77.早く誰か来ないかな
少額訴訟というものがある。六十万以下の請求であれば一日で審理が終わり、その日のうちに判決迄出る制度のことである。今回の場合、材料費の約五千円、それに作った料理を無駄にされた分の精神的苦痛に対する慰謝料。全てを含めても六十万円以上になることはないので、少額訴訟を選択した。
この制度の良いところは、かかる費用の安さ。手数料の収入印紙、そして裁判所から原告・被告に対して送付される書類の切手代。上限の六十万で計算しても全て含めて一万円強程度。弁護士を雇わず、必要な資料を自力で作成することさえ出来れば庶民の味方の心強い制度である。
ただし、この制度にも難点はある。被告側が少額訴訟に同意をしなかった場合は、通常訴訟へと切り替わり費用が高くなる。また、審理を行う裁判所は原則被告の住所の管轄裁判所となる為、訴訟相手が遠方だった場合はそこまでの交通費などもかかることになる。
けれど、勝訴した場合はかかった費用も被告側に請求することが出来る。ただし弁護士を雇った場合、弁護士費用を請求することは出来ない。メリットとデメリットを理解した上で自力で訴訟する場合に良い制度と言える。
今回の場合は洋士の方でいつの間にか資料を用意してくれていたので、弁護士費用や書類の作成代行費用はかからない。さらに、僕が配信していた動画、後日の配信中に書き込まれたコメント欄などの証拠も揃っている。こちらの信用性についてはソーネ社から改ざんの可能性がないことを証明する書類も発行して貰っている。更に目撃者多数ということもあり、実名が僕にばれても良いと言うプレイヤーに限定して、配信動画内の出来事について事実である旨を書いた書類を好意で送付して貰った。
中には折角楽しみにしていたパーティーなのに、目の前で料理が叩き落とされ、直接の悪意を目の当たりにしたことで数日寝込んでしまったという人も居た。直接の被害者は自分ではないので何も出来ないけれど、自分の代わりに精神的苦痛に対する慰謝料をぶんどって欲しいと言う。そして、今回の件があってもこれからもパーティーを開催して欲しい、と。
確かにパーティー会場での出来事。料理を作ったのは僕だとしても、あの場面に居合わせた人、配信上で観てしまった人はたくさん居る。ショックを受けずとも気分を害した人はそれなりに居るだろう。そう考えると、僕が代表して損害に対する慰謝料も含めて受け取り、そのお金でまたパーティーを開催して皆に還元することが一番のケアになるのではないかと思った。
ちなみにどこから聞きつけたのか、和泉さんが洋士の携帯経由で僕に一言「是非! 勝利をもぎ取ってください!」と伝えてきた。どうやら政府肝いりのオフィス街、法が適用されることを全面に押し出し、現実同様の防衛手段があると伝えることでオフィスの移転に二の足を踏んでいる企業へのとっかかりとしたいらしい。
さすがに政府が勝敗に口出しする訳にはいかないので応援をするに留まるけれど、勝利してバーチャルオフィス街初の法律適用判例を作って欲しいとのこと。
そうは言っても僕としては万全の準備を調えることしか出来ない。実際の判決自体は裁判官が決めることである。まあ彼の場合はこれとは別に器物損壊で司法に裁かれる筈なので、そこまで心配しなくて良いかな。それに少額訴訟についても、さすがに事実自体はばっちりと証拠が残ってしまっているので覆ることはないだろう。揉めるとしたら金額かな?
そもそも被告のプッツン星人君が少額訴訟を拒否する可能性はある。けれどその場合は通常訴訟に持ち込まれるので更に大ごとになる。二者択一であれば、普通はより小ダメージな少額訴訟を選ぶだろう。
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ばたばた準備をしている間に十二月三十一日を迎えていた。カウントダウンパーティーをこんなことで中止にする訳にはいかないので、予定通り飾り付けを実施。
ちなみに今回の目玉は巨大鏡餅。それはもう、餅をつくのに労力を要した。そして市販の鏡餅とは違い、柔らかいまま成型しているので崩れないように魔法を使用して飾る予定。いっつふぁんたじー。
前回の反省を生かして、レイアウトには細心の注意を払った。基本的に中央は空ける。壁際に料理やフォトスポット、そして前回好評だった露店も設置。
クリスマスと違い大晦日は大掃除やらなんやらで、なんだかんだと早い時間に来る人が少ない気がしているので、少しのんびりめに準備。
かくいう自分も大掃除はしていない。実は昨日は書類の確認やら準備でばたついてしまっていたので掃除が出来ず。けれどもともと今日は臨時でハウスキーパーを呼んでいたらしく、洋士は自分で掃除をする気は微塵もなかったらしい。郷に入っては郷に従えと言うし、今回は僕もお言葉に甘えて楽をすることにした。
でも気がかりなのは本宅の掃除。まさか年を跨いで迄洋士の家にお世話になるとは思っていなかったので、結構埃とか溜まっていそうで気になる……。特にどこぞの付喪神達が勝手にどんちゃん騒ぎをして荒らしていないかが不安でならない。ハウスキーパーを派遣するかと洋士に聞かれたけれど、さすがにそこまでしようとは思わないし、何より自分が住んでいる家は自分で掃除をしたい(大惨事になっていたら怖いというのもある)。年末大掃除は諦めて、帰宅後にしっかり掃除をしようと心に決めた。いつ戻れるのか全然分からないけれど。
カウントダウンパーティーは、クリスマスと違って料理の種類が二日間で違うので事前準備はこちらの方が多くかかった。何より、おせち料理は重箱に詰める量こそ少ないものの、品数が豊富。正直、大半の時間がおせち料理に消えたと言っても過言ではない。
そんなおせち料理、通常サイズの重箱に詰めたのではパーティーで大人数に提供するには心許ない。そういう訳で今回は、かなり大きめの重箱を配信を通して細工系熟練度持ちのプレイヤーに特注。クリスマスのときは皿にこだわらなかった為、料理さえ作ってしまえばシステム側で用意されていた皿と共に複製が可能だった。けれど、おせち料理には重箱が必須。そして複製するには食材同様、重箱も事前に用意をしておかなければならない。
一体どれだけの数複製すれば良いのかは正直未知数だったので、今後別のイベントの時にでも再利用しようと決意し、各段の為に百個ずつ、計三百個用意して貰っていた。これで足りなければ残念ながらおせちは終了となる。
「まあでも、たいていの人はカウントダウンを楽しみに来るだろうからおせちはそこまで出ない……かなあ」
ああでも、一人暮らしだとおせちを食べないからこの機会に、って言う視聴者がコメント欄で結構多かったし、メインはおせち料理だろうか。
百個ずつでは足りなかったのではないかと今更不安に駆られたけれど、当日を迎えてしまったのだからどうしようもない。今回は見込みが甘かったので次回から気を付けます、と言う以外はないだろう。
ゆっくり目に準備を行い、全て完了したのが午前六時。それでも結構時間があるなあ。クリスマスパーティーのとき同様、エリュウの涙亭の入り口横の壁にゲートを設置。さて、今年も後十八時間。悔いが残らないように精一杯楽しみましょう。
ちなみに和服はこの日の為に新たに仕立てた。正月なので紋を入れるのが一番良いのだろうけれど、さすがにゲーム内で紋は入れられないので、着物と羽織のアンサンブル、それに合わせた袴の三点全てを新たに仕立てることで気持ちを切り替える作戦にした。今回は金属糸で織った戦闘用装備ではなく、純粋に服としての機能のみの所謂アバターなので、料金は控えめ。まあシヴェフ王国で和服を仕立てている段階でそれなりに費用は取られているから、一般的な洋服よりずっと高いんだけどね。
アインも僕に合わせて和服姿。初めての和服はさぞ歩きにくいだろうと考え、袴はなしの着流しスタイル。本人が色白なので濃いめの色にしてみました。スリムボディに和服は補整をしてもどうにもならない筈なのに、そこはゲーム、それらしい人間体型で着こなしてくれた。骨の羽織紐なんかがあれば完璧だったんだけどな。
「早く誰か来ないかな……」
早い時間にはほとんど誰も来ないだろうと予想しつつも、ゲートも設置したので主催者不在という訳にはいかない。けれど誰も居なければそれはそれで手持ち無沙汰、とどのつまりは暇なのである。話し相手が欲しい。さすがにアインと二人だけでずっと雑談と言うのは厳しい。何よりアインは筆談しか出来ないので、書きつかれたのか、本人がもう手を動かしたくない様子。
「う、うーん……今は配信も切ってるし……誰か来るまで執筆でもしちゃおうかな」
予備の原稿用紙と筆記用具を広げ、前回の続きから書き始める。基本的に僕は最初にがっつりプロットを作り上げてから執筆する為、文章の書き方はともかく内容で迷うことはほとんどない。誰かが来れば入り口のインターホンが鳴る設定にしてある為、没頭し過ぎて来客に気付かない、なんて事態も防げる寸法。
「げくん、れん……くん?」
突然アインに肩を叩かれ、僕は文字通り飛び上がった。
「うわっ!?」
宙を舞った原稿用紙を慌ててかき集め、僕は横に居たアインの視線が指差す方向、前方へと顔を向ける。
「あ、ああヴィオラ……来てたんだね。インターホンが鳴ったように思えなかったのだけど」
「しっかり鳴ってたわよ。それに何度も声もかけたし……大丈夫? 私じゃなかったら色々アウトよ、今の。まあ私でも駄目だとは思うけど」
どうやら僕は自分を過信していたようだ。インターホンが鳴っても気付かぬ程集中していたとは……。ヴィオラの言うとおり、さすがに原稿用紙に執筆をしている姿を目撃されたら作家ですと公言しているようなもの。本当にヴィオラで良かった。いや、ヴィオラでも駄目なんだけれど……。