241.傀儡
現在に伝わる歴史と史実で、決定的に違うのは頼朝様の死亡時期。一一九九年に亡くなった事になっているけれど、実際には一一九六年に亡くなってる。その死を隠したのは二代目である頼家様……の皮を被ったなにかだったんだ。
だけどあの時の僕は違和感を感じながらも毎日必死に職務をこなしていた。と言うのも頼朝様の死後、澄明は頼家様に仕えず、いつの間にか姿を消していたから。皆安堵したのと同時に、それまで頼朝様と澄明で握っていた事で、ろくに引き継ぎもなく割り振られた仕事がたくさんあって、てんやわんやだったんだ。
これは後々分かった事だけど、澄明には「死者を操る」という切り札があった。多分、この頃から既に頼家様は澄明の傀儡と化していたんだと思う。朝廷側に頼朝様の死を隠した理由について当初、「元服前だから」という頼家様の言葉に僕達は納得していた。事実、急いで元服の儀をするにしても誰一人手が空いていない。それでようやく落ち着いてきた頃、元服の儀を行ったんだ。ところが、頼家様は一向に頼朝様の死を世に伝える気配がなかった。
痺れを切らした朝光が一一九八年も残すところあと数ヶ月……というところで頼家様にその事を問いかけ、翌一一九九年始めに亡くなった事にしたんだ。だけど、その為の工作も口裏合わせも全て朝光を始めとした近習が行った。
頼家様は、頼朝様が本当に亡くなった一一九六年を境に徐々に様子がおかしくなっていた。結果として、この工作を行った近習を中心に、十五人の合議制が結成された。
以降、日に日に頼家様に対するなんとも言えない違和感は強くなっていった。それを理由に鎌倉を出る家臣もちらほらと現れたくらいだよ。それでも実質的に政務を行っている僕達が逃げる訳にもいかないし、もっと早くに西国へと逃げなかった事を後悔しながらも日々を過ごしていた。事態が急変したのは一年後。景時が朝光の断罪を求めた事がきっかけだった。
朝光は多分、頼朝様が亡くなってからの頼家様の様子を見て、見限っていたんじゃないかと思う。だから景時が「『頼朝様が亡くなった時に出家すべきだった』と朝光が発言しています。これは断罪に値する誹謗です」と頼家様に直訴したと聞いた時、あり得る事だと思っていた。正直な話、程度こそ違うけれど、皆同じ事を思っていたからね。
それで……残念ながら、これを機に、景時に対する他の近習からの信頼は一切失われてしまった。景時はその職務上、元々恨まれやすかったから余計に。あとは伝わっている歴史通り……、この機会を待っていたとばかりに揃えられた連判状により景時は失脚。当然の事ながら様子がおかしい頼家様は景時を救う事はせず、景時は一二〇〇年の正月に討たれた。
ここだけの話だけど、朝光は頼朝様のお子だった。だけど頼朝様はそれを明かさず、乳母の孫として育て、朝光もまたそれを受け入れて、頼朝様を主として支えていた。だからだろうね……朝光にとって、異母兄弟である頼家様の行動は理解出来なかったんだと思う。勿論この辺りは吾妻鏡には記載されていないけど。
僕は景時の行動も、朝光の発言も理解出来るし、正直なところどちらが悪いとは言えない。ただきっと、これが本来の頼家様だったら景時を宥めつつ、朝光の発言も厳重注意程度で済ませただろうなと……、いや、そもそも朝光があんな発言をする事も、景時に恨みを抱いた御家人達による連判状事件に利用される事もなかっただろうなと思うとやるせないよ。
……ごめん、話が逸れたね。とにかくそれまでは、誰もが頼家様との接触を最小限に留めてて、その代わりを景時が務めてくれていたんだ。だけど景時は亡くなったから、各々が頼家様と顔を合わせる事になる。その結果、頼家様はどうも病を患っている事が分かった。だけど頼家様本人は医師による診察も、験者や陰陽師による加持・祈祷も行いたくないと言う。景時は本人の希望通りにしたんだろうけど、さすがに全員が知るところとなった以上、「そうもいかない」という話になって、医師と験者と陰陽師を招いたんだ。
彼らは頼家様を見るや否や、三者三様の言葉で頼家様の状態が尋常ではないと訴え始めた。医師曰く、脈拍が弱く、うっすらと死相のようなものも出ている。験者と陰陽師は気が乱れていると言い、呪詛の可能性に言及した。だけどその場ですぐ原因が分かる訳でもないから、気休め程度の処方と祈祷だけして、調査すると言い残して帰って行ったよ。
そこからだ……。頼家様に仕えていた者が一人、また一人と消えていったのは。最初は、頼家様の状態に恐れをなして皆逃げたのだと思われていた。ところが暫くして彼らの家族がやってきて、行方を聞いてきた。そこで初めて、本人の意思に反した失踪なんじゃないかという事になって……、いよいよ鎌倉の地は混乱に陥った。暇乞いを願う者はあとを絶たないし、なにも言わずに消えた者が、ただ逃げたのかそれとも消えたのかの区別も付かない。
そして僕も、家族や使用人を伴って西国へと向かう事にした。と言っても逃げる訳じゃない。家族だけを送って、僕だけは戻ってくるつもりだった。
その道中……僕は最愛の人を亡くした。妻の時子だ。共に旅をしていた仲間達に襲われ致命傷を受けて……、息子は母を助けてくれと懇願した。だけど妻は死なせてくれと願った。「どうか私を使って生き延びてほしい」と……。僕は妻の願いを聞き入れ、その血を貰い受けた。結果として生き延びる事は出来たけれど、息子との縁は途切れてしまった。母を見捨てた僕を、彼は許さなかった。
ああ、ごめん、また話が逸れてしまったね……。
どこまで話したっけ。そうだった、鎌倉の異変についてだったね。それで、時子の血を飲み、僕達を襲った者を一掃した結果、彼らがとうの昔に死んでいたと分かった。倒した直後に腐り始めた時は我が目を疑ったよ……。なにが起こっているのかは分からなかったけれど、這々の体で皆を西国に送って、鎌倉に戻ったところで頼家様をみた験者や陰陽師から報告があった。
どうやら、頼家様の身体には死霊が取り憑いているらしい。そしてそれが強くなりすぎて、頼家様はもはや余命幾ばくもない、と。
験者はこうも言っていた。術者は恐らく時間をかけて事を為したはず。頼家様の様子がおかしくなる前、長く彼の側に居た者は居ないかと。
そう聞いて真っ先に思い浮かんだのは河原澄明だった。そして彼が時子を殺した本当の犯人だともね。