153.ホレおばさん再び
ヴィオラが就寝の時間で僕もついでにログアウト。すると洋士からマッキーさんの自宅の井戸を使わせてもらえるよう許可を取ったと言われたので、このままホレおばさんの所へ行く事にした。ヴィオラが寝ている間に用事を済ませてしまえば、彼女の予定に合わせて明日以降、いつでもエルフ村に行けるからね。
今回は前回のお礼も兼ねて、しっかりと菓子折持参での訪問だ。二十四時間営業のスーパーというのは本当にありがたい。
洋士も行きたがっていたけれど、就寝中のヴィオラを一人にする訳にもいかない。家で留守番しておいてもらう事にした。その代わり、今回は完璧な外出準備をするようにと口を酸っぱくして言われたので携帯と財布を持って、冬用のコートもしっかり着こんでいざ出発。
万が一誰かに襲われたとしても、今は血液を充分摂って万全な状態。前回と同等レベルであれば原初の人々にも後れを取らない筈だ。
洋士のマンションからマッキーさんの自宅は、目と鼻の先らしい。意外……いや、洋士の仕事を手伝っているとしたら当然といえば当然か。家主に軽く挨拶をして――全然目を合わせてくれなかったけれどひとまず挨拶はしてくれた――、裏庭にある井戸へと案内された。
人目があるとやりにくいだろうと気遣ってくれたのか、マッキーさんは「ごゆっくり」と謎の台詞を残して家の中へと入っていった。そんな彼の背中を見送ってから、改めて井戸を見下ろす。
前回井戸に飛び込んだときは意識を失っていた為記憶は全然ない。故に自主的に飛び込むのはこれが初めてな訳だけど……。
「思ったより暗くて怖いなあ」
なにか出たりしないよね? 井戸と言えば有名な方が居たけれど……。いやいや、あれは創作物であって現実ではないから、うん。
「本当に繋がってるんだよね、これ? 繋がってなかったら怪我は免れない気がするし、あんな暗闇から上がってくるのは嫌なんだけど」
もしかして井戸より池の方がまだ怖くなかったのでは? いやでも、人目につかずに入れる池なんてなかなかないか……。ここが一番人目にもつかず法律にも触れないので正解なのは分かってる。でも怖いものは怖い。ガンライズさんは僕を背負って意識を保ったまま飛び込んだんだよね……本当に感謝しかないな。
「……っ、よし、いつまでもここでグズグズしてる訳にもいかないし、行こう。」
勇気を振り絞って井戸の中へと勢い良く飛び込む。勿論目は瞑っている。エレナにバレたら怒られるだろうけれどバレなきゃ良いんだよ!
「おやおや」
声が聞こえたので辺りを見回すと、ホレおばさんが近付いてくる所だった。
「誰かが入ってきた気配がしたから来てみればあんただったのかい。こんなに早く会いに来てくれるとは思っていなかったよ。また日光を避ける為にきた……訳じゃないようだね。あんたの所の時間は夜だ。という事は、私に会いに来てくれたのかい?」
ホレおばさんは嬉しそうに笑っている。
「はい。先日のお礼をと思いまして。その節は本当にお世話になりました。つまらない物ですが、お受け取りください」
「つまらない物を渡す事を礼と言うのかい? 全く、日本人の言い回しは独特でいけないね。お礼の品なら『美味しい物を持ってきたので是非食べてください!』位売り込めば良いのさ。そうじゃなきゃ、作った人にも渡す人にも失礼だろう?」
そう言われて僕はびっくりしてしまった。そうか、海外の神様からすればなにを言っているんだと思うのか。確かに……「つまらない」物を人に渡す事は理解に苦しむのかも。考えてみれば、最近はあまり日本でも聞かなくなってきたような……? 仕事とか、引っ越しの挨拶とか、物を渡す場面をほとんど経験した事がないので気付きもしなかった。
「これは失礼しました。うーん……実は初めて買った物なのでどのような味なのか、僕も知りません! が、見た目が美味しそうだったので選んでみました。良ければご一緒させていただけませんか?」
「ふっ、その方が素直でずっと良いね。じゃあ用意してくるから家に入りな」
そう言ってホレおばさんは家の中へと入れてくれた。前回来たときはほとんど布団の中で過ごしたのであまり良く見ていなかったけれど、ホレおばさんの家はきちんと掃除が行き届いているし家具も良い素材を使ったしっかりしたもので、手入れをしながら長く大事に使っているのが見て取れる。洋風と和風という違いはあれど、僕の家に通ずる物を感じるのでとても落ち着く。
早速僕が持参した和菓子とお茶を持ってきてくれたホレおばさん。凄い、緑茶が完備されている……。
「それで? なにも礼だけって訳じゃないだろう。本題を言いな、本題を」
「どうせなにか話でもあるんだろう?」と視線が物語っている。
「うっ、その通りです……。実は近々少し遠出をする必要があるんです。同行者も居るので夜間帯や天気の悪い日だけ移動、と迷惑をかけたくありません。これからの事も考えると、やっぱり日光アレルギーをどうにかしたくて……お知恵をお貸しいただければと」
「そんな事だろうと思ったさ。まあ、それでも来てくれた事には変わりはない、嬉しいけどね。こっちもそのつもりであれから色々調べていたし。だけどそれも無駄になったかもしれないねえ……あんた、今は結構血液を摂取出来ているだろう?」
「あ、そうですね。相変わらず全然受け付けないんですが、文明の利器で苦もなく飲めるようになりました」
「そうかい。だったらもう日光は大丈夫だろう」
「え……ええ!?」
「なにを驚く事があるんだ。あんたら夜を統べる者の自己回復能力の高さは人間の何倍あると思っているんだい? 本来はその能力のお陰で免疫力も十分に高い。仮に日光アレルギーになったとしても、すぐに治る筈だよ。ところがあんたは肝心の回復能力が、血液を摂取出来ないせいで人間並みだった。そりゃあアレルギーは治らないさ。だから私は血液を摂取出来ないあんたの体質を考慮した治療法を模索していたんだ。だがあんたはなんらかの方法で血液を飲めるようになった。その状態でしばらく過ごしていたのだとしたら、そろそろ治っている頃合いじゃないのかい?」
「な、なるほど……」
まさか日光アレルギーそのものが治るとは思ってもいなかった。けれど……ホレおばさんを信じられない訳ではないけれど、いきなり朝日を浴びて確かめるというのは抵抗がある。
僕の表情から不安を読み取ったのか、ホレおばさんは笑って続けた。
「まあいきなり信じられないのも無理はない。どれ、ちょっと擬似的に太陽光と同じ状態を作ってみるから家の外に出てみな。まずは少し曇り空程度からだね」
ホレおばさんに言われて外に出てみる。確かに空は少し雲がかかっている状態。どんよりと重く垂れ込めた雲ならともかく、この程度の曇り空ならば間違いなく僕だったら外出を取りやめる。
「ほれ、ぐずぐずしてないで歩くんだよ」
そう言って、屋根の下から様子を伺っていた僕の背中をホレおばさんは思いきり突き飛ばした。外見には似合わない力の強さである。
「うわっ……と……お?」
「どうだい? いけるだろう?」
「はい! 痛くもかゆくも、赤くもなりません!」
「それじゃあ次。晴天とは言えないけど、晴れと呼べるぎりぎりの度合いだ」
ホレおばさんがそう言った途端、雲がすっと左右に割れて青空が見え始めた。天候を操れるなんて凄い。いや、そもそもこの空間全体がホレおばさんの領域だから出来る事なのか。
「少しだけピリピリします。けれどそれは僕ら吸血鬼には普通の事なので、アレルギーとは違いますね」
「それじゃあ最後。これでもかと言うほどの晴天だ。これに耐えられるなら、どんな天気だとしても出歩けるだろう。覚悟は良いかい? なに、少し位やけどをしても大丈夫さ、私が特製の薬を塗ってあげるからね」
至れり尽くせりの発言。ここまでしてもらったら尻込みしている場合ではないだろう。
「はい、大丈夫です! 耐えてみせます!」
「良い返事だ。じゃあいくよ、それっ」
ホレおばさんの声と共に雲が完全に消え去って、それはもう綺麗な青い空が顔を出した。擬似的とはいえ、これだけの青空を拝むのは何百年ぶりだろうか。
「チリチリはします。けど……凄い、本当になにも起こりませんね。時間差、という事もあり得ますが」
「だったらしばらく様子を見てれば良い。久々の日光浴だ、存分に楽しみな。ああ、ついでだ、ちょっと手伝いな。前回と違ってけが人じゃないんだからね、ここでのルールには従ってもらうよ?」
茶目っ気たっぷりのウィンクを投げてくるホレおばさん。そうだった、本来は家の手伝いをするのがここでのルールだったのだ。
「勿論! なんでもしますよ!」
「それじゃ、牛の乳搾りから頼むね」
そうして日が暮れるまで……といっても数時間程経過しただけであって実際に日が暮れた訳ではない。なんなら日本ではそろそろ夜明けではないだろうか? それだけ長い時間外で作業をしていても、僕の肌に変化は訪れなかった。どうやら本当に日光アレルギーは完治しているようだ。
「ま、病は気から、と言うからね。私が指摘する前に日光を浴びたら荒れていた可能性もなくはない。そういう意味では私のお陰かもしれないね」
「本当にホレさんのお陰ですよ。貴方に言われなければこの先もずっと引きこもってました。本当にありがとうございます。これで安心して遠出が出来ます」
「それは良かった。ところで、どこに行くんだい?」
「あー……実はどこに行くのかは良く分かってなくて。ただ都内……えっと、今住んでいる場所の近くではないらしいです」
「どこに行くのか分からないなんてまたおかしな話だね。一体なにしに行くんだい?」
「えーと、友人が居るんですけど。同族が友人に会いたがっているので会いに行くんです。でも友人は同族とはなるべく関わりたくなくて」
「要は守りたい訳かい。あんたはまあ……自分も色々あるってのに、人の事ばっかり心配して。見てるこっちが心配になるね、全く。それじゃ、異国の神だから効き目はないかもしれないが、あんたに加護を授けよう。なにかあったらこの加護が守ってくれるだろう」
なにもない事を祈るけれど、なにかあっても守ってもらえるのは素直にありがたい。心の底から感謝の意を述べてから、そろそろお暇する旨を告げた。
「おや、そうかい。まあ確かにそろそろ日の出の時間だね。それじゃ、また来るんだよ。土産話を期待してるからね」
そう言ってホレおばさんは穏やかな笑みを浮かべながら僕を元居た井戸まで送ってくれた。おばあちゃんが居たらこんな感じなのだろうか、なんて神様相手に不敬な事を考えてしまった。





