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潜伏に失敗し再び一人になる

 人間の死体にも馬の死体にもまだハーピーが群がっていて、喧嘩しながら食事をしているので、サンは大回りして道の反対側に移動していった。

「隊長ー! いますかー! このままじゃやられてしまいますー」

 声をなるべく張り上げる。

 食事をしていたハーピーたちも不思議そうにこちらをちらりと見て一瞬だけ食事を中断していた。

 隠れているといっても、隊長の居場所にあてはない。

 サンは道の反対側で、折れた枝などの人跡を探した。それはすぐに見つかった。

 曲刀をばきばきと振って枝の折れた逃げた跡に分け入る。

 バサバサと大きな羽音がした。ハーピーたちがサンのあとについてきている音だった。

 地面を見ると枝や葉を踏んだ跡。走りながら藪に引っかかった跡。簡単に痕跡が見つかった。

 サンは農村出身のただの百姓であったが、冬にはそれなりに狩りに出るし、狼やなにかの獣害が出たら山狩りにも参加する程度にはこういうことも慣れている。

 とりあえず追跡してみるしかなかった。ただその追跡は一分も保たなかった。

 あとをついてきているハーピー達がしびれを切らしたのだ。もう飽きてきている。『もうどうでもいいからこいつだけでも殺しちゃおうぜー』という空気が強くなってきている。まだ現時点では『まあ、待て』の空気が強いが、攻撃が始まるのも時間の問題だった。口にしているのはゲッゲッゲッという鳴き声だけだが、めんどくさくなってきているのは分かりやすいくらい分かる。

 サンは思った。

 そもそも人間七人に馬四頭だろ。ハーピー四十匹には充分な食い物じゃないのか? まだ一人二人食う余裕があるのか?

 横についてきている木の上のハーピーをちらりと見ると、口から胸、股間にかけてまで血で真っ赤だった。すでにたらふく食ったあとだ。表情にも満腹感が出ている。もうサディスティック100%という感情でニヤニヤこっちを見ている。

 別の個体を見たが、雰囲気としては似たようなものだ。

 明らかにもう腹は減ってない。本能で獲物を観察しているだけというのが分かる。ハーピー達の目的が食事から口封じに移行していた。

 地面の様子を調べるフリをするつもりでしゃがんだ。

 ハーピーたちはその〝フリ〟を見抜いた。時間稼ぎには付き合ってくれない。

「キーッ」奇声を上げ、木から飛び立って同時に襲ってくる。

 サンは立ち上がり曲刀を構えた。無念すぎるが逃げ場のない開き直りがネガティブな感情をすべて塗り潰した。大きく口を開くと雄叫びを上げた。

「うおおおおおおお!」

 すぐそばで木立がガサガサと音を立てた。「うわっ」という声が聞こえ、討伐隊隊長が物陰から姿を現した。

 討伐隊隊長は誰もやりたくない仕事を押しつけられた下っ端であり、全然偉くも強くもないというのがこの四日間の同行でサンも分かってきていた。年齢もそこそこの二十代。身長もそこそこで腕や足の太さも普通だった。木の板と金属輪を縫いつけたちょっと頑丈な防御服を着ていて——動きは早いが鉤爪や噛み付きしか攻撃手段のないハーピーには最善の防具である——細身の剣を持っていた。他の冒険者からイジられ気味だったが、嫌われていたわけではなかった。みんな楽勝だと思っていたから頼りにならなくても問題ないと思われていたのだ。本人も、「まあ頑張ってよ。俺は頼りにしないでよ」というようなことを平気で言っていた。冒険者の間では顔馴染みらしく、初対面なのはサンともう一人の新人冒険者だけだった。とはいえ、旅の間に聞いた話だと、こういう汚れ仕事をよく押しつけられるので普段から体は鍛えているし、場数の経験だけならそこそこあるということだった。

 この状況での生き残りの一人なのだから死んだ六人よりは上と言える。

 物陰から出てきた様子は隊長自身にとっても予想外だったようだった。驚いた声は独り言に近かったし、藪の陰にしゃがんでいたのに、つまずいたか背中を押されてよろけたように見えた。

 サンは向かってくるハーピーから目を離して隊長に向かって一目散に走り出した。間に合わないと思ったので頭から隊長の足にヘッドスライディングした。

 背中の肩甲骨のあたりを鉤爪が掴んできた。サンは痛みを無視して、自分を襲ったハーピーごと隊長にぶつかった。

 二人と一匹は転がり、サンの背中の鉤爪は外れた。動物に引っ掻かれたときのあの痛みが背中から全身に走って、思わすサンは「いってえ!」と叫んだ。

 一緒に地面に倒れたハーピーの上に必死にのしかかるとサンは上半身のあたりを中心にザクザクと剣を突いて穴だらけにした。致命傷を負って暴れるハーピーを遠くに蹴り飛ばしてサンは立ち上がった。

 ゲーーーゲッゲッゲッ。

 周囲にいたハーピー十匹ほどが大笑いをしながらとびかかってきた。

「くそっ」隊長が舌打ちして地面にあった石を拾うと、向かってくるハーピーたちの手前に投げつけた。

 石の当たったあたりの藪がバサっと立ち上がり突進してくるハーピーにぶつかった。

 隊長が剣を構えてそっちに向かってダッシュしたのでサンも慌ててあとを追った。

 隊長は罠にぶつかって地面に落ちた一匹を細身の剣で突いた。剣は貫通していた。

 あとのサンも別の一匹に斬りつけたが地面に転んだハーピーはすぐに起き上がって飛び立ったので切り傷を付けただけだった。

 隊長は森の中を走るスピードとしては異常な猛ダッシュで走っていた。足場が悪い上に、藪の向こうが崖だったりすることもあるのだが、まるで地元の人間であるかのようだった。といってもなりふり構わない走り方だったので絶対にヤケクソのものだとサンにも分かった。

 岩肌のある急斜面に出るとその辺の木に抱きついてそこを一気に下っていった。サンも傷だらけになりながら後をついていった。

 そしてちょうどいい茂みを見つけると隊長はその下に飛び込んだ。

「隊長、ちょっと詰めてください」

「ふざけんな」

 と言いつつ隊長は体を折り畳んでスペースを空けてくれた。

 戦闘が始まってから二人の初めての会話だった。

 ほとんど無呼吸のダッシュだったので、そこで一気に汗が吹き出た。息を殺そうにも乱れてしょうがない。それでも必死に息を整え、気配を消した。

 茂みの下で隠れながら隊長に話しかけようとしたが、すごい目で黙ってろと睨まれた。

 二人がいる場所は後ろが岩肌の斜面になっていて、そこを低木がかまくらのように丸く覆っていた。その下は丁度いい空間になっていて、腰を曲げて立てるくらいのスペースがあった。上も葉に覆われているのでハーピーから見つかるおそれもない。

 息が切れていたがサンは必死に音を立てないよう息をした。体は枝や草であちこち切れていた。太股のあたりは洒落にならないくらいざっくり切れて血が流れていたが、走ったのでまだ地面には垂れていなかった。服で傷を押さえつけた。茨もあったのかもしれない。夢中だったので痛みにも気づかなかった。

 隊長もかなりの汗と血だった。自分と同じように余裕がなかったのだと理解した。

 経験しないならしないに越したことはないが、あとになって知るがサンはこのときに貴重な学習をした。

 つまり、自分より数が多く強いモンスターに囲まれて、不利を察して逃げるときというのは本当に必死になって逃げないといけないということだ。逃げれば逃げれるというものではない。たった一分ほどの全力疾走だったが、完全に命懸けだった。地元でもなんでもない未知の森を全力疾走するくらいのリスクを負わないと逃げきれない。運がないといけない。討伐隊の隊長はそれを背中で教えてくれた。逃げるというのはこういうものなのだ。

 三十分が経過して、サンと隊長の血もやっと止まってきた。

 上空で騒いでいたハーピーたちの笑い声も聞こえなくなってきた。

 完全な緊張状態から二人はややリラックスした状態になった。

 とはいえ油断はしない。

 サンは一人で理解していたが、隊長もまったく気を抜いていないのが分かった。

 こんな感じで獲物を見失って、しかし逃げられて仲間を呼ばれるわけにはいかないハーピーが四十匹でどのような行動を取るかなどさすがに新人でも分かる。自分がハーピーでもそうする。

 木の上でたまにガサっという音が聞こえる。

 隊長はサンの方を見た。耳に近く、本当に小さい声で、「静かに喋れよ」と言った。

 サンは頷いた。

「完全に俺を巻き込もうとしただろ。覚えてろよ」

「すいません。助けて欲しくて……」嘘である。

 そのまま嘘を続けようとしたが隊長は指を立ててサンの声を遮った。「言い訳はいいんだよ。黙れ」

 サンは頷いた。

 隊長は改めてサン・クンを値踏みした。しゃがんでいる十四歳の少年を上から下まで見て、「とはいえよろしくな。こうなったら一蓮托生だ」と言った。

 サンは思った。完全に目はこいつ役立たずだなって言うてますやん。「はい。よろしくお願いします」

 サンも自分の本音は隠した。

 葉の隙間から上空を窺う。大きい影は見えない。ゲーゲッゲッというあの苛つく笑い声も聞こえない。

 ただし、他の鳥の声も聞こえてこない。森の中で狩が始まるとこういう雰囲気になる。サンは田舎の狩猟のときの経験からそれを知っていた。

 サンは自分の体の具合を調べつつ、「これからどうするんですか?」と聞いた。

「ハーピーは夜目は効かない。とりあえず日暮れまで待ってから砦を作る。何日かかるか分からないが、次の討伐隊が来るまでひたすら待つ」

 サンは頷いた。生き残るための基本方針はサンも同じことを考えていた。

 こちらから山を下り、平地を歩いて助けを呼ぶのは無理だ。絶対に見つかる。絶対に食われる。馬車に乗っても6日かかっているのだ。だとすると守りを固めてしのいだ方がいい。ここならまだ食料もあるし水もある。ただし、隊長の言う〝砦〟の出来によるだろう。洞窟があればいいが、木や岩でハーピーの襲撃を防げるものが一晩で作れるとは思えない。

「絶対に音を立てるなよ。日没までまだ時間はあるぞ」

 サンはまた頷いた。

 隊長はちょっと体を揺らして調子を見たあと、まったく動かなくなった。頭上を覆う木の葉越しに空だけを見ていた。

 少しだけ何もない時間が経過した。

 隊長はゴソゴソと何か小細工をしている。見ると拳大の石を一つ袋から取り出して地面に置いていた。投石用の石だとサンにも分かったが、何をするつもりなのかは分からなかった。

 サンも上空を見ていると、何匹かハーピーを見つけることができた。

 先程までの落ち着きのない騒々しさと違ってほとんど体を動かしていない。木の上に立ってほぼ一点を凝視している。

 ひょっとしたら目立つ奴は囮じゃないかと思い逆方向を見ようと動いたら隊長に小さい声でゆっくり動けと注意された。

「急に動くな。俺達の場所をじっと見ている奴がいる」

 サンは警戒しながら視線を動かした。反対側にはハーピーは見えない。

「木の上の奴と地面の奴がいる。木の上の奴は囮だ」

 信じられないと思っていると、心を読んだかのように隊長が続けた。

「木の上の奴はしばらくすると顔の向きを変える。その隙に動こうとすると見つかる」

 反対側にはハーピーが見えないが、地面にいたら見えなくて当たり前だ。

 まるで隊長の言葉を証明するかのように木の上のハーピーがぴょんと跳ねて体の向きを変えた。

 隊長は、「な?」や「言った通りだろ」とも言わなかった。無言のままだった。それでもサンは納得した。

 思ったよりやべえ生き物だな。木の上のハーピーは今はこちらを向いていない。頭で分かっていてもこの隙に動きたくなる。サンは無意識に体の緊張が解けているのを自覚した。こちらを見ている見ていないの意識が生むプレッシャーの落差は相当だ。見られていないと思うと、実は見られていると理屈で分かっていても体が緩む。

 バキッ。

 背後の木の枝に引っかかってそれが折れた。

「げっ」成長するとそんなことは減ったが、新人だったサンは間抜けな声を出した。

 ……まあ、それに、木の枝の音だけでたぶんバレてたから、声を出してなかったとしてもあまり展開に関係はないし。サンはこのときのことを思い出すと自分にそう言い訳する。そもそも木の枝を折るというミスについては思い出すこともしない。

 全身から嫌な汗が吹き出す。

 横にいた隊長が目を丸く開いて地面に置いた石を素早く広い、ぽんと放った。

 木が上を覆っているのでまともに投げることはできず、10メートルほど離れた低木の茂みに飛んでいった。ガサガサと派手な音が響いた。

 隊長はナイフを握った。股の間に腕を挟む。森の中で金属は目立つという判断だった。

 サンもそれに倣って剣ではなくナイフを取って腕を背中に回した。崖の方に身を寄せてそちらに背中を預ける。

 隊長もサンの横で崖に並んだ。

 ゲーッゲッゲッゲッ。

 耳障りな声が森の中に響く。

 サンは息を殺した。この状況だといざとなったら隊長を突き飛ばして反対方向に逃げるしかない。あの命懸けの森林ダッシュをもう一度やって助かるとは思えなかった。しかしやるしかない。

 バサバサと大きな羽の音が聞こえて隊長が石を投げた茂みにハーピーが二匹、下りていった。

 そして明らかに格の違う大きな羽音がしてその上の木にボスハーピーが現れた。そいつが枝に乗るとズシンという音が聞こえてくるようだ。

 茂みを探しているハーピーたちはゲーッゲッゲと鳴いている。サンの耳には「いませんぜ、ボス」と人間の言葉に変換して聞こえてきた。死線ギリギリだと人間の脳はわけの分からない能力を発揮する。

 口の中がカラカラだった。背中に隠したナイフが震えていた。

 横の隊長を見た。口をサンと同じように大きく開けて、目をカッと開いている。息が荒く、はーはーという声が聞こえてきた。

 サンがこれからの人生で何度か目にすることになる、人間の死にものぐるいの顔だった。

 隙だらけだった。

 サンはナイフを枝葉にぶつかるのも構わずボスハーピーに向かって投げつけた。それから全体重をかけて討伐隊隊長ブフミトギミに体当たりをした。

 隊長はよろめいたが、決死の覚悟をしていたために重心がしっかりしていた。すぐに押し返してきた。

 サンはその肩のあたりを掴んで今度は引っ張ると、もう構わずに一気に物陰から飛び出して、その日、何度目かの死に物狂いの逃走を開始した。

 隊長は「ちょ」と一言発しただけで、文句のようなものは言ってこなかった。

 すいません。隊長。仇は必ず討ちます。

 サンは別にそのときにそんなことは考えなかった。目の前の山道を必死に走るので精一杯だった。転ばないだけで、墜落しないだけで、音を立てないだけで、もう余裕もなく手持ちの能力ありったけだった。


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