196.ペトラ・マカチュ
「アインの記憶を戻す事は出来るでしょうか?」
僕の問いかけに男性は首を横に振り、口を開いた。
「我々が出来るのは降霊、死者の魂を呼び寄せる事であって、魂内部に働きかける事は出来ません。残念ながらそちらに関してはお手伝い出来る事はなさそうです」
「そうですか……。では、マカチュ子爵令嬢の降霊を再度試していただく事は可能でしょうか。先日はゆっくりお話が出来なかったので、改めて話を聞きたいのですが」
「では子爵家のタウンハウスに行きましょうか。ペトラ嬢の遺品は手元にないですから」
「ユリウスさんも妹さんに会いたいでしょうしその方が良いですね。……いつでも来て良いと言われていますが、本当にいきなり行って大丈夫でしょうか? 先触れなんかは……」
「先日お二人の話を伝えに来られた時、私にもいつ来ても良いと仰っていたので大丈夫でしょう。子爵領の状況を考えれば、いつまた戻るか分かりませんし」
僕達としても日を改めるよりは一度に用事を済ませられる方が良いので、そのまま連れだって貴族街にある子爵家のタウンハウスへ足を運ぶ。
「興味本位で聞きますが、どういった理由で皆さん依頼されるのでしょう?」
「大半が死に目に会えなかった方や現実を受け入れられない方ですね。改めて別れの挨拶を済ませる事で前を向いて歩きたいと。あとは、借金の取り立てや恨み辛みを伝えたがる方、どうしても必要な物が見つからず、そのありかを聞きたがる方……まあ様々ですね。お話を伺って、裏を取って……基本的には嘘のない依頼はお受けしています。たまに居るんですよ、財産目当てで身内を騙る方なんかも」
「どうせ死者と対面したら身内じゃないとバレるのに何故分からないのか……」とぽつりと呟く男性。確かに……。うーん、本当に霊魂を降霊するのではなく、占いの類いで財宝のありかを当てると勘違いしているのだろうか。
「ああ、あと料金を前払い出来ない方はお断りです。降霊には体力を使いますから、数をこなせません。こちらも生活がかかっていますからね」
「なるほど。……借金の取り立てや恨み辛みの類いも受けるんですね?」
「生前の行いが悪かった故に招いた結果ですからね。言い方は悪いですが死んだ者勝ち……ではそれこそ悔しくて生者の方が死んでも死にきれないでしょう。あ、そう言えば降霊料込みで死者に請求した方も居ましたねえ……」
あくまで死者と生者の仲介者として、犯罪行為以外であれば依頼は受ける方針……だから当時マカチュ子爵令嬢に対する悪評を気にせず引き受けたのか。いくらかかるのかは分からないけれど、それを支払った上で真相を突き止められなかったとは……ますますユリウスさんが不憫だ。
「着きました、こちらです」
男性が指差す先には明らかに手入れが行き届いていない、半開きの門扉。その奥には荒れ果てた庭と邸宅も見える。分かっていた事とはいえ、こうして目の当たりにすると財政状況の悪さを嫌でも意識してしまう。それでも、タウンハウスが維持出来ているだけ十分マシなのかもしれない。
慣れた様子で門扉を押し、敷地内へと足を踏み入れる男性。「良いの!?」とは思ったものの、門番一人見当たらない為「お邪魔します」と小さく呟いてから彼のあとを追う事にした。
邸宅の正面玄関の扉に取り付けてある金具を打ち付け、訪問を知らせる男性。「気付かれなかったらどうしよう?」という僕の心配をよそに、ぎい、と小さく音を立てて中から中年の男性が顔を覗かせて、そして大きく扉を開け放った。服装的に執事だろうか。
「おお……これはこれは、モルドレイス様」
「本日は例の件で少し進展がありましたのでマカチュ子爵へお伝えせねばと思い……お取り次ぎいただく事は可能でしょうか」
「問題ないかとは思いますが、応接室にご案内いたしますので少々お待ちいただけますか。……失礼ですが、お連れの方は……?」
僕とヴィオラ、それからアインを見つめながら問う執事と思しき男性。穏やかな笑みを浮かべてはいるものの、怪しい者を屋敷に入れるつもりはないという強い意思を感じる視線だ。
「こちらは救国の英雄、蓮華様とヴィオラ様、それから蓮華様とテイム契約を結んでいるスケルトンのアインさんです」
「なんと……! これは失礼いたしました。その節は王都の守護にご尽力いただき、市民一同感謝しております。……ご案内いたします」
なんとも面映ゆい通り名で紹介されてしまった。執事の態度が軟化した事からして、僕が思っている以上に既にこの名称は王都中に浸透しているのかもしれない。……うわー。
半ば現実逃避気味に、邸宅内を観察しながら執事の後ろをついていく。外とは違って屋敷中は思ったよりも手入れが行き届いていて、生活に支障はないみたい。
「それでは主人に聞いて参りますので、こちらで少々お待ちください」
案内された応接室のソファに腰掛け待つ事暫し。ユリウスさんが息を切らしながらやってきた。「進展」と聞いて余程慌てたらしく、体裁を取り繕う事もしていない。
「すまないモルドレイス、待たせてしまった。……なにやら進展があったと聞いたが……」
「ええ。あまり良い知らせではありませんが一応お耳には入れておこうと思いまして。実はマーク殿が輪廻転生をしていない事が分かりました」
「……なに? だが確かにあの時降霊には失敗したはずだな?」
「ええ。ですから私も転生したと思っていたのですが、どうやらそうではなかったようです。こちらに居ます、蓮華様とテイム契約を結んでいるスケルトン……この方がマーク殿でした。前に提供いただいた手袋と呼応するかのように魂が光り輝きましたから、間違いございません」
「……そうか、スケルトンという器があるから……はあ、なるほど。だがそれはある意味朗報ではないか。これで本人の口から直接あの日の話が聞けるのだろう?」
「いえ、実はアインは記憶がないんです」
希望を得たとばかりに輝いていたユリウスさんの表情が、僕の言葉で一気に暗くなってしまった。
「……つまり真相は闇の中、か……」
「ですが先日の一件でペトラ嬢を縛る術は破られたはずです。次こそ彼女を呼ぶ事は可能かと思いますが、どうしますか?」
「あの日の話はさておき、もう一度妹と話して別れの挨拶くらいはしておきたい。だが肝心の降霊費用がな……」
これだけマカチュ子爵令嬢の事を気にかけていたにもかかわらず、未だに再度の降霊術を試していないのは何故だろうと思っていたけれど……お金の問題か。どうやら僕が想像していた以上に降霊費用は高いらしい。さっきマークさんを再降霊した際に払わなかったけど……大丈夫かな。
「ああ、お代は結構ですよ。妹君についてもマーク殿についても私の見立てはことごとく外れていましたから、そのお詫びとして改めて降霊を行わせていただくという事で」
「……本当に? だがそれはさすがに……」
「『真相究明』がご依頼の目的なのに降霊すら出来ないとなれば、詐欺師だと非難されてもおかしくありませんから。ここは一つ、私の名誉の為にも……」
「では好意に甘えよう。誰か、ペトラの私物を持ってきてくれないか?」
そうユリウスさんが使用人に命じた瞬間、異を唱えるように僕の胸元が光を発した。例のペンダントだ。
「あ……、これを使えば良いのではないでしょうか」
ペンダントを外しユリウスさんに渡すと、彼は一つ頷いてから口を開いた。
「このペンダントには魂の一部が入っているんだったか……ペトラとの繋がりが強さで言えばこれ以上の物はない、使ってみてくれ」
「それはまた……分かりました、試してみましょう」
神妙な顔で頷いたネクロマンサーの男性。先ほど同様事前の準備もなく、ペンダントを片手に降霊術を開始した。
モルドレイスさんの言葉に反応するようにペンダントの光が強くなり、目を開けていられないほど強くなった頃――突然弱まった光の先には、あの日に見た令嬢の姿があった。
『ここは……? ……そこに居るのはお兄様?』
「っ……! ペトラ……! 会いたかった……!」
現れた令嬢を抱きしめるユリウスさん。しかし悲しいかな、その手は彼女の透き通った身体に触れる事は出来ずいたずらに空を切るだけ。
「そうか……霊体だったな、触れられはしないか」
哀しげな表情で笑うユリウスさん。
『お兄様、元気でしたか? 少し……やつれたのでは』
「ああ、領地の状況が想像以上に悪くてな。だが心配するな、必ずや復興してみせる」
『ふふ、お兄様らしいですね。ところで随分と人が多いようですが、これは……一体……、……? ……マー、ク……?』
「な、見ただけで分かるのか!?」
『……やっぱりマーク、なのね……? ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! なんてお詫びすれば良いのか分からない……私がくだらないお願いなんかしなければ貴方を死なせる事もなかったはずなのに……!』
泣き崩れるマカチュ子爵令嬢。だけど記憶のないアインはなんの事だと言わんばかりに不思議そうに首を傾げている。罵詈雑言でも浴びせられると思って居たのか、その様子にマカチュ子爵令嬢の方も少々戸惑ったようにユリウスさんの方へと視線を移した。
「彼はその……スケルトンとして蘇る前の事はなにも覚えていない。お前がなにを謝っているのかも分からないのだろう」
ユリウスさんの言葉通り、アインはただ首を傾げるのみで、記憶が戻る素振りもない。
『そう、ですか……。それでも私が謝らなければならないのは事実です。ましてやその姿、先日の一件に巻き込まれたという事でしょう。……あら? お兄様、マークは森で死んだという事?』
「え? ……いや、私が聞いた話では森から王都へ戻り、お前の事を伝えた結果父上に殺されたと……」
マークさんの遺体はわざわざ王都から森に運ばれたという事だろうか。
『まあ、身体もマークのものとは限らないものね……? でもまだこの世に留まっている事もおかしいですわ。あの日、アンデッドは全て私の配下に居たはず。私が昇天したのにどうしてまだ動けるのでしょう』
「あ、それは僕とテイム契約していたからで……」
僕の言葉に、令嬢は少し考えてから首を横に振った。
『多分、違うわ。これはあくまであの日の経験からくる私の勘だけど、私とネクロマンサーを無視して他人と契約出来てしまうとは思えないもの。マークは他のアンデッドと違い、ネクロマンサーの術によって蘇った訳ではない……と考えた方が良いでしょう。……もしかしたら、そこに記憶……取り戻……鍵がある……では?』
「ペトラ!? どうしたんだ!?」
「……申し訳ありません、そろそろ時間のようです」
『お兄……様……話せて……よか……』
「ペトラ……! お前が苦しんでいる事に気付けずすまなかった。……次こそは必ず、必ず幸せになるんだぞ……!」
『ありが……う……さよ……なら』
聞こえるのは、ユリウスさんの嗚咽と、少し乱れたモルドレイスさんの息づかいだけ。まるで最初から居なかったかのように、マカチュ子爵令嬢は綺麗さっぱり消えさったのだった。