【2】ラングラム伯爵家の娘達
日がすっかり沈んだ頃ラングラム伯爵はとぼとぼと自身の屋敷へと戻ってきた。
屋敷の門の前では、何人かの男達が険しい表情で伯爵の帰りを今か今かと待ちわびていた。
男達は伯爵の姿に気が付くと、目を剥いて一斉に駆け寄り、口々に不満の声を漏らし始めた。
「 やっと帰ってきたか伯爵! これ以上雨が降らなければ国の作物は全滅するって時に、一人で一体どこに消えていたんだ! 」
「伯爵、一体いつになったら穀物を納めてくれるんだ! こっちは既に半月も納期を延ばされてるんだぞ!!」
「伯爵! 村の者達が飢えで限界です。他国に食料を納める前にこの国の民達に食べ物を配って下さい。このままでは農民が倒れてしまい、作物を作る所ではなくなります!」
国の貿易や経理を担う子爵や商人、各地の代表連中がこぞって切羽詰まった現状を伯爵へと訴える。
「うう、分かっている! わ、私にも考えていることがあるのだ!」
伯爵は頭の痛い問題に対し明確に答えることが出来ず、一人、門の中へと逃げ込んだ。
「伯爵! これ以上この問題を解決出来ないようなら民の暴動が起きますぞ!」
一人の男が門外から怒りに満ちた声で伯爵に強い非難の声を浴びせかけ、乱暴に閉ざされた門の鉄格子を殴り付けた。
「ひっ!」
『暴動』という言葉を聞いて伯爵の背筋に冷たい汗が流れる。最早伯爵には悩んでいる時間などなかった。
「あ、明日には必ず何とかしてみせる! 明日まで待ってくれ!」
伯爵はそれだけ言い捨てると逃げるように屋敷の中へと姿を消した。
「……明日迄に雨を降らせられるってのか?」
「そんなこと出来る筈がないだろう」
固く閉ざされた門を背に男達は絶望的な気持ちで屋敷を見つめるのだった。
--バタン
伯爵は外の喧騒を遮断するように屋敷の分厚い扉を勢いよく閉めると、気持ちを落ち着かせる為一度大きく深呼吸をした。
「ハァ……。考えている猶予はないと言うことか……」
先程の龍神の要望を思い返し、伯爵は意を決したように家族の待つダイニングへと足を進めた。
* * *
外での喧騒を露も知らない伯爵家の夫人-セレスティア・ラングラムとその娘達は、豪華な料理の並べられたテーブルで帰りの遅い伯爵へ不満の声を漏らしていた。
「お父様ったら遅いわね。折角の料理がすっかり冷めてしまったわ」
「美味しい内に食べないとシェフにも失礼だから、このままお父様を待たずに食べてしまわない?」
「駄目よ、貴女達。伯爵様はもう時期お見えになる筈よ。もう少し待っていなさい」
「は~い。それならこの冷めた料理はアメリアに食べて貰いましょう」
三人の娘達からテーブルの端でちょこんと座る赤毛の娘へと視線が注がれる。
「アメリア~。私ったらとてもデリケートなお腹だから、冷たい料理を食べると途端にお腹を壊してしまうの。でも、貴女なら頑丈そうな身体をしているし、例え床に落ちた料理だって食べても平気そうよね」
三人の娘の一人、一番年上のベラが意地悪そうに口元を歪め、 アメリアと呼ばれる娘に近付いた。
ベラはアメリアの席に用意されていたパンの置かれた皿を手に持つと、アメリアにわざと見せつけるように床に向かってその皿を傾けた。
ぽとり、とアメリアの足元にパンが落とされる。床に落ちたパンを見て、アメリアは非難するように鋭い視線をベラへと向けた。
「ぷふっ!」
そんなアメリアの視線を受け、ベラは愉快そうに吹き出した。
「お止めなさいベラ」
伯爵夫人は感情のない表情で形だけの制止の言葉をかけた。
ベラ以外の娘達-ロージーとクロエもクスクスと笑いながらその光景を楽しんで眺めていた。
「…………」
アメリアは沸き起こる感情をグッと堪えるとベラから視線を外し、床に落とされたパンを無言で拾い上げた。
「嫌だ! 落ちたパンを食べる気? 卑しいわね」
ベラが軽蔑するような視線をアメリアへと向ける。
「……パンを食べられるだけでもありがたいことだと思ってるわ。今、この国の人達は雨が降らないせいでまともに農作物が育たず、飢えに苦しんでいるのだから」
感情を押さえながらアメリアは静かにその言葉を口にした。アメリアは伯爵家の人間であるにも関わらず、国の内情も知らず食べ物を粗末に扱う家族の振る舞いと、国民の苦しむ現状をどうすることも出来ない自分に激しい憤りを感じ、テーブルの下で悔しさとやるせなさに強く拳を握り締めた。
「なんて生意気な! 貴女ごときが何様のつもり?」
アメリアの言葉にカッとなったベラは、アメリアの座る椅子の背もたれを力一杯後ろに引き倒した。
「あっ!」
ベラの怒り任せの力により、椅子の前脚が床から浮き上がり、バランスを崩したアメリアは椅子ごと後ろに激しく倒れ込んだ。
倒れた衝撃によりアメリアは胸が圧迫され、一瞬息が出来ず、激しくむせ込むと苦痛の表情を浮かべた。
そんなアメリアの様子に対して伯爵婦人と他の姉妹達は冷たい視線を送るだけだった。
いつもの光景に周りで控えている使用人達も口出し出来ずに、沈痛な面持ちで様子を伺っていた。
「だったら貴女の食事を全部貧しい民達に恵んでやればいいじゃない!!」
そう言うとベラは倒れたアメリアの頭目掛けてスープをぶちまけた。
アメリアの赤い髪の毛がスープに浸される。
「よさないかベラ!」
ダイニングの扉が勢いよく開かれると、その様子を察した伯爵が険しい表情でベラの行為を制止した。
陰湿な行為の終わりが見え、周りの使用人達から安堵の息が洩れる。
「あ、あら伯爵様。お戻りになられたのですね」
慌てた様子で伯爵夫人が椅子から立ち上がり、誤魔化すように夫を出迎える。
伯爵はそんな夫人を一瞥すると床に倒れたアメリアへと急ぎ駆け寄った。
「ああ、アメリア。何て酷い格好だ。直ぐに湯浴みをして着替えて来なさい」
「……すみません、お父様」
気遣う伯爵に対し、申し訳無さそうにアメリアは謝罪の言葉を述べ、俯いた。
アメリアの髪の毛からスープが伝い、ぽとりぽとりと床に染みが広がる。
アメリアの無惨な姿に伯爵は側に控えていたメイドに視線を送った。
メイドは伯爵の意図を察し、承知しましたとばかりに慌てて頭を下げると床に踞るアメリアを優しく立たせ、そそくさと別室へと消えていった。
アメリアのいなくなったリビングはしんと静まり返り、何とも白けた雰囲気が漂っていた。
伯爵は息苦しい空気の中、溜め息を吐きながら自身の席へのろのろと腰を降ろし、重たい口を開いた。
「お前達、アメリアも大事な家族の一員なんだ。何度言ったら分かるんだ」
「嫌ですわ、お父様。私達とアメリアは元々連れ子同士の結婚で繋がっただけのこと。アメリアの母親は身分の低い男爵家の娘で、侯爵家の血を引くお母様と私達とでは血筋が違いすぎて、とても同じ家族だなどと思えませんわ」
伯爵の言葉にベラ同様金色の髪をした二人の娘、ロージーとクロエも口を尖らせて反論した。
「そうよ。一緒に暮らしているのだっておぞましいわ」
「もうよさないか!!」
今は亡き前妻と実の娘を罵られ、伯爵は堪えきれずドンッ!! と、拳をテーブルに強く叩きつけた。
しん、とダイニングが静まり返る。
「……これからとても重要な話をする。お前達に関わる話だ」
そう言うと伯爵は気まずい表情を浮かべる娘達の顔をぐるりと見回した。