219.サイン会、開場
ついにサイン会が始まりましたーーーーー!!!!!
ついにサイン会当日。
佐藤さんもあれ以来おかしな言動はせず、しっかりと本来の業務をこなしてくれている。聞いた限りでは、営業部の斉藤という人は懲戒解雇処分になったらしい。
佐藤さんの証言一つで?と驚いていたら、実は篠原さんが録音していた証拠が山のようにあったらしい。積極的に行動に移すつもりはなくてただ録り溜めていたようだけど、今回の佐藤さんの件で産休中の篠原さんの元へも事情聴取が行われ、それならばと全ての証拠を提出したらしい。それはもう、佐藤さんが聞いた内容なんて序の口で、録音を聴いた人全員が青ざめるような発言のオンパレードだったとか。
そういう訳で無事解決、佐藤さんは僕の評判を落とす必要がなくなった。ただ勿論、佐藤さんもお咎めなし、という訳にはいかない。事情を知った篠原さんからは相当お灸を据えられたらしいし、僕の担当も今日限り。暫くは自宅謹慎だそうだ。
スタッフさんの「開場五分前です!」というかけ声を合図に、他の作家さんとの雑談を切り上げ、自分に割り当てられたスペースへと戻って深呼吸。
「いよいよ始まりますね。初めてのサイン会、緊張していますか?」
「緊張してないと言ったら嘘になるけど、ここまできたらむしろ高揚感の方が大きいかな」
きちんと正しい時間に集合出来たし、一通りの流れは頭に入っている。サインも昨日のうちにたくさん練習をした。例の件の対策方針も決まっている。出来る準備は全て行ったのだ。あとはもう、なるようになれ、という感じ。
「まああとは、サインをしながらファンの人と会話をする能力が……僕にどれだけあるのか次第かな……」
そう。唯一の心配はそこだ。ずっと田舎の一軒家に引きこもっていたから会話能力には自信がない。それでも一応、ここ最近はGoWの配信を通して視聴者さんと交流していたし、多少は上達している、はず。
「先生の作品の感想を語る方が大半でしょうから『ありがとうございます』で良いと思います。余裕が出てきたら一言添えていただければ。もし万が一問題のある発言や質問などをしてくる方が居ても、私の方で対処するので安心してください」
先日とは打って変わって協力的な佐藤さん。まあ元々黎明社と篠原さんを思っての行動だったのだから、社としての方針が決まった以上、僕を擁護する事に異論はないのかもしれない。
佐藤さんと話しているうちに、少しずつ書籍を手にした人々が会場に入ってきた。ちらり、と会場を見回す。他のスペースには、僕が足下にも及ばない作家さん達がたくさん居る。うう、その中から僕の元へ来てくれる人は、一体何人居るだろう……。
と、集団の中から、背の高い男性が迷う事なく僕の元へと進み出てきた。……洋士だ。
「……ずっとファンでした。会えて光栄です。これからも応援してます」
「……うん。良いよ、そういう演技は。心配で来てくれただけでしょう? さすがにトップバッターだとは思ってなかったけど、ありがとう。凄く嬉しい」
手渡された書籍の表紙裏に、さらさらとサインを書き入れてから返却する。現実と見紛うほどの空間だけど、あくまで電脳空間。だから間紙をはさまずに書籍を閉じても大丈夫らしい。実に便利な仕様だ。
「なんだ、せっかく配慮したのに……自分から身内だとバラして良かったのか?」
「さ、さすがにゼロ人って事はないと思うし! って、あれ!? 既に後ろに何人か並んでる!?」
「ふっ……、まさか誰も来ない事を心配してたのか? 俺は単に、身内だとバレたら恥ずかしいかと思って他人のフリをしただけなんだがな。これを機に父さ……あんたは、自分がどれだけ人気なのかを知った方が良いぞ、じゃあな」
そう言って、後ろ手に書籍をひらひらと振りながら去って行く洋士。うーん、我が息子ながらさまになっている。すれ違う人達の視線が洋士の方へと流れているのが見て分かる。
「お次の方どうぞ」
佐藤さんの支持に従って僕の前に書籍を差し出したのは……ヴィオラだった。外見こそGoW内で慣れ親しんだヴィオラだけど、オフィス街で浮かないようにかワンピース姿だ。髪は、いつだったか僕がプレゼントしたアイシクルフェザードリフトの髪飾りでポニーテールにしている。白いワンピースと相まって、夏先取りといった見た目だ。
「ちょっと聞いてよ蓮華くん、絶対私が一番乗りだと思ってたのに、サイン本が積まれてる場所を見つけるのが一瞬遅れたせいで二番になっちゃったのよ、悔しいったらないわ!」
開口一番これである。この二人は一体いつになったら仲良くなるのだろうか……。
「いや、僕はむしろ、二人とも来ると思ってなかったから凄くびっくりしたよ……」
「え? そんなの当然じゃない。蓮華くんの初サイン会よ!? 洋士くんもお祝いの準備を色々してるみたいだったけど」
「あ……、そうなんだ……。うん……」
身内が来る事自体は全然恥ずかしくないんだけど、この会話がいたたまれない。後ろで並ぶ人達には聞こえてないみたいだけど、少なくともすぐ後ろに控えている佐藤さんには丸聞こえな訳で。
「そろそろ交代の時間ね。あ、勿論こっちのお祝いは今日じゃなくても良いんだから、打ち上げとかがあるならそっちを優先して頂戴。連絡待ってるわ」
そう言って小さく手を振ってから書籍を持って去って行くヴィオラ。こっちはこっちでかなり目立っているようで、並んでいる人が目で追っている。
「お待たせいたしました、お次の方どうぞ」
心なしか、佐藤さんの声が震えている。これは絶対……笑ってるよね?