Side:ヴィオラ編5
「おはよう。……あら? 蓮華くんは?」
最近はすっかり全員が集まって食卓を囲うのが日課になっている。けど今日は珍しく料理上手の主催者が見当たらない。
「来たか。父さんはまた倒れて眠ってる。悪いが今日は出前で我慢してくれ」
こちらをチラリと見てから仮想ディスプレイに視線を戻した洋士くんが、淡々と、それでいてどこか落ち着かない様子で教えてくれた。
「それは構わないけど……」
「大丈夫なの、あの人?」
ジャックくんが私の言葉を引き継いだ。未だに蓮華くんと打ち解けようとはしていないから少し心配だったけど、先日倒れた時には慌てていたから気にはなっているんでしょう。
それにしても最近、蓮華くんはやたらと倒れている気がする。詳しい事は聞いてないから分からないけど、なにか過去の記憶を思い出そうとして苦しんでいるみたい。それが良い事なのか悪い事なのか私には全く分からないけど、苦しんでいる姿を見ていると胸が痛くなる。特に本人が忘れたいほど嫌な記憶のせいみたいだし……考えない訳にはいかないのかしら。
「暫くしたら目は醒めると思うが、こうも頻繁だと確かに心配だな。だが母さ……エレナの話じゃ、無理に思い出すのも不味いが、このまま思い出さないのも問題があるような口ぶりだった。こればかりは父さんが頑張るしかない」
「そう……。私は蓮華くんの事をなにも知らないけど、忘れるほど辛い記憶があるって事よね……」
「ああ、あの時はお前は居なかったか。……と言っても、俺が勝手に話す訳にはいかないから気になるなら父さんから聞いてくれ」
洋士くんの言葉に、私は曖昧に頷いた。さすがにあれだけ苦しんでいる本人に向かって「記憶を失うほど辛いなんて過去になにがあったの?」なんて聞ける訳がない。まあジャックくんなら聞くかもしれないけど……。
「あ。ねえ、余計な事かもしれないけど、一緒に暮らすって話……蓮華くんだいぶ困ってたわよ。記憶の事もあるし、もう少し待ってあげたら?」
「そうそう、最近食事中の空気が最悪で。本当勘弁してほしい」
「ジャックはもう少し遠慮を覚えるのです!」
「やだよ。掃除の対価の食事だろ? 食事中の空気だって対価の一部の筈だ」
「ふ……安心しろ、もう解決した。それもあって今日はパーティーを開くつもりだったんだ」
「「パーティー!?」」
「あ、そう……。その様子じゃ貴方にとって良い方向に転んだのね。道理で蓮華くんが倒れたにしては妙に機嫌が良いと思ったわ。でも、『つもりだった』って事は中止にするって事? 起きた時にパーティーが中止になってたら蓮華くんが罪悪感を感じるんじゃない?」
「じゃあやるか」
やけに素直に言う事を聞く……。まあ単純に洋士くん自身がパーティーを中止にしたくなかっただけでしょうけど。私がもっともらしい理由を提示したから乗っかった感じね、これは。
「ところで本当に二人は恋人同士じゃないの? もしくは洋士くんが一方的に慕ってるとか……世間の目を欺く為に親子だって言ってる訳じゃないわよね?」
この際だからずっと気になっていた事を思い切って聞いてみた。蓮華くん抜きで話せるなんて滅多にないチャンス、逃す訳にはいかない。
「そりゃ一体どういう意味だ? どこをどうみたらそんなふうになる。大体、世間の目を欺くなら親子はおかしいだろ、せいぜい兄弟か友人だ」
「あ、それもそうね……いえ、でもちょっと異常よ」
「分かってるさ。自覚はある。だが……異常なのは俺なのか、それとも父さんなのか。どっちだろうな」
疲れたように呟く洋士くん。私からしてみれば異常なのは洋士くん一択だと思っていたけど……違うのかしら。
「どういう意味?」
「最近知り合ったお前達には想像もつかないかもしれないが……目を離すと死んでしまいそうで怖いんだよ、父さんは。最近はゲームのお陰で良い方向に行っていたようだが……、記憶が戻ればどうなるか。だから一緒に暮らして……まあ、体の良い監視だ。本人には絶対に言うなよ。それよりお前こそ、父さんの事はなんとも思ってないのか? いっその事新しい恋とやらをしてくれた方が息子としては安心なんだが。まあお前と添い遂げた日には父さんの苦労が絶えなさそうだが」
「ちょっとそれどういう意味よ! それに貴方、私の事嫌ってたじゃない。愛しのお父さんに近付く怪しい女とでも言いたげな顔でいっつも睨んできて……」
本当の事を言えば、髪留めの件にしたって料理の件にしたって、ストーカーから庇ってくれた件にしたって、少しもドキドキしなかった訳じゃない。
ただこの五百年で初めての感情とどうやって向き合えば良いのか分からないのだ。それに一時の感情で今の生活を狂わせるような決断をするなんて、馬鹿らしいとも思うし……。
それにそもそも、蓮華くんの方はなにも思っていないからあんなナチュラルな行動が出来るんだと思っている。恋人疑惑で配信が炎上した時だって、それらしい反応は見せなかった訳だし。そう思ったら自分だけが気になっているのがあまりにも馬鹿らしくて、素直になれないのだ。
「そりゃ悪かったな……。お前がエルフじゃなきゃ俺だってあそこまで警戒はしなかったさ。まあ、人間だったら別の意味で警戒したかもしれないが。折角の恋人が寿命の短い人間じゃ、今度こそ父さんがどうなるか分かったもんじゃない。そういう意味ではお前みたいな長命種の方が安心なんだよ」
「同族を増やしてはいけない掟でもあるの?」
「いいや、ない。緊急時以外は仲間の半数以上の同意が必要だし、馬鹿みたいに増やすのは禁止しているが。ただまあ、父さんは多分、たとえ相手に頼まれても仲間にはしないだろうと思ってな。自分が生に飽きているんだ、愛する人にその苦しみを味わわせる訳がないだろう? その点、お前なら安心だと思ったんだよ、俺は。……エルフの寿命については知らないが、少なくとも数百年は生きるだろうから」
「寿命で父親の恋人候補を選ぶってどうなのよ……。まあ貴方の考えは分かったし、ある意味納得したけど。でも残念ね、私もエルフの寿命は知らないのよ。集落で暮らしたのなんてほんの数十年だし……そもそも大抵のエルフは、吸血鬼に殺されるから寿命を全うしたエルフなんて聞いた事がないのよね。……貴方には酷な話かもしれないけど」
洋士くんが苦虫をかみつぶしたような表情をしているから思わず一言を付け加えてしまったけど、言ってから後悔した。日本の吸血鬼は倫理観がちゃんとしているから、一括りにするような発言はかえって気を悪くするかも。
「それよりお前、いつ里に行くつもりなんだ。自分の種族の事なんだ、この際学び直したらどうだ?」
「ん……近々行くつもりよ、そんなに急き立てなくても良いじゃない」
「いや、急かしてるつもりはなくてだな……和泉はああ言っていたが、無理に行く必要なんかないと言いたかったんだ。本当に行きたくないのであれば俺がどうにか白紙に戻してやれん事もない。断ったからって、新しい身分証を取り上げるなんて事はしないだろうからな」
「別にそこまでしなくても良いわ……きっと私が居た集落とは別の人達でしょうし。ただちょっと、あと少しでこっちでも魔法が使えるようになる気がするのよ。そうしたら、少しは自信を持って会えるかなって思って」
「そうか。あまり無理はするなよ。お前になにかあったら父さんが悲しむからな」
「馬鹿な事言ってないで。それよりもほら、パーティーの準備をするんでしょう? どこでやるの? 誰か呼ぶの? 私も手伝うわよ、なにかしら」
「千里も手伝うのです!」
「まあ僕も美味しい物が食べられるなら手伝う……かな」
いつの間にか増えた家族と、当たり前のようにそこで笑っている自分。やっぱり今の状況を壊しかねない感情は邪魔なだけだと思う。それに、洋士くんはああ言っているけど、蓮華くんにとって恋愛が正解かどうか……それこそ上手くいかなかったら、自暴自棄になる可能性もあるんじゃないかしら。
なにはともあれ、今はパーティーの準備よね。洋士くん主催のパーティー……想像するだけで恐ろしく規模が大きくなりそうだけど、郷に入っては郷に従え。今日はなにも考えずに全力で楽しむ事にしましょう。
はたして、お赤飯を炊く日はやってくるのだろうか()