【7】落ちこぼれの神様
泉の奥底--
大きな穴の開いた岩の中でリュミエールはぼんやりと昔のことを思い返していた。
それは自分が土地神としてこの辺境の地モルシェルを任された時のこと。
◆ ◆ ◆
『何で私がそんな小さい辺境の地を護らなければならないのだ! 』
リュミエールの非難の声に周りにいた他の龍神達は冷たい視線を彼に向けた。
『当然だろ。お前は我が龍神の中で最も力が弱いからな。お前の力ではモルシェル程度の大きさの国が丁度良いのだ』
黄金の龍が淡々とリュミエールに告げた。
『それに、お前は神としての自覚が色々と足りないところがある』
黄金の龍に続いて白い色の龍がリュミエールに向かって苦言を呈す。
『何を! 白龍、一体私の何処が神として足りないと言うのだ!?』
リュミエールの反抗的な態度に白龍と呼ばれる龍はやれやれと呆れたように首を振った。
『まず、その好戦的で粗暴な態度だ。そして、お前は神であるにも関わらず、色欲が強すぎる。一体今までも己の立場を利用して何人の人間の女を手篭めにしたことか』
白龍の言葉に周りにいた龍神達が一層冷たい視線をリュミエールへと送る。
『それは……』
神である自分に対し、好意と欲望に満ちた人間の女の感情こそが、リュミエールの足りない神力を高めてくれるからだとは、この場において流石に言えず、リュミエールは続く言葉を飲み込んだ。
『異議は認めん。お前はモルシェルの土地神として己の使命を全うせよ。痩せこけ、荒れた大地を再び蘇らせることが出来たなら我々はお前に対する認識を改めようぞ』
金色の龍が有無を言わさぬ圧倒的なオーラでリュミエールを説き伏せる。
『くっ! 今に見ていろ』
目の前の強者に対し、反論することも出来ず、負け組決定のような捨て台詞を吐いたリュミエールは、龍達が集まる遥か上空の雲の上からモルシェルに向かって逃げるように飛び立った。
◇
リュミエールはモルシェルの地に降り立つと、荒れ果てた大地で細々と生きている人間達を見回した。
「なんと、辛気臭い国だろうか」
リュミエールの理想とする豊かで華やかな大地とは正反対の、荒廃した土地を目の当たりにして、この国を蘇らせなければならないのかとリュミエールはげんなりとした気持ちになった。
しかし嘆いてばかりもいられない。
リュミエールは早速行動を起こすことにした。
リュミエールは己の存在を人々に示すため、仰々しい演出を始めた。
荒れ果てた大地が黒い雲で覆われ、雷鳴が轟く。
日照り続きのこの国に、空一面に雨雲が覆うと、人々はその光景に信じられない面持ちで一斉に空を見上げた。
人々の視線が空へと集まる頃合いで、リュミエールがゆらりと姿を現す。
黒い雲に一匹の美しい青い龍が浮かび上がると、突然の龍の登場に人々は驚き、慄いた。
『憐れな民達よ、よく聞け。今日より私がこの小さき国を任された。私を土地神として崇め讃えればこの地に沢山の雨を降らせ、この死んだ大地に再び豊かな穀物を実らせようぞ』
モルシェルの民達は、龍の正体がこの地を護る龍神だと知るやいなや歓喜に沸いた。
そしてリュミエールは更に人々の心を掴もうと渾身の力を込めて雨を降らせて見せた。
わぁ、と人々から歓声が上がる。
「龍神様、ありがとうございます!!」
「龍神様、万歳!!」
人々がリュミエールに手を合わせ感謝の言葉を次々と述べていく。
リュミエールはその光景を空から見下ろし、にんまりと口元に笑みを浮かべた。
かくして、リュミエールはモルシェルの地の土地神となり、ドルガ谷の泉にその身を落ち着けると、民達に祠を作り、毎日自分に祈りと供物を捧げるよう告げた。
民達はリュミエールの言う通りに泉の畔に祠を作ると、毎日泉に足を運び、ありったけの供物と祈りを捧げた。
リュミエールは人々からの信仰の力を借りつつ、暫くは枯れた大地に雨を降らせ続けたが、残念なことにあっという間にリュミエールの神力が底を尽き始めた。
『くっ、やはり私の神力では長く雨を降らせることが出来ない……』
リュミエールは黄金の龍の言葉を思い出すと悔しさに唇を噛み締めた。
これではようやく潤い始めた大地が再び干上がるのは時間の問題であった。
折角モルシェルの民達が自分に対して信仰心厚く崇め奉っているというのに。
リュミエールは築き上げた自分の神としての地位が崩れ去ることを恐れた。
『女だ……女が必要だ』
そう言うとリュミエールは自身の姿を人間に変え、再び民達の前に姿を現した。
『モルシェルの民よ、この地に雨を降らせ続けたければ私にこの国で一番上等な女を捧げよ。さもなければやがて雨は止まり、再びこの地は荒れた大地へと戻るだろう』
龍神の突然の生け贄の所望に人々は大いに戸惑ったが、雨を降らてくれている土地神の言葉では言う通りにするしかないと、当時国一番の美人であった娘を龍神へと差し出した。
娘は確かに美しかった。
リュミエールは早速娘に向かって色仕掛けを始めた。
『おい、女。私の姿は美しいだろ? お前の全てを私に捧げる気はあるか?』
リュミエールの人間離れした美しさに生け贄の娘はポ~っと見惚れると、あっという間にリュミエールの手に堕ちた。
『は、はい。龍神様のような素敵な御方にこの身を捧げることが出来るなんて光栄です』
娘から向けられる好意がリュミエールの枯渇しそうな神力をギリギリの所で踏みとどまらせた。
リュミエールは己れに向けられる娘の好意を余すことなく神力へと変えていった。
しかし、一人の娘の好意では力が持たず、リュミエールは再び次の娘を民へと所望した。
そんなことが何度も繰り返される内にやがてリュミエールの存在は土地神から女を拐う邪神へと人々の認識を変えていった。
自分に恋した娘達も、次々に増える新しい女人にリュミエールに対する気持ちが一気に冷め、一人、また一人とリュミエールの元から去っていった。
やがてリュミエールの元には誰も近寄らなくなり、彼の声を聞くものもいなくなった。
次第に泉は草木で覆われ、彼の存在は民達から忘れ去られていった。
* * *
人々は大地が枯れるよりも、リュミエールという土地神の存在を疎ましく思ったのだ。
「力を持たない神なんて何の役にも立たないからな……」
リュミエールは横たわった身体の向きをくるりと反対に向けると自嘲気味に呟いた。
「どーせ、龍神達もとっくの昔に私に愛想を尽かしているに違いない」
小さな国と散々馬鹿にしたこの土地をまともに蘇らすことも出来ない無能の神。
最早今のリュミエールには龍神達を見返してやるという気力も沸かなかった。
そんなリュミエールの脳裏にアメリアの姿がふと浮かび上がる。
(……変な女。
まともな食事も摂らず、貧相でみすぼらしい身体をした伯爵令嬢。勝手に人の棲み家を綺麗にしたと思ったらぶっ倒れて世話させまくりの迷惑女)
アメリアを前にして醜いと散々罵った自分の言葉を振り返る。
『そ、そこまで醜いとは思えませんが……』
( ふん、確かにあの真っ直ぐに向けられた瞳は……)
「綺麗だったな」
僅かに傷ついた様子で反論するアメリアを思い出し、ポツリと言葉を洩らしたリュミエールは我に返ると、思わず洩れた言葉を取り消すように首を横に振った。
「いやいやいや、ないないない。あんな変な女。あんな……」
『……これで私リュミエール様の番になることは出来ますか?』
再びリュミエールの脳裏に傷や痣が消えたアメリアの華奢で儚げな肢体が浮かぶ。
「あり、かもな」
彼女の身体をこの腕に抱きたい衝動がむくりと沸き起こり、思わず本音が洩れる。
「いやいやいや。おい、やめろ! 何であの女のことが次々と思い出されてくるんだ」
リュミエールは自分の中で大きくなり始めたアメリアの存在を誤魔化すように否定するも、持て余す感情を受け止めきれず思わず誰に言うでもなく、弱音を吐いた。
そして、先程変えたばかりの身体の向きを再び反対にひっくり返すと、頭に浮かんでは消えるアメリアの存在を己の思考から排除しようと、激しく頭を搔きむしった。