36.自画自賛したってことじゃないか
二度、三度と検証を繰り返し、僕はひたすらココアを飲んだ。他の飲み物にしようかとも考えたけれど、選択する飲み物の種類によっても結果が変わることを懸念して、あえてずっとココアを飲んでみた。
結果として、ボーダーラインは二十分だと判明。二十分経ってしまえばログアウトしても吐き戻すことはなかった。今は三百ミリリットルの検証結果なので、それを踏まえて明日また、脳波検証も兼ねて一リットルで再実施をすることに。
「二十分ですか……もう少し短ければ、GoW以外で血液摂取が必要になった際も使えるかと思ったのですが、ちょっと長いですね。血液摂取後に口内をリフレッシュ出来る方法を導入すれば、短縮出来るかなあ……」
最後の方は僕に言うという訳ではないようで、ぶつぶつと呟くような感じだった。GoWの為にここまでして貰うのも忍びないのに、僕の普段の生活のことも考えてくれるなんて本当に申し訳がないです……。でも多分、血液摂取をする必要がある用事なんてまずないので大丈夫ですよ?
ちょうど検証が終わったタイミングで早川さんと洋士が部屋にやってきた。どうやら話とやらが終わったらしい。僕の表情を見て、早川さんが一瞬ぎょっとした表情を見せた。あれ、僕なんかおかしいのかな?
「お前、瞳の色も変わってるし、瞳孔も開きまくってるぞ。相当な量の血液を飲んだな?」
「あー……そう言えば瞳の色が変わるんだっけ。すっかり忘れてたな。ちょっと待って、戻すから。……どうやって戻すんだっけ?」
もう何百年もまともに血液なんか飲んでないから、忘れちゃったよ。やばいやばい。
「お前本当に……いや、何でもない。こうやるんだよ」呆れたような表情を浮かべながら、洋士が実践してみせた。そうか、瞳に手をかざすだけなんだっけ。当時は妖術みたいだなって思ったんだ。いや、今も思っているけれど。かざすだけで戻るって普通に考えてありえなくない?
「戻った?」と僕。頷く洋士。良かった。でもちょっと身体の方はまずいかも? さっきからぞわぞわする。久し振りにかなりの量を飲んだせいだろうな。皆の動きが緩慢に見えるし、他の部屋からの声もたくさん聞こえてくるし、とにかくここから逃げ出したい衝動が強い。
「ごめん、ちょっとまずいかも。目が回りそうだし頭もパンクしそう。久々すぎて処理の仕方すら怪しいみたい」
僕が言うと、洋士は頷いて早川さんたちに事情を説明し始めた。そうか、今僕が話している言葉も、僕の感覚では普通の速度だったけれど、速すぎて早川さんたちには聞き取れなかったのか。
「分かりました。本日はご足労いただきありがとうございました。蓮華様とは明日も検証をする約束をいたしましたが、落ち着いてからの方がよろしければ日程の再調整も可能ですので落ち着いたらご連絡いただければと思います」
小林さんの間延びした声が微かに聞こえる。ああ、確かに今日の明日じゃ自分の身体の制御が難しいかも。と言うより、久々すぎて一概に「明日なら摂取した血液の効果が切れているから大丈夫」との判断も出来ない。効果が切れた状態で検証しない限り、脳波測定にも影響が出る筈。リスケジューリングと言う小林さんの判断は正しいだろう。
そう言ったニュアンスのことを、僕は洋士に伝えたと思う。思う、と言うのは既に他の部屋から聞こえる何百という声のせいで、僕の処理能力が限界に達してしまい、そのまま気を失ってしまったからだ。
目覚めたときには最近見慣れてきた洋士の自宅で、僕は何故ここに居るのだったかと記憶を反芻している最中。相変わらず四方八方から聞こえる声やらテレビの音やらがうるさいけれど、留守にしている部屋も多いようで、ひとまずソーネ社よりは幾分ましな状態。
まずは部屋を出て、早速洋士に謝罪をしなければ。
「ごめん洋士、凄く迷惑をかけた」
「気にするな。お前がそこまで吸血鬼としての本能を忘れていることを見誤っていた俺の責任だ」
凄く馬鹿にされているけれど本当にその通りなのでひたすら平謝りするしかない。「天気が悪いし、ソーネ社へは自分の足で行くよ!」なんて言っていたら今頃大変なことになっていた筈だ。本当に洋士が送迎してくれて良かった。ちょっとでもあの作業部屋へ来てくれるタイミングが遅れていたら、今頃どうなっていたか分からない。
「それで? 今はどんな状況だ。まだ処理が追いつかない位気持ち悪いか? 制御する方法を教えられる程度には回復しているか?」
「ん、今は大丈夫かな。ソーネ社よりは周囲に居る人も少ないし、必ずしも会話してる訳じゃないから。本当ごめん、僕が自分で思い出せれば良いんだけれど……これが全然思い出せなくて」
「まあ、お前は昔から必要以上には血液を摂取していなかったしな。割と平和になったから、とか言って江戸に入った辺りから頻度が落ちたんだったか? 俺に言わせればどこが平和なんだって話だったが。お前の教え方があまりに下手すぎて、お前の師匠に直接教わったのも良い思い出だな」
笑いながら洋士が言う。う、そうだった。僕の教え方があまりにひどすぎて、堪忍袋の緒が切れた洋士が直接師匠に質問しに行ったことがあったんだった。我ながら情けなさ過ぎて、あのときはかなり落ち込んだものだ。そこまでは覚えているのに、肝心のやり方については全く思い出せない。
「さて……ひとまず対応方法としては二種類あることを覚えているか? 一つは今の状態に慣れた上で、自分で情報を取捨選択する方法。もう一方は、自分の感覚をある程度落とすことで何も考えずとも情報をシャットアウトする方法。手っ取り早いのは後者だから、後者を思い出させてやりたいところだが……、自分の身を守ると言う意味では、圧倒的に前者の方が良い。だから前者の方法を思い出させる」
「前者じゃないといけない理由は何? 戦争が起こってる訳でもあるまいし、今の時代にそんなに警戒しなきゃいけないことなんてある?」
「確かに戦争は起こっていないが……、あんたももう、他の種族が普通に日本で生活していることは分かっただろう? 俺たち吸血鬼は、比較的悪いイメージを持たれやすい。命を狙われてもおかしくはないってことを自覚しているか?」
「言いたいことは分かるけれど……吸血鬼だってばれなければ問題ないんじゃないの?」
「甘いな。鈍い奴だって、人間じゃないってこと位は分かる。勘が鋭い奴にいたっては、見かけただけで相手の種族は分かるだろう。この間見かけたエルフも間違い無く俺の正体に気付いていたしな」
突然の洋士の発言に、僕は自分の耳を疑った。
「ちょ、ちょっと待って……、今エルフを見かけたって聞こえたんだけれど。いつ、どこで? つい最近の話!?」
「つい数日前、あんたから書籍の買い物を頼まれたとき。まあ、あの感じじゃ仲間を呼んで急襲、じゃなくてどうやって俺から逃げるか、を考えているように見えたから脅威にはならないと思うが。まあとにかく、それくらい道を歩けば普通に遭遇するんだ、気を付けるにこしたことはない。分かったな?」
僕はしぶしぶ頷いた。別に洋士の提案に不満があるから腐っている訳ではない。あれだけ探していた他種族が普通に日本に暮らしていることや、僕ら吸血鬼は敵対しやすい立場にあると言う事実を突きつけられたことに納得がいっていないだけだ。だって洋士は絶対前から分かってたでしょ……もっと早く教えてくれても良かったのに。
先程から確信をもって断言している辺り、多分、洋士は他の種族から襲われたこともあるのだと思う。血液を摂取していれば身体能力があがるとは言え、洋士自身はもともと武力方面はからっきしだった筈。こんな話を聞いて、心配しない筈がない。
「あんたが妙に他の種族に対して淡い期待を抱いているから言いにくかったんだ、許せ。そんなことより制御方法についてだが、一度は自分でやってたんだから説明さえ聞けば思い出せるだろ。まず、視覚と動作については諦めろ。遅い速度に慣れて、それに合わせて話したり歩いたりする習慣を心掛けるしかない。ポイントは、必ず相手から行動や会話を開始して貰うことだ。基準となる速度についてはそれで間違えずに済む」
僕は頷いた。視覚情報はかなりの重要度だ。不測の事態に備える必要がある場合、ここの感覚を落とすことは出来ないので、慣れる方向でいくしかない。動作に関しても同様。目で動きを捕らえられていても、身体がついていかなければ対処のしようがない。戦国時代の戦の日々も、そのお陰で生き延びられたと言っても過言ではない。勿論、僕は他の吸血鬼よりも摂取量が少なかったので、ここまで劇的な速度を体感することは滅多になかったけれど。
「次に、聴覚について。これに関してはあれだ。右だけ聞きたければ右に耳を澄ませて、左を聞きたければ左に耳を澄ませれば良い。全体的に話を聞き流したければ、目の前の音にだけ意識を集中すれば良い。これで分かるか?」
ああ、そう言えばそうだったな。とにかく集中したい方向に意識を向ければ、勝手に耳がチャンネルを合わせてくれる、そんな感覚。早速試してみると、上手くいったので洋士に向かって頷いた。とても分かりやすい説明ですぐに勘を取り戻せたよ、ありがとう。
「おい……あんたが昔、俺に説明した内容を復唱しただけだぞ。これで伝わる筈がないって証明したかったのに、なんでそれで理解出来るんだよ」
洋士が少し不機嫌そうに言う。僕の言動にケチつける為だけに言ったのかよ。とても分かりやすい説明だと思った僕の感動を返して欲しい。要するに僕は自画自賛したってことじゃないか、恥ずかしい。
「はあ……あんたがなんで説明が下手なのかは、よーく分かったよ。なんでも感覚でやってのけるから説明のしようがないんだな。なんで作家が出来ているのかは甚だ疑問だが、まあ制御出来るようになったんだから素直に喜ぶべきか……。あとは検証の続きだな。小林さんには明日の検証は一旦中止と伝えてある。都合の良いときにでも行ってこい」
「分かった、ありがとう。小林さんの話で思い出したんだけど。なんか今日、洋士がソーネ社に凄い額を投資してて、それが何故か僕が依頼したことになってるって聞いたんだけど、なんで? 僕そんなこと言ってないよね?」
「いや、あれだ。ほら、あのー……あんたが! こっちに来てから全然素振りが出来ないって言ってただろう? だから投資ついでに、使い道について相談したんだよ。GoWのプレイヤーの熟練度が現実とリンクしているなら、都内にそういう訓練が出来る施設があった方が良いんじゃないかって、うん。だからあんたからの依頼で間違いないだろう? な?」
しどろもどろになりながら説明する洋士。こいつ、僕の耳に入らないこと前提で僕の名前でことを進めてやがったな……。
「確かに素振りが出来る空間がないとは言った。でも、投資のとの字も僕は口にしていないよね? 僕の依頼になってる段階で間違いだらけなんだけど? 洋士が自分のお金をどこでどう使おうが構わないけれど、僕の為に使おうとするのは本当にやめて欲しい。本当に。僕がお返し出来なくて困るから、本当に頼むよ」
”本当に”を強調して三回言ってみたけれど、きっと洋士には通じないんだろうなあ。今だってとりあえず頷いてる感じが凄いもん。絶対分かってないよこいつ。あと、本人は全く気付いてないけれど、僕をおちょくるときだけ”お前”呼ばわりで、立場が悪くなると”あんた”って言ってくるから噓が分かるんだよね。そう言うところが実に可愛い息子です。
ただまあ、迷惑かけておいてこんなことを言うのはなんだけど、怒られるのを分かっていてわざと黙っているのはやっぱり腹が立つよね。