192.修業開始
歓迎会の最中、洋士が心底申し訳なさそうな顔でこっそりと耳打ちをしてきた。
「父さん、その……悪いが俺は一足先に戻らなきゃいけなくなった。本当は一緒に居たいんだが……」
「あ、うん、分かった。でもどうしたの? なにかトラブル?」
些細な事であれば、わざわざとんぼ返りをせずともある程度はここから対処出来るはず。余程の事が起こったのであれば僕としても知っておきたい。
「急だが、明日俺達の存在を公表する事が正式に決定した。その対応の為に各種族の代表として、俺……それからエルフの代表としてリレンデル女史が不在になる。世間は暫く混乱するし、修業の事もあるから父さん達はここに居た方が良い。……あいつにとっては辛いかもしれないが」
明日? 突然の事に僕は驚きを隠せなかった。僕の表情から察したらしく、洋士が補足説明をしてくれる。
「これも明日公表される情報だが……イギリスで吸血鬼化した人狼が大暴れした挙句姿を消したらしい。人狼吸血鬼となれば危険度は段違いだ、全世界中に警戒態勢を敷くよう告知する必要がある……だから他種族の存在を公表する事になったらしい」
断ったところでイギリスが件の人狼の存在を公表、注意を呼びかければ他種族の存在は露呈してしまう。公表しない選択肢はないという事か。まあ、全世界一斉公表となれば少しは批判も少ない……のかな? いや、逆だろうか。こればかりは想像が出来ない。
「分かった。洋士こそ気を付けてね? 矢面に立つって事は……店の方にも影響は出るだろうし、報道を見たナナのご家族がなにを言ってくるか分からないし」
確かナナは先日正式に会社を辞め、洋士の秘書として働き始めたはず。娘が吸血鬼の秘書になったと知ったら間違いなくクレームが来るよね……。
「まあ本人は納得の上だ……家族がしゃしゃり出てくる事ではないが面倒な事にはなるだろうな」
「あまり騒ぎ立てれば娘の立場も危うくなると思うが、そんな事を考えるやつらじゃないか」と付け加える洋士。確かに予知夢なんて特殊能力がある以上、彼女も一般的な人間族とは言い難く、洋士の元に居るのが安全だ。でも彼女から搾取する事だけを考え、身の安全なんて露程も気にも止めて居なさそうな雰囲気の家族は、むしろナナが洋士の秘書という世間体の悪さに怒り狂うかもしれない。
「とにかく、僕達の事は心配しないで。ここに居る間は平和だろうし、仮になにかがあってもエレナ達が居るから」
「ああ。こまめに連絡をするよう努力はする。それじゃあ……あいつにも頑張れと伝えておいてくれ」
言いにくそうに伝言を頼んで去って行く洋士。直接伝えれば良いのに……最初に敵対心むき出しで突っかかってしまったからか、どうにも事務的な会話以外でヴィオラと話す事を避けがちだ。全く、昔は素直だったのにいつの間にあんなに口下手になってしまったのか……。
洋士とリレンデルさんが去っても歓迎会は続き、夜が更けていく。事前にエレナから聞いていた通り、リレンデルさん以外のエルフは全員ヴィオラ同様人間そっくりな見た目をしていた。その事がヴィオラの警戒心を下げさせたのか、多少緊張気味ではあるもののヴィオラも歓迎会を楽しんでいるように見える。
――いよいよ明日公表、か。
最初に洋士が政府と繋がっている事を聞かされたあと、僕と洋士は改めて吸血鬼という種族を公表する事に賛成か反対かという話を何度かした。
結論としては公表に賛成、だった。勿論これは僕と洋士だけの意見ではなく、日本に居る吸血鬼という種族全体の相違だ。何故って、やっぱり僕達は終わりのない人生を歩んでいるから。現行法はどうしても人間族のみを想定している。身分証一つとってもどうしたって数十年に一度、見た目との乖離が起こる前に別人として人生をやり直さなければならない。その都度移行出来る財産は移行し、無理な財産は泣く泣く諦める。仕事も一からやり直し。
この状況を打破する為には、どうしても我々他種族の存在を公表し、法律を最適化する必要があると判断した。
だけど、一口に最適化と言っても問題は山積み。例えば犯罪に対する罰則。罪を犯すつもりはないとはいえ規定しない訳にはいかない。現行法の懲役刑は人間族に最適化された既定だろうけれど、吸血鬼に同様の罰則を科したとして果たしてそれが罰になるのか、という声は必ず出てくるだろう。
他にも、各種税金や結婚、労働についての問題もある。制度としては理解しているものの、年金も健康保険料もひたすら払うだけで恩恵にあずかる予定はない。労働安全衛生法に定められているので会社員は健康診断の受診が必須だけど、それを受ける訳にはいかない僕達は働きたい場所で働く事も出来ない。
そんな状況だから、僕達としては公表を強く望んでいた。だけどまさかこんなに急に決まるとは思っていなかったので期待半分、不安半分だ。
「大丈夫?」
宴もそろそろお開きという頃合いで隣に戻ってきたヴィオラに問われた。
「考えたってどうしようもないんだけど、いよいよ公表すると思うと色々と不安になっちゃって」
包み隠さず、素直に心情を吐露する。
「私もよ。……でも、正体がばれそうになって逃げるように他国へ移り住む生活を続けていた私としては、ようやくありのままの私として大手を振って外を歩ける喜びの方が大きいわ。ほら、ネガティブな事なんて考えたって仕方がないんだからポジティブにいきましょう。例えば……、これからは自衛隊に協力要請が出せるから、自分達だけで頑張る必要はない、とか」
穏やかな笑みを浮かべて語るヴィオラ。その達観した考え方は、とても僕よりずっと年下だとは思えなかった。
「そうだよね……そうだ。これからはもう、仲間が傷ついていく知らせをひたすら聞いて耐えなくて良いんだよね」
勿論、僕らでも手こずる原初の人々を相手に、自衛隊の皆さんが無傷という事はあり得ない。結局のところ僕達が主戦力になるのだろうとは思うけれど、協力要請が出せるのと、僕達の存在露呈に怯えながらこっそりと戦うのとでは状況が全然違う。今後は気楽に戦えるのだ。
「ありがとう。随分と気持ちが軽くなったみたいだ」
「その意気よ。それにどうせ明日から修業が始まるんだもの、きっとそれどころじゃなくなるわよ……」
少し暗い声でヴィオラが呟く。魔法に対しての自信のなさは相変わらずのようだ。
「GoW内ですんなりマスター出来たんだし、現実だってちょちょいのちょいだよ、きっと」
努めて明るい声でヴィオラを励ます僕。既に魔力を体内に取り込む事には成功しているんだし、全然気にする必要はないと思うんだけどなあ。
§-§-§
そう思っていた昨日の自分に説教をしたい。
「変だなあ、指先に炎を出せるのならそのまま遠くに向かって放つ事も出来るはず。どうしてそこで苦労するのか……」
ヴィオラに教えているエルフの男性は少々困り顔だ。GoW内での魔力感知やエンチャントは出来ているけれど、如何せん魔法を外に放出する事が出来ない状態。その辺りのコツを教わるつもりだっただろうに、普通は指先に出せる段階で出来るはずだと言われてヴィオラも困っている。
「うーん、ゲーム?とやらの中でここまでの技術を身につけたって言ってたよね……。遠くに魔法を発動しようとしたら失敗した?」
「ええ、こう、試しに五メートル先の的に魔法を当てようとしたら、途中で霧散したの。だから魔法だけの遠距離攻撃は諦めて、手に持った矢に魔力を付与……そこから色々な魔法を発動する感じでどうにか」
「なるほどなるほど。霧散したって事は、自分の身体の外に出した魔力を上手く維持出来てないって事だね。それじゃあまずは無理に飛ばそうとしないで、自分の数センチ先に魔力を維持、それを火の玉にする練習をしてみようか。それが出来たらあとはもう、自由自在に操れるはずだよ」
多少進展があったヴィオラに対して、全く進展がない僕は少し羨ましく感じた。GoW内では自分の体内に魔力の流れを感じていた訳だけど、現実では空気中に漂う魔力を感知して操らなければならない。前回みたいに取っかかりとなる経験もないし……どうしたものか。
「普段から瞳の色は変えているんだから魔力の感知なんてお手の物だろう?」
「魔力の感知が出来ない」と僕から聞いて、エレナは呆れたように首を傾げた。いやいや……瞳の色を変えているのが魔法だって知ったのはつい昨日の事だ。今まで得体の知れない妖術だと思いながら使っていたのだから、操っている感覚なんて露ほどもない。
そんな僕に「魔力とはなんぞや」から説明する為、エルフとの共同研究で分かった空気中の成分の比率や、瞳の色を変える瞬間を特殊な撮影が出来るビデオカメラで撮った映像を分析した結果を説明してくれたけど、僕の意識は空想の世界に飛びかけていた。小難しすぎてなにをいっているのかさっぱり分からない。
「じゃあ一体いつもどうやって瞳の色を変えているんだ? 私からしてみればそっちの方が不思議だが」
「えー……瞳の前で手をかざすだけで勝手に変わるから意識をした事なんてないですよ……」
そもそもそれを再開したのだってつい最近の話だ。その前まではかれこれ数百年血液をまともに摂取していなかったから瞳の色を変える必要も当然ない。
「虎は昔から感覚派というか……理論派のこー坊とは正反対だったしなあ。私も理論派だし、今の説明でピンとこないんじゃ上手く教えられそうにないね。……虎の場合、変に理屈をこねくり回すより、本能に従って色々やってみた方が良いかもしれない」
はやくもエレナに匙を投げられてしまった。そうは言っても明確なゴールがないものを試すのは……いや、確か原初の人々との戦いの動画が撮られてたんじゃなかったっけ。狼とか蝙蝠とか霧とか……とにかく彼らが変身したシーンを見ればなにか掴めるかもしれない。
そう思って早速洋士に連絡。忙しいだろうしすぐに返答は来ないかもしれないけれど、なにもしないよりはマシだ。
返事が来るまでの間は修業を一時中断し、とにかく原初の人々の魔法を目の前で見た事のある人から話を聞く。よくよく考えてみれば、僕だって一度は戦った事がある。姿を変える魔法は使われなかったけれど、ガンライズさんが操られたのは目の当たりにしたし……彼らの魔法について、色々と参考になるかもしれない。