163.オープン記念イベント
「うううう、急に寒くなってきたな……」
ホワイトブレイズキャッスルまで現実時間であと一時間程度といった所で、とうとう寒さが骨身に染みるようになってきた。更に運の悪い事に、デバフの関係で到着前にもう一度野営を行う必要がある。
この野営が非常に厄介だった。今までの野営は安全地帯さえ選べれば、テント内で睡眠中にログアウトをしても問題がなかった。だがこの地ではそうはいかない。寒すぎて火を絶やした途端にデバフ「低体温」がついてしまうのだ。
しかも恐ろしい事に、このデバフにはカウントダウン機能がついている。試してはいないけれど、多分ゼロになったら「凍傷」デバフなど、更に厄介な物へと進化するのではないだろうか。
どうにかログアウト出来ないかと、テントの中で暖かい毛皮を着込み、温かい食事を摂ってみたけれどそれだけでは足りないらしい。やはりたき火を絶やさないようにしなければ寒さは凌げない仕様になっていた。
睡眠バフがつくのに現実時間三十分必要だけど、その間黙って横になっているのは苦痛以外のなにものでもない。結局、昼休憩も兼ねてヴィオラと交代でログアウトする事にした。今日のお昼ご飯は僕が作る必要はないので先にログアウトしたのはヴィオラだ。その間に僕はせっせとチョコレート作りに勤しんでいる。
「火魔法で着火すれば火が消えないとか、なんか良い方法ないのかなー……火を絶やせないとなるとアイシクルピークでの狩り中も交互にログアウトする必要が出てくるけど、氷狼が怖い。かといっていちいち都市に戻って睡眠をとるのも面倒だしなあ」
そもそも、今後一人で狩りをするのにもこの仕様はかなり不便だ。早急に打開策を考える必要はある。
それにしてもこの寒さは、とてもではないけれど人が住めるレベルとは思えない。けれどこの先に大きな都市があるという事は人が住んでいる訳で……。
「よほど保温効果に優れた建築技術を持ってるんだろうね……ホワイトブレイズキャッスルの人達は」
≪極寒の地専用のテントとかも取り扱ってそう≫
「ああ、その可能性もあったか。砂漠のときは専用テントがなかったから考えもしなかったな……」
≪ところで作ったチョコは全部ヴィオラちゃんに渡すの?≫
「ん? うん。その予定だよ。というかこの効果を見た段階で独占しそう」
≪果たしてヴィオラちゃんは同じ物を作って蓮華君に渡せるのか≫
≪黒焦げの何かが出来上がりそう≫
≪ビターにするつもりなくてもビターになりそう≫
「そんな事言って、あとでヴィオラに怒られるかもよ? ……まあ僕もそこは心配してるけど」
≪蓮華くんが手取り足取り教えれば良いんだよ≫
≪手取り足取り……意味深≫
≪実際彼女の料理の腕前はどれ位なんだろうな≫
「あまりにも作ってくれないから、そんなにひどいのかと心配になってきたけど……一人暮らししてたんだし、全く出来ないって事はないと信じてる」
最近は僕も人間の食事が摂れる事が分かったから皆の分も勝手に作ってるけど、それまではヴィオラも自分でなにか作っていた筈。決して食べられない物は出来上がらないと信じている。
それに彼女の境遇を考えたら、料理を教わる経験もなかったのかもしれないし、誰かに料理を振る舞う状況もなかったのかもしれない。だから客観的な評価が分からず自信がないのではないだろうか。
≪そういえばさ、テイムって双方同意の上の契約だから無理やり従わせる事は出来ないんじゃなかったっけ≫
≪って事は氷狼をボコボコにしてもテイム出来ない……?≫
「あ、その辺は多分大丈夫だと思う。氷狼は元々強さ重視の種族なんだって。狼を率いているのもそういう理由みたい。だからボコボコにされた段階で潔く配下に加わるみたいだよ? って、氷狼のテイム記録に書いてあった」
≪なる……≫
≪ボコボコにする自信があるってのがまずね≫
≪そろそろヴィオラちゃんログインしてきそう≫
「お、もうそんなに時間経ったか。急いで片付けないと。甘い匂い……は風が強いから大丈夫かな」
≪別にもう隠さなくても良くない?w≫
≪完璧な状態で渡したいという男心が分からんのか!≫
≪氷狼相手に武者修行するならさっさと渡しちゃった方が?≫
「いやまあ、そうなんだけど……バレンタインなんてイベントが人生で初めてだからもっとちゃんとした状態で渡したいなーとか思って。都市に着いたらメッセージカードとか探してみようかなと思ってたんだけど」
≪人生、初めて……?≫
≪つ、作る側が初めてって事だよな≫
≪その顔と性格で初めては絶対嘘≫
≪貰ったチョコ全部断る系男子だったのか?少女漫画の世界限定だと思ってたが≫
≪くっ……!爆発しろ!≫
「え? いやいやいや、貰った事も一度もないよ」
まあ人と関わってこなかったのだからそんな機会、ある筈がない。
「……お待たせ? なんか随分盛り上がってるわね」
「あ、お帰り! えーと、あー、うん、じゃあちょっとお昼を食べてくるね!」
≪逃げ足が速い≫
≪www≫
≪いてらー!≫
§-§-§
「……しまった、夜食について聞きそびれた」
てっきりいつものように同じタイミングでログアウト出来ると思っていたもんな……まあヴィオラが仮眠するタイミングで聞いても良いか。
「コンビニで適当に買うと言っていたぞ」
「あ、聞いてくれたの? さすが洋士! ……うーん、コンビニ弁当って結構高いよね。働きに行ってお金を使ってたら意味ないし、夕飯の残りを詰める位はしてあげたいなあ……うん、夕飯は食べやすい物にした方が良さそう」
今日は親子丼にしようかと思ってたけど却下して……。おにぎりと、卵焼きとかきんぴらが良いかな。
「甘やかすのもほどほどにな。……ああ、それから。ちょっと前に父さんの携帯が鳴ってたぞ」
「あ、本当に? えーと……、あ、佐藤さんだ。ん、カセットテープマークがついてる……なんだろうこれ」
「留守電が入ってるんだろう。貸してみろ」
僕の携帯を取り上げて流れるような動作で操作をする洋士。すると端末から音声が流れ始めた。
『お世話になっております、黎明社の佐藤です。先日ご快諾いただきましたサイン会につきまして、近日オープン予定の「綴じの庭」書店の特設会場内にてオープン記念目玉イベントと題してお願い出来ればと思っております。つきましてはオフィス街の方で詳しい話を出来ればと——』
携帯から聞こえる佐藤さんの声が終わるか終わらないかという所で、僕は洋士に問いかけた。
「『綴じの庭』書店? 洋士、知ってる?」
「ああ、近々オフィス街でオープンする書店だな。最近じゃメディアでも取り上げられてるし結構注目度が高い筈だぞ。『既存の電子書店とは一線を画する』をテーマに、問屋と各出版社が協力して作り上げたVR空間内のリアル書店だ。各出版社毎に違う書籍の見た目、手触り、フォントを完全再現した上で、リアル書店と遜色ない陳列で展開されているらしい。まあ電子派・紙派どちらの顧客も取り込もうって寸法だな」
「そんな注目度の高い書店のオープン記念イベントでサイン……? ちょっと想像の十倍位規模が大きくて困惑してるんだけど」
「電子・紙どちらも売れ行きが良くて且つ、過去にメディア化もされていて読書家以外への知名度の高い作家となると、それなりに数が絞られるんだろう。それに加えて父さんは今まで一度も今の人生でサイン会をした事がない。となればレア度も相まって、十分集客出来ると踏んだんだろう。オープンは確か一月後だったか。VR空間だから準備自体はリアルイベントよりも楽だろうが、告知も考えればあまり猶予がある訳じゃない。父さんが断ったら最悪イベントに穴が開くんじゃないか?」
つまり、実質断る選択肢がないって事ですか。おかしいな、黎明社に限ってそんな杜撰な仕事をするとは思えないのだけれども。いや、どこの企業だろうが普通そんなに力を入れているイベントならば、作家から断られる事を念頭にもっと前から話が来ている筈だ。これはもしかして……。
「嫌に詳しいけど、洋士が手を回したなんて事はないよね?」
「はは、まさか。例え父さんにサイン会をやってもらいたいからって他人に迷惑をかけるような事はしないさ」
そうだろうか。僕のプレイ状況が垂れ流しだった事を黙っていたという前科がある以上、洋士ならやりかねないと思うけど。まあこれ以上追求する意味はないし、もっと建設的な事を考えるとして。
「でも洋士が言うほど僕には注目度なんてないし、折角の書店オープンイベントが僕のせいでこけたりしたら……って考えちゃう。安易に『スケジュール的に別の作家を探せないなら仕方がないですね、引き受けます』とは言えないよ」
「まあ、とりあえず一度話を聞く必要はあるんじゃないか? ほら、他の候補作家の名前を聞いたら自分の方がネームバリューがあると思うかもしれないだろ」
いやいや、そんな失礼な事思う訳がない。でも話を聞かないと進まないのは事実なので、ひとまず洋士の言葉に頷いた。
「今日ヴィオラが仮眠中にでも話が出来ないか、とりあえず聞いてみる」
出前の器を台所に下げてから、自室で佐藤さんへと折り返す。前に篠原さんに聞いた話では、こちらが現実世界からかけても、向こうはGoW内のオフィス街で出られるらしい。まったくどういう仕組みなのかは分からないけれど、とにかく佐藤さんはワンコールで出た。
「はい、黎明社の佐藤です」
「いつもお世話になっております、蓮華陽都ですが」
「ああ! 蓮華先生。早速のご連絡ありがとうございます。留守電お聞きになりましたか? ぜひ詳しいお話を出来ればと思っているのですが」
「今日の夕方以降であれば執筆部屋で仕事をしていると思います」
「では蓮華先生が部屋に入られたタイミングでこちらからお声がけしますね!」
ああ、そういえばあの執筆部屋は、人の出入り状況を黎明社側で把握出来ているんだっけ。具体的に「○時」と約束をしないで済むので僕としても気楽だ。先方の勤務時間を考えると、十六時頃を目標に今日の冒険は切り上げれば良いかな。
「はい、では後ほど、よろしくお願いします。失礼します」
電話を切ってから深い溜息を一つ。はあ、閑古鳥が鳴いたらどうしよう……気が重い。





