9話
見上げる川田の視界には、澄んだ青空が広がっていた。
川田は立ち上がることが出来ずにいた。
負けた、──だとか、悔しいだとか、そんな感情を超越した得体の知れない、圧倒的な、──力──。
言葉も、感情も奪われて、ただ、天を見上げる。
余韻だけが拳に残る。
一年前の地区予選決勝での敗北。川田はその日から屈辱を燃料源として、闘志の炎を燃やしてきた。今も、そうあるべきだと、当然のように自覚している。途絶えることなく燃やし続けてきた炎。
──なのに、突如として現れた、『強大な力に』、あまりに呆気なく踏み躙られ、絶え間なく焚べてきた炎が、燃え落ちる──そして、すぐさま、魂が、再び──吠える。
──こいつは一体、──何者だ?
「ぬわっはっはっはっ! 見たか、これぞ一年生チームの秘密兵器、有馬堅太郎様の実力よ!」
鮮烈なヘディングシュートを決め、高々と勝ち誇る堅太郎のもとに一年生たちが駆け寄ってくる。
「ナイスヘディング!」
「やるじゃねぇか素人がっ!」
福永、池添と続いて堅太郎とハイタッチをかわす。
「お前らが手こずっていた太眉木彫り人形を俺が退治してやったんだ! これからは俺を英雄と崇め奉りなさいっ!」
「──誰が太眉木彫り人形だって?」
「うん? 誰ってあそこに横たわっているキーパーの……、あれ? いない?」
振り向くと、川田が凛々しい眉毛を吊り上げて堅太郎の背後に立っていた。
「げっ!? 太眉木彫り人形!?」
「キャ、キャプテン、すいません」
引き攣る川田を前に、すぐさま福永が頭を下げる。
「ふんっ。まあ、いいだろう。お前、名前は?」
川田が堅太郎に顎で促した。
「──俺? 俺こそ、優駿高校サッカー部の英雄、有馬堅太郎だっ!」
「英雄? よくそんなことが自分で言えたものだ」
「なんだよ。俺に負けたくせして、えらそーにっ!」
ぶちん──。川田のこめかみに血管が浮かび上がる。
「ちょ、ちょっと堅太郎君っ! すいませんキャプテン! よく言って聞かせておきますからっ!」
福永が冷や汗をかきながら川田をなだめた。
「……まあ、今日のところは大目にみてやる。──にしてもだ、堅太郎。ナイスシュートだったぞ!」
そう言って川田は堅太郎の胸に拳を押しつけた。
「……あ、あざっす!」
堅太郎は戸惑いながらも川田の拳に視線を落とすと、深々と頭を下げた。普段は横柄な堅太郎も褒められることには弱い。
──フフフ。太眉木彫り人形。さすがキャプテンだけのことはある。見る目があるじゃねぇーか。
堅太郎が顔を伏せたままほくそ笑んでいると、
「だがな、試合はまだ終わっちゃいない。上級生チームを侮るなよ」
川田の言葉通り、堅太郎の活躍に火をつけられた上級生チームはその後、一年生チームを零封し、三対一のスコアで試合終了の笛が鳴ることになった。
「試合はここまでだ。負けた一年生チームはグラウンド百周だ! 今すぐ取り掛かれっ!」
川田の咆哮に、
はあ!? はあぁぁぁぁっーーっ!?
なんで俺が──!?
堅太郎が両手で空を揉みしだきながら駄々を捏ねる。
「いや、俺が出てからは一対〇だろっ!? 負けたのは俺じゃなくてこいつらだろぉーがっ!?」
「サッカーはチームでやるものだ!」
川田が容赦なく言い放ち堅太郎に背を向ける。
「はあ!? ちょっと待て! この太眉木彫り人形っ!」
川田に飛び掛かろうとする堅太郎を福永が止めに入った。
「放せ! この凡人がっ!」
「堅太郎君、連帯責任だからっ!」
聞き分けのない堅太郎に福永が苦笑いを浮かべる。
「嫌だっ! 俺は走らねぇ! お前らが俺の分まで二百周走りやがれっ!」
「つーか、てめぇがキャプテンに余計なことを言ったからだろーがっ!」
池添が口を尖らせた。
「はいはい、堅太郎君。往生際が悪いこと言わないのっ!」
見かねたかなえが両手で押して堅太郎を一年生チームの隊列に捻じ込んだ。
「ちょっとかなえさんっ! 俺のヘディングシュート見てくれてましたよねっ!?」
首を捻り必死で抵抗する堅太郎。
「……いや、だから、ちょっと──」
「優駿、ファイオー!」
かなえの掛け声に、一年生が呼応して声を張り上げる。
「優駿、ファイオー、ファイオー!」
「だあぁーーっ! 何がファイオーじゃあぁぁっ、凡人どもっ! 英雄の俺とお前らを一緒にすんじゃねぇーーっ!」
かなえに背中を押された最後尾の堅太郎が、切ない雄叫びをグラウンドに反響させていた。