既に他の料理は調べ終えたのか我妻がバーカウンターに腰かけていた。
「これも、お願いしまっす」
「何が出て来るか楽しみだね」




