216.悪意
夜、GoWへログインすると視界右上部で封筒マークが光っていた。
差出人は黎明社の佐藤さん。きっと日曜日に提出した原稿についてだろう。
メールやフレンドなど相手が居るシステムは配信にモザイク処理が入るらしいので、配信は止めずに「ちょっとメールを確認するね」と一言告げてから開封。
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蓮華様
お世話になっております、黎明社佐藤です。
原稿データの送付、誠にありがとうございました。
クスリと笑える要素もあり、蓮華先生らしい素晴らしい作品だと感じました。
ただ、一つ問題がありまして……、弊社からお願いした文字数は一万文字だったと記憶しているのですが、いただいた原稿は五千文字となっています。
出来ましたら追加で五千文字分加筆いただくか、別の内容をいただけないでしょうか?
期日まであまり時間がない為、無理にとは申しません。
難しいようでしたら今回はこのまま対応させていただきます。
ご多忙中のところ、大変恐縮ではございますが、ご検討いただけますでしょうか。
お手数をおかけいたしますがよろしくお願いいたします。
また、今後はこのような行き違いがないよう、依頼内容は必ず書面にまとめさせていただきます。
この度は誠に申し訳ございませんでした。
佐藤
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「うん……?」
おかしいな。確かに最近は自分の記憶に自信がなかったけど、だからこそ打ち合わせのあと即座にメモを取ったのに。
メモには三千〜五千文字って書いてたんだけどなあ……。万が一があっては困るから、と原稿を書く前に何度も何度も確認した記憶がある。
佐藤さんが言い間違えた……? いやいや、人を疑うのは良くないな。きっと僕が書き間違えてしまったんだろう。起きてしまった事をああだこうだ言っても仕方がないし、まずはどうするかを考えないと。
幸いな事に、アイディアをこねくり回したり、原稿にまとめる段階で膨大な量を書き出したので、あと五千文字を追加するくらいは全然問題ない。
だけどこんな状態で「さあ、セルヴァリス子爵を救出しに行こう!」とは到底思えない。佐藤さんも胃を痛めてるだろうし、原稿に専念した方が良さそう……。
「ごめん、ちょっと仕事がトラブっちゃったみたい。暫くそっちにかかりきりになると思うから、作戦は僕抜きで決行してくれる?……と」
パーティチャットにぽちぽちと文字を入力して送信。既にログインしていたヴィオラやガンライズさんから即座に「了解」と返ってきた。
「と言う訳で、暫くはこっちにログイン出来ないかも。ごめんね皆」
≪いやいや、仕事優先やで≫
≪大丈夫?無理しないでね≫
≪胃に穴があく奴や……!≫
≪体調には気を付けて≫
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切りの良いところまで作業を進めたので、息抜きにログアウト。リビングに居た洋士の表情が「話がある」と語っていた。
「仕事でトラブったって?」
当たり前のように状況を把握している洋士。忙しいだろうに、一体いつ僕の配信を見ているのやら。
「そうなんだよ……。向こうからの依頼は一万文字だったらしいんだけど、僕が打ち合わせ直後に書いたメモには三千から五千文字って書いてあって。だから五千文字で提出したら足りませんって言われちゃってさ」
「いよいよ記憶力に自信がなくなってきたよ……」と言うと、「馬鹿なのか?」と洋士。うっ、容赦がない。
「そうじゃない。年は取らないのになんで記憶力だけ『低下する』と思いこんでるのか、と聞いてるんだ」
「だってなんか最近物覚えが悪い気がして……」
「単純に脳が疲労してるだけだろう? ただでさえ俺達は眠らないんだから、自主的に休めないとフル稼働しっぱなしじゃないか」
「あー……、確かに……。GoWやってるか執筆してるか読書してるかで脳を休ませるって考えがなかったかも」
「今後は適度に脳を休ませた方が良い。……それはそれとして、打ち合わせ直後に書いたメモの内容が間違っている、というのはさすがに考えにくくないか? どちらかというと録音も録画も出来ない環境を利用して、父さんを陥れる為に嘘の情報を教えたとしか思えないが」
「ええー? さすがにそれは考えすぎだよ。そんな事したって佐藤さんにメリットがないでしょ?」
「……サイン会の情報は連携されてるか? 報酬は? 当日の集合場所や時間、流れは?」
「えーと、三月三日土曜日、午前十時からサイン会開始。集合場所はオフィス街の『綴じの庭書店』裏口で、時間は朝九時半。流れは集合してから説明するって佐藤さんが。報酬については営業部門の人が直々に説明してくれたよ」
「当日のスケジュールはその佐藤ってやつが伝えてきたんだな? ……一般解禁された情報に父さんの名前がある以上『サイン会自体が嘘でした』って事はないはずだが、悪い事は言わない。一度別の編集者にサイン会に関する情報を確認してみた方が良い。それこそ父さんお得意の『忘れたふり』でな。……種族の開示も、結果次第では考え直した方が良いと思うぞ、俺は」
どうも洋士は佐藤さんが悪意を持って僕に嘘の情報を教えたと考えているみたい。どうしてそんなに確信を持って言えるかは分からないけど、残念ながら洋士の勘はよく当たる。
「分かった、ちょっと確認してみる。でも佐藤さんとは引き継ぎの時が初対面だったし、恨まれる覚えはないんだけどなあ」
結論から言うと、正しい集合時間は九時だった。気付かず九時半に行ってもサイン会に穴をあける事はない。原稿の文字量についてもそうだ。ただ、関係者の中での僕の評判は確実に落ちていたと思う。それを狙った、って事かな。
実は吸血鬼です、なんて馬鹿正直に告白したら一体どうなるか、想像すら出来ない。洋士の言う通り、今回は黙っている方が良さそうだ。
「電話に出てくれた編集さん、なにか察したのかは分かんないけどサイン会の情報を逐一伝えてくれるって」
「そりゃ良かったな。で? 佐藤だか加藤だかについてはどうするつもりなんだ」
「んー、でも洋士の言う通り、証拠がないしね。今後は書面に記録するって言ってたから大丈夫だと思うし、黙ってようかなって」
「それだって怪しいもんだけどな。現実世界の紙ならともかく、オフィス街でって事は紙の見た目をした電子データだぞ? あとからこっそり書き換える事も考えられるだろ。勿論変更履歴は残ってるだろうが、それに父さんが気付けるとは思えない。それよりも、編集長辺りに事情を話して執筆部屋での録音・録画設定を許可してもらう方が双方にとって良いんじゃないか?」
その上で執筆部屋へ佐藤を呼び、集合時間の件を聞く。最初はしらを切るだろうが、しつこく問い詰めれば本性を現すだろう、と言うのが洋士の意見だった。確かに、出版社全体が僕を陥れたいならともかく、佐藤さん個人の暴走なら黎明社側も協力してくれるかも。
「原稿の内容だって正当に評価するか……。そんな爆弾抱えたままサイン会に挑むなんてどう考えても無謀だ、さっさと証拠を突きつけて潰しちまえ」
よほど腹に据えかねたらしく吐き捨てるように言う洋士。なんだろうなあ、本当は僕が怒るべきなんだろうけど、息子が代わりに怒ってくれたからか全然怒りが湧いてこない。むしろ「どうしてだろう?」という疑問ばかり溢れてくる。
昨日から新作投稿開始してます(まだ2話ですが)。
魔女が余命十年の公爵の養女になる(はずだった)話です。作者初の女性主人公、かつ恋愛物……!(果たして書けるのか!?)
「国に飼い殺され続けた魔女、余命十年の公爵の養女になる? 〜養女契約のはずが、妻の座を提案されてしまった〜」
こちらも是非よろしくお願いします!