183.くだらない事
仕事も一段落ついた所でログアウトをした。現実世界はまだ明け方だから、ヴィオラ達は寝ている筈。少し早いけれど朝食の準備でもしておこうかな。
そう思ってコクーンから這い出たタイミングで、すすり泣く声が耳に飛び込んできた。比較的近い部屋だ。
「これはもしかして……ヴィオラの部屋から? 声的に千里さんかな」
様子を伺いに行くべきだろうか。でも、他の人を起こすのも申し訳ないし……、そもそも本人は知られたくないかもしれない。
どうすべきか考えながらひとまず自室を出てリビングへと顔を出すと、そこには洋士が居た。彼がリビングに居るのを見るのは久々かもしれない。声をかけるべきか悩んでいると、洋士の方から話しかけてきた。
「声が気になるか? ……ここの所時々聞こえてくる。恐らく自分の中で消化しきれないなにかがあるんだろうが、まあ本人が言ってこないんだ、そっとしておく方が良いとは思うが……」
「……うん、僕も無理に理由を聞こうとは思ってない。けど、そっか……」
考えてみれば、以前洋服の話をした際にもなにか言いたくない事がありそうな雰囲気だった。となると、原因は妖精の国にかかわるなにか……なのかな。こちらから聞かないにしても、注意深く様子を見ておくべきかもしれない。
「そういえば、坂本隆太が逮捕されたぞ。今朝のニュースで大々的に報道されるようだ」
「あ、そうなんだ。……大々的に報道? いくらなんでもそこまで大事にするのは……いや、和泉さんが手を回したのか」
「ああ。要は見せしめだ、バーチャルオフィス街での初の事件だからな。運が悪いと言えば悪いが、そもそも自業自得だから仕方がない。が、まあ確かにさすがにやり過ぎなんじゃないかという意見は出てくるだろう。その関係で父さんに直接とやかく言ってくる奴が居るかもしれないが、適当に丸め込むか聞き流すか対応してくれ」
「ん、分かった」
「……それと、先日言った件は忘れてくれて構わない。あからさまに避けられる方がよっぽど堪える」
「あ……」
洋士の言葉に、僕はなんと言って良いか分からなかった。GoWを言い訳に洋士を避けていた事を、本人は気付いていたようだ。最近洋士が自室にこもっていたのは、僕が避けているのを察して気を遣っていたからなのだろう。
「俺は父さんに幸せになってほしいと思っているし、恩返しもしたいと思っている。だが、父さんが嫌がる事を言い出しながら恩返しなんて、矛盾も良いところだよな。だからもう、わがままは言わない。その代わりこれまで通り接してくれ」
「ちがっ……わない。けど、そうじゃないんだ、洋士。僕は洋士と住む事が嫌なんじゃない。僕には……どうしても洋士に言えない事があるんだ。だから、それで……」
「なんで言えないんだ?」
「言ったら、洋士に軽蔑されるから……僕は怖いんだ、洋士に嫌われて、要らないって言われるのが」
「……なあ、父さんが俺に軽蔑されるようななにかをしたとしても、それは誰かを思ってやった事だろう、きっと。なのにそれを理解もせずに軽蔑すると思われてたなんて、父さんの中で俺の評価が最低すぎやしないか……?」
言われて、目から鱗が剥がれ落ちた気がした。確かに洋士の言う通りだ。軽蔑されるのが怖いと言っていたけれど、「絶対に洋士が軽蔑する」と確信を持っていた事それ自体がなによりも洋士を傷つけている。
「そうか……ごめん、そんなつもりじゃなかったけど、結果的にそう言ってるようなものだった」
「……それで? 此の期に及んでもまだ言ってくれないのか?」
優しい声音で言ってるけど、今すぐ言えという圧を感じる。おかしい、当初の予定では「今は言えないけどもう少しだけ待ってほしい」と伝える筈だったのに……。でも、洋士が言外に「軽蔑しない」と言っているにもかかわらず言わないのはどうなのだろうか。
「…………あのね、洋士が賑やかな家族に思い入れが……いや、憧れがあって僕に一緒に暮らそうって言ってくれてるのは分かってる。でも、僕は……僕はね、洋士のご家族を……」
殺したんだ。その一言が、どうしても言えなかった。
「なんだ、そんなくだらない事か」
鼻を鳴らしながら洋士は、僕の告白を一刀両断に切り捨てた。
「えっ、いや、くだらなくないよ!? だって僕が、」
「父さんが俺の敵を取ってくれた。そうだろ?」
「……知ってたの?」
「むしろなんで知らないと思ったんだ? 俺が、俺を殺した相手を知らずにのうのうと生きていくような阿呆だと思うのか?」
「いや、確かに、思わない、けど……」
そうか。知ってたのか……。
「俺はその事実を知っていたし、むしろ感謝をしている。探し出して自分の手で殺そうとしてた位だしな。……で? もう心配事はなくなったな? それで、返事は?」
もう障害はなにもないと言わんばかりに回答を迫ってくる洋士。
「まあ……家の処分とか色々あるけど、とりあえず断る理由はない、かな……?」
「よし、じゃあ今夜はパーティだな」
「ええ? パーティ?」
「そうだ。全てこっちで手配するから、父さんはいつも通り過ごしてくれて構わない」
そう言ったかと思えば、自室へと戻っていく洋士。なんとなく、うきうきしているような……うん。
その後ろ姿を見て、僕は思い出していた。洋士が物言わぬ骸になる寸前だったあの時を。地面に染みこむ洋士の血液と、ぴくりとも動かなかった彼の姿……、後にも先にも、あの時ほど恐怖を感じた事はない。
……本当に? むせ返るような血液の臭い……。徐々に冷たくなっていく身体……。もっと前にも同じような経験があった筈だ。
「うっ……」
最近ではすっかりおなじみとなった鋭い頭痛に思わず呻くと、慌てて洋士が自室から飛び出してきた。
こちらを覗き込みながら何事かを叫んでいるのはぼんやりと分かるけれど、なにを言っているのかはまるで聞き取れない。洋士の必死な様子に申し訳なさを感じながら、僕はゆっくりと意識を手放した。
§-§-§
「馬鹿な……何故お前達が」
「母上!」
目の前の現実が信じられなかった。けれど、手に触れた生ぬるい血液の感覚と臭いがこの状況は現実なのだと伝えてくる。
「お……まえ……さえ居なくなれば……」
京への旅路を共にしている仲間の半数以上が反旗を翻し、そのうちの一人が妻の胸を刺し貫いていた。殺気がまるで感じられず反応が遅れた事を悔やみながら、妻に手をかけた者の首を跳ね飛ばす。それを皮切りに、裏切り者達は一斉に襲いかかってきた。慌てて他の仲間が迎え撃つものの、数に差がありすぎてこちらが完全に劣勢だ。
どうも様子がおかしい。皆精気の抜けたような表情をしているし、どう考えても本人の意思とは思えない。それにこの力の強さはどういう事なのか……。
後ろで妻が今にも死にかけているのに、こうも劣勢では駆け寄る事もままならない。そんな状況下にもかかわらず、相手を冷静に観察している自分自身にも腹が立つ。違う、駄目だ、落ち着けと自分に命じて深く深呼吸を行った。先ほどから全身が粟立つ感覚が止まらず、冷や汗が止まらなかった。経験上、こういう感覚は侮れない。怒りに身を任せ、冷静さを欠いてはいけないような気がしたのだ。
「父上、ここは私に任せて、母上をどうにかしてください」
一つ頷いて私と相対する裏切り者を引き受ける息子。「すまぬ」と一言言い置いて、急いで後ろの妻へと向き合った。
「時子……頼む、仲間になってくれないか。頷いてさえくれれば助ける事が出来るから。返事をしてくれ、時子。私を……私達を置いていかないでくれ」
吸血鬼に変化する過程の問題を頭の隅に押しやり、私は妻へと頼み込んだ。だが、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「お断り……よ。私は……貴方の妻……で、親子……じゃないわ」
苦しそうに、それでいてにこりと微笑みながら、妻はきっぱりと自分の意思表示をした。私の仲間にはなりたくないと。
「母上、そんな事言わずに父上にお願いしてください! 父上も、母上の言う事など真に受けずに助けてください! 父上なら出来るんでしょう!?」
母の様子が気になっていたのだろう、敵と相対しながらも聞き耳を立てていた息子が叫び、強引にでも事を進めろと言っている。
「しかし……」
説得しようと咄嗟に言葉を紡いでみたものの、なんと言えば良いのか分からない。
かといって、妻の意思に反して無理やり仲間にしてしまえば、この先私達はずっと彼女に恨まれる事になるのではないだろうか。今までなんともないような表情で一緒に居てくれたが、本当はなにを思っていたのか、今の一言には十分過ぎるほど込められていたのだから。
私は二十歳で死に、それ以来見た目が変わっていない。対して妻は今年で三十七。息子も今年で二十二。既に兄と言っても差し支えない年齢になっている。これでは母一人子二人にしか見えないだろう。彼女はずっと、それを気にしていたのだ。私の仲間になるという事は、すなわちこの先も親子として過ごす事と同義。そうまでして生き延びたくはないと、そう言っているのだ。
「貴方。時間がないから聞きなさい。このままでは共倒れよ。私は貴方の足手まといになりたくないの。貴方なら……いつもの貴方なら、どうって事ないでしょう。私を利用して京へ行って。どうか息子達を守って。ね? お願いよ」
息も絶え絶えの筈なのに、はっきりと告げる妻。どうあがいても泣きすがっても自分の考えは曲げないと、その強い意志を全身で表しているようだった。
「私を利用して」。つまり、今ここで自分の血を飲んで京まで行けと言っている。……私に、自分を殺せと言っているのだ。冗談ではないと叫びたかったが、妻の言う通りこの状況を打破出来る方法はそれしかないのも事実だった。鎌倉を出る際、私は獣の血一滴たりとも口にする事が出来なかったのだから。剣術の腕こそこの中で一番の自負はあるが、身体能力が人間と同等の今、数の劣勢をひっくり返せるほどの力はない。
「………………分かった。……今まで迷惑をかけたな、時子。極楽浄土でゆっくりすると良い」
涙が流れるのを堪えた結果、想定以上に固い声が喉から飛び出した。その決断に息子は咎めるような声をあげていたが、妻は安心しきった笑みを浮かべている。彼女には私の心境が分かったのだろう。まあかれこれ三十七年の付き合い、大体の事はお見通しだ。
こんな事になるなら、最初から妻と息子には全てを話し、少しずつでも血液を貰っておけば良かったのかもしれない。そうすれば妻が刺される前に阻止出来ていたかもしれないのに。そんな思いが頭を駆け巡ったが、今となってはもう遅い。賽は投げられた。もはや妻の言う通り、なにがあっても息子夫婦と孫を連れて京へ行くしかないのだ。
「すまない……すまない……」
謝る私に、別れの挨拶と言わんばかりに妻が抱きついてきた。私は彼女を抱きしめ、そのまま彼女の首筋に――。
我慢していた筈の涙が、止め処なく頬を伝って流れ落ちている。塩味の混じったそれを、私は一気に飲み干した。
「ああ、気味が悪い……」
「やはり人ではなかったか……」
戦えぬ者達の中からそんな声がちらほらと聞こえてきたが、立ち上がった私に面と向かって言葉を発する者は居なかった。皆、分かっているのだ。私が化け物だからこそ、彼らに対抗出来る事を。気付いているのだ、鎌倉はもっと恐ろしい化け物が巣くう場所へと変じている事を。だからこんな真冬の、寒さの厳しい旅だと分かっていながらついてきたのだから。
「どうして、こんな事を? お前達の意思じゃないんだろう?」
怪我を負った仲間と交替し、裏切り者達と刀を交えながら問いかけた。息子が「なにを馬鹿な事を」と呟いたが、私には彼らが操られているように見えたのだ。だが、それを解く術を私は知らない。故に声をかける事で目を覚まさないかと期待したのだ。
「お……まえ……さえ……おまえさえ……居なくなれば……」
だがどうやら会話を試みるのは無理らしい。うわごとのように呪詛の言葉を吐くだけで、こちらの声は一切届いていないようだった。仕方がない、これ以上犠牲を出さない為には彼らを止めるしかないだろう。とはいえ、少し前までは確かに仲間だった者達だ、手をかけるのは忍びない。一縷の望みをかけて、私は一瞬で彼らの背後に回り込み、全員の首に峰打ちを叩き込んだ。
本来ならばこれで気絶し、無力化出来る筈だった。だが誰一人倒れる様子がみられない。
「どうなっている……?」
二撃、三撃と喰らわせても、動きがぎこちなくなるだけで一向にひるむ様子もない裏切り者達に、その場に居る全員が薄ら寒いものを覚え始めた時。
「父上……、信じがたい事ですが、彼らはもう死んでいるのでは……」
袂で鼻を覆い隠しながら言う息子に、攻撃をたたき込んだ部位の肉が腐り落ちている事に初めて気が付いた。そのせいで辺りが腐臭に包まれているらしい。どうやらそれすらも気付かないほど、冷静さを欠いていたようだった。
「……ああ、そうか……しかし死体が動くとは……これは一体」
最初に切り捨てた一人が動かない事に思い至り、全員の首を刎ねて一息つく。
少なくとも、先ほどまでは口数こそ少ないが普通の人間のように見えていた。しかしこの腐敗具合からすれば、死後数日は確実に経っているだろう。そんな術がこの世にあるのだろうか。いや、目の当たりにしているのだから疑う余地はない。こんな恐ろしい能力を持つ者から、私達は逃れる事が出来るのだろうか……。
あまりにも精神的にあれなシーンで、書き切るのに四日もかかってしまいました。
もう記憶戻らなくて良いよ……しんどいよ……自分が……。