【3】生け贄の伯爵令嬢
「何ですって!?」
リビングに伯爵夫人のヒステリックな声が鳴り響いた。
「娘達を龍神様への生け贄に捧げる!?」
伯爵からの予想もしない言葉に、先程迄罵詈雑言を吐いていた娘達も流石に言葉を失い、青褪めた。
「そうだ。我々伯爵家に残された道はそれしかない」
伯爵はこの国の現状と伯爵家が置かれた状況について妻と娘達に手短に説明した後、先刻の龍神とのやり取りについて話をした。
今迄贅沢三昧の生活をし、不自由なく暮らしていた夫人と娘達は愕然とした。
「だ、だってお父様。私達、毎日豪華な食事を食べているではありませんか。食料危機なんて私達には関係ありませんわよね?」
ベラが目の前の料理を見つめながら伯爵へと尋ねた。
「それはこの屋敷の備蓄があるからだ。しかしこのままではそれももう時期尽きてしまうだろう。そして、万が一民衆が暴動を起こせばこの屋敷中のものは全て強奪されるに違いない」
「そ、そんな」
「雨が降らなければどちらにしてもこの国は、伯爵家はお仕舞いだ……」
伯爵の言葉に伯爵夫人と娘達はようやく状況を理解し、これから起こるであろう出来事に震え上がった。
「だったら、アメリアを生け贄に捧げましょう!」
ベラが必死の形相で伯爵に訴えた。
「私達は侯爵家の血を継ぐもの。どちらの血が尊いかはお父様も充分お分かりでしょう?」
「そ、そうよ。私達全員が生け贄になる必要などないですわ」
「私達には上流貴族令息との縁談話だってありますもの。アメリアにはまだ縁談話だってないですし」
娘達の話を聞いていた伯爵は、考えるように口元に手を当てた。
「お父様、私が生け贄になります」
ギィとダイニングの扉が静かに開かれると同時に、湯浴みをして身なりを整えたアメリアが姿を現した。
アメリアは姉妹達には目もくれず、真っ直ぐに伯爵の前まで足を進めた。
「アメリア……」
伯爵がアメリアの姿をその視界に映す。
アメリアは伯爵の前までやって来るとその場に膝を突き、伯爵の手を取り力強く言葉を紡いだ。
「私の命でこの国が、お父様が救われるのなら、喜んでこの身を龍神様に捧げます」
「お、おお。アメリア……。すまない、……すまない」
伯爵はそんなアメリアの手を両手で力強く握り返すと涙を流しながら謝り続けた。
* * *
翌日。
アメリアは伯爵と共にドルガ谷に足を踏み入れた。
谷はまるで二人を歓迎するかのように、それまで生い茂っていた草木が次々と両端に分かれ道を作っていった。そのお陰で二人は易々と泉まで辿り着くことが出来た。
泉の前までやって来た伯爵とアメリアは、その場で膝を突き手を合わせると龍神に祈りを捧げた。
「龍神様! お約束通り私の娘を連れて参りました。どつか姿を現して下さい!」
伯爵が龍神に呼び掛けると、待ち兼ねたように泉にもやがかかり始めた。
『よくやった伯爵よ。お前は娘を置いてこのまま谷を去れ』
もやの奥から龍神--リュミエールが伯爵へと声を掛けた。
何とも素っ気ないリュミエールの返答に伯爵は不安に駆られ、確認するかのように交換条件を口にした。
「り、龍神様! どうかこれで国に雨を降らせて下さりますか?」
『あー……、それな。……お前の娘を頂いてからな。何せずーっと放置され続け、存在を忘れ去られてたせいで力がスッカラカンになっちまっててな。力が戻らないことには雨も降らすことが出来ないんだわ』
ハハハ、とリュミエールは渇いた笑いを浮かべた。
「そ、そんな。直ぐにでも雨を降らせて頂かないと民衆が暴動を起こしてしまいます……」
『は? そんなの私の知ったことか。勝手に暴動でも何でも起こしたらいいだろ』
「そ、そんな!」
「それならば、早く私を食べて下さい!!」
二人(?)のやり取りを聞いていたアメリアが堪らずに口を挟んだ。
「私を今すぐ食べて力を取り戻し即行で雨を降らせて下さい」
アメリアはもやの奥にいる龍神に向かって一気に捲し立てた。
「アメリア……」
娘の健気な物言いに伯爵が涙ぐむ。
『久しぶりの供物なんだからゆっくり味わいたいんだけど……』
「そんな時間はないのです。今すぐ私を食べて下さい! さぁ!」
龍神相手にアメリアは怯まず、両手を広げ目をつぶると、いつでも受け入れ万全の態度を示した。
『……え~、何、この娘。何かちょっと期待していたのと違うっていうか……』
生け贄の堂々とした態度に、何だかリュミエールの方が毒気を抜かれたような気持ちになる。
「さぁ、龍神様!!」
アメリアの背後から伯爵も勢いに乗って呼び掛ける。
『あーもー! うるさいから伯爵は取り合えず帰れ!』
リュミエールが鬱陶しいとばかりに指をパチンと鳴らすと、突然伯爵の身体に竜巻のような突風が巻き付いた。そして伯爵の身体はそのまま竜巻に拐われるように谷の外へと吹き飛ばされた。
「龍神さま~!! 何卒雨を~!!」
「お父様!」
伯爵は飛ばされがらも最後の力を振り絞って雨乞いし続けた。
やがて、伯爵の姿が見えなくなると、アメリアの目の前を覆っていたもやが晴れ出し、開かれた視界に澄んだ泉とその水面に浮かぶ一人の美しい青年が姿を現した。
その容姿はまるでこの世の者とは思えない程人外に美しかった。
透き通るような白い肌に腰まで真っ直ぐに伸びた神秘的な青色の髪。こちらを僅かに覗く宝石と見間違う程の輝きを帯びた紫色の瞳。
全身から溢れ出る崇高な雰囲気は正に神そのものの存在感を放っていた。
龍神と言われるからには、龍の姿を想像していたアメリアは目の前の美しい青年を見てパチパチと何度も瞬きを繰り返した。
そしてアメリア同様、目の前の青年もアメリアを上から下までマジマジと値踏みするように眺めていたが、徐々にその表情は険しいものへと変わっていった。
(あら? 何だか不機嫌そうだわ……)
アメリアがそう思った矢先。
「何だお前は? お前みたいな醜い者が私の生け贄だと?」
リュミエールの鋭い言葉がアメリアの胸にグサリと突き刺さったのだった。