221.午後の部
僕は配信内で自分の職業を明かしていない。篠原さんと約束をしていた日も、仕事の話はオフィス街に着いてからしていたので問題ないはず……。それなのに。
「いつも配信見てます! あ、書籍も楽しみです!」
「なにをしたらあんなに強くなれるんですか!? あ、本はあとでじっくり読みます」
「さすがに現実ベースのアバターでプレイするのはどうかと思いますよ……? あ、サインありがとうございます」
「今度パーティ組んでくれませんか? どうしてもクリアしたいダンジョンがあって……。あ、ファンです!」
などなど。サイン会開始一時間後くらいからだろうか? どう考えてもサイン本が二の次としか思えない発言をする人達が目に見えて増えてきた。
これはあれだ。どこかの誰かが僕の顔を見て、GoWプレイヤーの「蓮華」が「蓮華陽都」だと掲示板に書き込んだんだとしか思えない。
勿論こうなる事は覚悟の上だったし、本が売れるのだから文句はない。だけどどう考えても僕の本なんて一度も読んだ事ないだろうに、この為にわざわざ購入してくれたのが申し訳ないというかなんというか……。別に配信内のコメントで済むよね? なんでわざわざサイン会に来たのかな、皆。
ちなみに、ナナとガンライズさんがやってきた時にはちょっとした騒ぎになっていた。どうやら二人のファンが居合わせたらしく、列が乱れてしまったのだ。ナナが即行で収めたので事なきを得たけど。うーん、洋士が秘書にと考えるだけある。
こうして想像に反して平和的に前半が無事(?)に終了し、少し遅めのお昼休憩を挟んで午後の部。相変わらず何人かに一人は配信の方のファンが混じりながらも、概ね平和だった。
不穏な空気は、とある女性の発言から始まった。
「『月下の侍』は、ノンフィクション小説なんですか?」
『月下の侍』とは、僕の作品の一つで、複数巻刊行している長編時代小説だ。既に完結済みなので、残念ながら今回のサイン対象書籍には含まれていない。
「いえ、フィクションです。『月下の侍』がお好きなんですか?」
書籍を手渡しながら、女性へと質問を投げかけてみた。
「ええ。あまりのリアリティに、先生がご経験した事を書いているのかと思うくらい」
「作者冥利に尽きます、ありがとうございます」
サイン会の醍醐味はこうして直接書籍の感想を伝えてもらえる事なんだな、と改めて感動していると、再び女性が口を開いた。
「ほら、才能がない人でもノンフィクションは書けるって言うじゃないですか。最近お書きになってる小説はなんというか……、面白くないと感じてしまったので。先日の政府の発表を見て、もしかして月下の侍はノンフィクションなのかな、って。ああ、気を悪くさせてしまったらすみません」
「……あ、えっと、ご期待に添えずすみません。今後は頑張ります」
面と向かってこういう意見を言われた事がないので少々新鮮に感じつつ、無難に済ませておく。それにしてもこの人、ただ感想を述べているようにみせかけて、暗に「人外じゃないか」と探りを入れてきているなあ。
「申し訳ございませんが、お時間になります」
なおもなにか喋ろうとした女性に先んじて口を開く佐藤さん。渋々、といった表情で女性は立ち去っていった。
「お次の方どうぞ、お待たせいたしました」
佐藤さんがそう言って先頭の男性に声をかけたタイミングで、後方から大きな声が聞こえてきた。
「おいおい、人外のファンがこんなに居るのかよ、世も末だな!」
「いやいや、きっと皆騙されてるだけだって。さすがに分かってたら並ばないでしょ!」
「みなさーん、そこの蓮華陽都って作家は、人外ですよー気を付けてくださーい」
突然聞こえた複数人の声に、並んでいた人達も「え、なに?」「人外?」「いきなりなに? うるさいわね」「運営さーん、対応お願いします!」などとざわざわし始めた。
予想通りと言えば予想通りだったので、運営スタッフさんがすぐさま問題の集団へと駆け寄り対応。とはいえ彼らは騒ぎを起こすのが目的なので、スタッフの制止も聞かずに叫び続けている。僕の位置まで聞こえてくるくらいだ、よほど大きな声で叫んでいるとみえる。
僕は「お騒がせしてすみません」と断りを入れてから、目の前の男性から書籍を受け取り、サインを書いていく。その間も後方からは大声が聞こえてくる。
「え、なになに? もしかして運営側もグルなの? 人外だって分かってて庇うとかまじかよ!」
「いやいや、迷惑なのは人外なのに人間のフリして生活してるやつらでしょ? それに見てよ、これ。俺達だってちゃんと書籍は買ったんだからお客様じゃん」
「は? なんの権利があって追い出すとか言ってんの? いいよ、分かった。じゃあ返金してよ返金。どうせ読まないし、サインも貰えないなら金の無駄だから」
「おい、ふざけ」
突然途切れた声に、感じていた視線が一気に減るのを感じた。皆後ろの様子を確認しているらしい。ところが、僕の目の前の男性は「おや?」という表情をしただけで後ろを向く事なく、それどころか握手を求めてきたではないか。随分と肝が据わっているな、と驚いていると、スタッフさんがよく通る声で説明し始めた。
「大変失礼いたしました。迷惑行為を行った方は店側の権限にて強制転移を行いましたので、引き続きサイン会をお楽しみください。なお、店内入り口にも書かれております通り当店は迷惑行為に屈せず、しっかり対応しますのでご安心ください」
安堵の溜息や、困惑した声、様々な感情が交差している。別の作家さんの列からも、心配そうな表情と迷惑そうな表情、半々程度の反応が見て取れる。
白けた空気の中、僕の目の前の男性が意図的にか、声を張り上げた。
「いやあ! 騒ぎのお陰で他の人よりもたくさん蓮華先生とお話出来て本当にラッキーです! すみません、最後に一言良いですか? 僕は先生が人間だろうがそうじゃなかろうが、作品が面白いのでどうでも良いんですけど、もし人間じゃないなら……、って妄想はしてみたんです。先生が何百年も前から生きてたら……。ずっと作家として生計を立ててたら……。もしかして、別名義でたくさんの作品が世に出ているんじゃ!?って。そう考えたらもう、いてもたってもいられなくて、古本屋さん巡りにハマっちゃってー。最近散財気味なんですよね、あはは」
「……ご存じかもしれませんが、実は僕、サイン会は初めてなんです。それで、だから……とにかく、今日の事は忘れないと思います。すみません、あまりにも嬉しくて作家なのに全然言葉が出て来なくてごめんなさい」