146.ヴィオラとの外出
お待たせしてすみません!ぼちぼち再開します。
『ほら、蓮華くん、行くわよ!』
そういってばっちり準備を決めたヴィオラが嬉しそうな表情をして仮想のインターホンモニタ越しに手を振っている。
時刻は午前五時少し前。……いくらなんでも早すぎやしないだろうか?
「あ、うん……随分早いね」
玄関扉を開けながら返答する僕。ちょっと引き気味なのが伝わってしまったのか、ヴィオラは焦ったように早口でまくし立ててきた。
「べ、別に楽しみすぎて昨夜全然眠れなくて気付いたら朝だったとかそういうんじゃなくて、今日は午後から天気がよくなるみたいだから急いだ方が良いかと思って……」
なるほど、そういう事らしいです。遠足が楽しみで眠れない小学生……なんて描写がよく小説にあったりするけれど、そういう感覚なのかな。僕は眠る事がないのでぴんと来ないけれど。ああでも、楽しみな事の前の夜は更けるのが遅いと感じた事ならある。
「それにほら、うちで寝ている二人組の朝食も買ってこないといけないし」
どうやら千里さんとジャックさんはヴィオラの部屋でまだ寝ているらしい。なるほど、二人が起きる前に朝食を買って帰りたいというのも早く来た理由の一つか。
かくいう僕も、既に準備は終えているので特に慌てる事はなく、雪駄を履いて玄関を出る。洋士は既に仕事に行っているので、声をかける必要もない。具体的な出発時間を聞きそびれてしまっていたので、洋士を基準に早いうちに準備を済ませたのが功を奏した。
ヴィオラが言うには、今日行くファストフード店は二十四時間営業のバーガーショップらしい。また、モーニングメニューなるものがあり、それは朝五時から販売しているとの事。そして歩いて十五分と軽い運動程度の距離なので、冬の、それもどんよりと曇った日であれば僕も行けるだろうと判断したらしい。
「モーニングメニューをどうしても蓮華くんに食べてみてほしかったのよ」
本来ならば天気に関係のない夜に誘うべき所だけれど、どうしても朝限定メニューを食べてもらいたくて無理に朝誘ったのだとか。そうまでして食べさせたい朝メニューが今から気になって仕方がない。僕の料理よりもヴィオラを虜にするバーガー……良いでしょう、その戦い、受けて立ちます!
軽く雑談をしながらお店へと向かう。と、道中、意外と既にオープンしているお店が多い事に気付いた。考えてみれば洋士の家に居候をし始めてからこっち、天気の悪い日は何度もあったのに全然周辺を探索していなかった。ここは東京。二十四時間、いや、そうでなくとも朝早くから夜遅くまで営業しているお店はたくさんあるのだから、散歩ついでになにがあるのかを見て回る位しても良かったのに。GoWといざこざにばかり目がいって、日常生活が疎かになっていたかもしれない。
「カラオケとかボーリングなんてのもあるんだ。……う、昼間は安いのに夜料金になった途端こんなに上がるの!? 昼間出歩ける人が羨ましい……」
「この辺りは特に他の地域よりも高いものね」
日光が克服出来たら……そういえばホレおばさんも調べてくれるって言ってたけれど、進展はあったのだろうか。いや、なかったとしても遊びに行く約束はしたのだし近々行ってみようかな。……井戸か人目につかない池を探すのが大変だけれども。
なんて話をしながら、五分ほど経った辺りだろうか。突然目の前に男性が飛び出してきて、なにやら喚き始めたではないか。
「う、浮気だよ、るなちゃん! だ、だだだだ誰なんだい、その男は!?」
「……恋人?」
「るな」と言う名前に聞き覚えはなかったけれど、男性の視線はヴィオラに固定されている。恐らくヴィオラの本名なのだろう。そう思って彼女に話しかけたけれど、「そんな訳ないでしょ。例のストーカーよ」と一蹴されてしまった。朝はあんなにうきうきしていたヴィオラも、今この状況には顔を曇らせている。
「え……恋人宣言って結構やばいんじゃ……」
僕達の小声でのやり取りに更に気分を害したのか、男性は僕をにらみつけながらまくし立てるように続けた。
「いつの間にか仕事も辞めてるし、僕達の愛の巣ももぬけの殻! 全部そこの男に弱みを握られて仕方なくやった事なんだろう? 大丈夫、僕が解決してあげるから話してごらん?」
弱みを握られているのであれば浮気ではなく被害者なのではないだろうか。最初の発言との矛盾に気付いていないのか、慈愛に満ちた表情で自信たっぷりに言う男性。彼は本当にヴィオラの恋人だと思っているのだろうな……こういう手合いが一番厄介そうだ。
突然の大声に、いつの間にか周りには人が集まってきてしまっている。まずい。騒ぎになってしまえば警察が来てしまう。僕達が被害者なのは明白だろうけれど、まだヴィオラの新たな身分証は作成中。データに残るような事は避けた方が良いのではないだろうか。
「ヴィ……いや、えっと、逃げるからしっかり掴まって!」
そう言って僕はヴィオラの身体を持ち上げ、全力でその場をあとにした。
「……っ! 落ち着いて! 速すぎる! あと次の角を右に曲がって!」
ヴィオラに言われてはっとした。しまった、外に出るからと念の為血液はしっかり摂取してきている。その状態で逃げた今、確実に彼らには僕の動きが見えていなかった筈だ。今頃現場は混乱しているのではないだろうか……。
人間でもおかしくない速度まで落としながら、彼女の言に従って道を進む。ひとまず人目につかない所で仕切り直そうという事だろう、土地勘のない僕に変わって指示をしてくれたようだ。
「さ、着いたわよ!」
「……あ、うん……え、あれ?」
「どうしたの? 入らないの?」
「いや、入るけど……ごめん、あんな事があったし、てっきりどこかに隠れてから家に帰るのかと思った」
「なに言ってるの。あんな事があったからこそ入るのよ。このまま家に帰ったらそれこそ嫌な雰囲気で一日過ごす事になるじゃない」
ヴィオラの勢いに負けてひとまず店内へ。確かに、二人組の朝食は買って帰らないと理由を聞かれる筈。ヴィオラとしてもきっとこの件には触れられたくないだろうし、何事もなかったかのように過ごす方が無難なのかもしれない。
「なに食べる?」
「え、えーとメニューを見ても全然分からないから任せる」
「じゃ、大豆バーガーね。飲み物は?」
「バーガーに合いそうな物を適当に」
「じゃ、コーラね。サイドメニュー……もこっちで適当に決めちゃうわね」
テキパキと店員さん相手に注文をしていくヴィオラ。セットの選択肢が多すぎて僕には少々ハードルが高い。彼女が連れてきてくれなければ、例え周辺探索中にこの店を見つけたとしても入っていなかったかもしれない。
自分で席を選ぶスタイルらしく、ヴィオラは真ん中の席を選んだ。早朝なのに人が多く、選ぶ余地が他になかったのだ。
「料理は?」
「後からロボットが持ってきてくれるわ」
「……なるほど……?」
分かっていない様子の僕に、ヴィオラは笑いながら「見れば分かるわよ」と言った。
「ところでさっきの件、どうしてあんな行動を?」
全力逃走した件を言っているのだろうが、人が多いのでぼかしながら問いかけてくるヴィオラ。
「ん、まだ証明書が来てないでしょう? 相談するなら洋士を経由した方が良いかなと思って」
聡いヴィオラは身分証の件を指している事に気付いたようだ。納得したように頷いた。
「それじゃ、報告は私からしておくわ」
そう言ってもの凄い速度で仮想キーボードを操作していくヴィオラ。凄い、通話ならともかくチャットの類いで報告するとなったら僕には半日がかりだろうに……。
報告自体はすぐに終わったのか、今度は僕の端末へとチャットを送ってきたヴィオラ。洋士とヴィオラ、二人がかりで教えてもらったので今ではチャットなど、送られてきた情報を見る事は出来るようになった。そこから一歩進んで、返答をするにはまだまだ修業が足りないけれど。
『あの場所に居たって事は、多分今の住居もバレてる。千里とジャックには連絡済みよ、私達も暫くはここに居ましょう。人目があった方が安全だと思うし』
ぞっとする内容を読み終わったタイミングで料理が運ばれてきた。漂ってきた良い香りに、嫌な気分が多少は払拭される。おお、本当にロボットが運んでくるんだ……。可愛いわんこ型だ。戻る時は尻尾を振って帰っていくなんて……なんてサービス精神旺盛なんだ。
「それじゃ、食べましょうか」
何事もなかったかのように爽やかな笑顔でヴィオラが勧めてくる。いや、気を紛らわせる為にもここは合わせた方が良いのかも。
「そうだね」
包み紙をゆっくりと剥がし、僕は少し緊張しながら一口食べた。
「え、なにこれすっごい美味しい……和風じゃないのにあっさりしてるし、なにより大豆が本当のお肉みたい。わ、わ、コーラって凄いんだね。本当にしゅわしゅわする」
「喜んで貰えてなにより。……で、作れる?」
「え?」
突然の発言に、なにを言っているのか分からずに聞き返す僕。聞き間違い……かな?
「バーガーよ、バーガー。作れる?」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
「えっ、うーん……作れない事はないけど、僕が作ったらもっと和風になっちゃうと思うよ? こんな美味しい物は作れないと思う」
「良いわよ、そこはオリジナリティがある方が。ふふ、期待して待ってるわね」
とびっきりの笑顔で言うヴィオラ。ははーん、さては気を紛らわせる為ではなく、本気で楽しみにしているな? そもそもこの為に僕を連れてきたのだろうし……この、策士めっ!
「……さてはその為に連れてきたんだね?」
「ばれちゃった?」
「さすがに分かるよ……でも残念。僕の料理よりもヴィオラの胃袋を掴むなんて、って思って勝手に自分の中で戦ってたつもりだったけれど、これは完敗。勝てそうにない」
世界規模で愛されているだけあって、とてもではないが勝負にはならなかった。くう、僕はこのままヴィオラの胃袋を掴む事も出来ないままひたすら料理を作り続けるのか……。
「ちょっと、なにと戦っているのよ……。私は蓮華くんの作る料理も好きよ? ただ単に本物のお肉ばっかり使うからちょっと胸焼けしてるだけで」
「え、そうなの?」
「そうよ。私みたいな庶民を舐めないでほしいわ、本物の肉なんてそんなに頻繁に食べる物じゃないんだから。慣れない料理に胃がびっくりしてついていかないのよね」
「確かにあそこは肉ばかり売ってるもんね……それなら今度から大豆とか豆乳とか、色々工夫してみるよ」
僕の発言に満足げに頷くヴィオラ。僕の料理が好みじゃないから打開策としてここに連れてこられたのかと思ったけれど、単に材料が合わなかっただけなのであればなんとかなる! いつかヴィオラにこの店よりも美味しいと言わせてみせる!