116.験担ぎ
結局ヴィオラはその場でAIモデレーターを設定したらしい。
僕の方も、GoWの公式サイトの方から直接月額支払い設定が行えるとのことだったので、洋士に手伝って貰いながらなんとか設定を行った。
「これで少しは収まれば良いけれど……」
ヴィオラの配信の方が誹謗中傷の度合いがひどい。彼女は常日頃から掲示板の類いをチェックしているようだし、事態の鎮火具合は自分自身の目で確認するような気がする。それが精神衛生上良いか悪いかはさておき、そういう理由で東行きに関しては彼女が落ち着くまで延期することにしよう。
千里さんもジャックさんも、基本的にはヴィオラの部屋の方で暮らしている。何かあってもあの二人が知らせてくれるだろうから、そこまで心配しなくても良いだろう。だから僕はひとまず毎日、食事の準備をすることに専念すれば良い。
そう判断し、早速昼ご飯の準備をしにヴィオラの部屋を訪ねた。
「さっきはごめんなさい。お昼ご飯を食べたらまたログインしましょう」
「えっ、もう!?」
いや、いくらなんでも今日の今日でログインは……AIモデレーターを設定したからといって、早くないだろうか?
「こういうのは、引き延ばせば引き延ばすほどログインしづらくなるものよ。さっきはちょっと取り乱して早々に逃げ出すような真似をしちゃったけど、別に私達は何も悪い事をしていない。堂々としてれば良いのよ」
「いや、それはそうだけど……」
「それに、蓮華くんと違って私は今仕事をしてない。投げ銭が収入の全てなんだから、なるべく配信して稼がないと。ここの建物のスーパー、さすが六本木だけあって何もかも高いのよ。家賃や水道光熱費がかからないとはいえ、生活費自体は今までよりもずっと高くついちゃってるから」
「いや、仕事探しが出来ないのもある意味こっちのせいだから、生活費は全部こっちが出すよ……?」
正確に言えば和泉さんの身分証発行待ち。仕方がないこととはいえ、見知らぬ人の身分証を買い取って今迄生活してきたということもあって、今迄使用していた身分で稼いでいた資金の移動やなんやかんやで時間がかかるらしい。
そもそもヴィオラがこっちに引っ越してこなければいけなくなった事情に、僕達吸血鬼が一枚噛んでいる訳で。となるとやっぱり、食費や日用品の分も僕達が出すのが筋だと個人的には思うのだけれども。
「最初にも言ったけど、それは駄目。ただでさえ家と水道光熱費を払って貰っているから自由に使えなくて居心地が悪いのに、食費や日用品迄払って貰ったら自分の好きなものを買えなくなっちゃう。気が休まらないわ」
なるほど……、他人が水道光熱費を払っていると、「電気代がかかりすぎないようにしないと」とか気を遣ってしまい、心が安らがないってことかな。それは確かにゆゆしき事態。とはいえ自腹を切って貯金を切り崩すようなことをすれば、それこそ不安で夜も眠れなくなるだろうし……どうすれば良いのだろう。
「うーん……このマンションの一室の金額を知ってる? 億ションと呼ばれる類いの建物だから、文字通り一億円は超えてる筈。そんな代金をポンッて支払えてしまう洋士だよ? 水道光熱費だとか、食費だとかがちょっとばかり高かったからって気にすると思う? 彼にとってははした金ですらないと思うよ」
なんて言ってヴィオラを説得しようとはしてみるものの、このマンションの下の階にあるスーパーの料金は僕が住んでいた田舎の商店のおよそ十倍はするし、水道光熱費もヴィオラが元いた六畳一間を絵に描いたようなアパートに比べれば段違いにかかっている筈。それをいきなり「相手にとってははした金以下だから気にするな」、と言ったところで気にするに決まっているだろう。そもそも僕の感覚もどちらかというとヴィオラに近い。僕ですら未だに気にしているのだからヴィオラが気にしない筈がない。
「貴方だって気にしているの、丸わかりよ? スーパーでいっつも青白い顔して値段を確認しているじゃない。千里ちゃんやジャックくんは気にせず料理のリクエストをしているみたいだけれど……そういう表情を見て私が好きなものをリクエスト出来ると思う? 勿論、私自身の懐事情も影響しているけど」
「うっ……」確かに。そう言えば今朝のリクエストは納豆と味噌汁、それにもやしの炒め物とかだったな……てっきり和食が食べたいのだと思っていたけれど、どれもこれも安い食材ばかりだ。昨夜と今朝の料理はヴィオラが自腹、千里さんとジャックさんと僕、そして洋士の分は全て洋士が出していた。彼女なりに僕の精神的打撃と彼女の財布への物理的打撃に対する対策をしたということだろう。
「まあ個人的には、蓮華くんはあの人の父親だし、私が見る限りあの人はきっと貴方に恩義か何かを感じていて、むしろ本人が積極的にお金を出したがっているように見えた。だから貴方は気にしなくて良いと思うのよ。でも私は……」
「私は赤の他人でしょう」。ヴィオラの言葉にはそう続く予定だったのだろう。
確かにヴィオラは赤の他人。たまたま僕がGoW内でヴィオラと知り合って、彼女と現実で偶然遭遇してしまって、なんだかんだでエルフだということも知って。だから僕達は彼女を守る為にここに連れてきたけれど、それがなければ今でも彼女はあのアパートの一室で吸血鬼上陸の話なんて知らぬまま、バイトをしながらGoWをプレイしていた筈。たったそれだけの関係なのだから、金を払って貰う理由がない。そうヴィオラは言いたいのだ。
あれ、でも――、
「……いや、よく考えてみてよ。ヴィオラと僕が出会ってなかったら、君は今でもアパートの一室で今迄同様の生活をしていた。つまり、今回の事件も起こらず、チャンネルの登録者数が減ることもなかった。ね? 今回の件は僕と洋士の無茶振りの所為でもあるんだから、そのお詫びとして生活費は出させて欲しい。だから無理して生活の為にGoWを再開する必要もないんだよ」
さすがのヴィオラも僕の言葉には一理あるのかと思ったのか、少し考えるそぶりを見せた。
「……甘いわね、蓮華くん」
「え?」
「生活費の件は、そこまで言うなら分かった。ここに居る間はボーナスタイムとでも思うことにして、お言葉に甘えさせて貰うわ。その分貯金が増えるのならむしろありがたいしね。でも、それとこれとは話が別よ。既にAIモデレーターの月額費用は今日から発生している。つまり……今日中にログインして配信を開始しないと、損するということよ!」
なるほどー、そういうことだったかー……。
「あ、うん……そうだね……そういう意味では僕もさっき課金申し込みしたからログインしないと損、なのかな……?」
「あら奇遇ね! それならやっぱりお昼を食べたら早速ログインしましょう、ね? 東に何があるのか気になるのも事実だし。こんなくだらないことに時間をとられて誰かに抜かされるなんて嫌よ」
お、おお……ヴィオラさんの目が完全に本気だ。いざこざをくだらないことと言い切るとは、本当にGoWに対する情熱が半端ない。いや、落ち込むよりは全然良いのだけれど……本当に良いのだろうか、これで。
「それから、視聴者にはなるべく嘘をつきたくない。さっきみたいに、ついうっかり口を滑らせて嘘がばれたら今度こそ炎上死してもおかしくないわ。だから、嘘は最低限、必要な部分のみにしたい。例えば、現実で知り合いになったことと、隣に住んでいることは聞かれたら答えても良いとは思っている。でも、引っ越しの理由は本当のことをいう訳にはいかない。だから私が前の職場でストーカー被害に遭っていて、蓮華くんに相談した結果、仕事を辞めて蓮華くんが住んでいるマンションの隣の部屋へ引っ越したことにしたらどうかしら」
「ああ……嘘をつきたくないのは僕も同感。というか、僕の場合嘘が嘘だってばれちゃう……何でだろう? まあとにかく、そういうことだからヴィオラの案には賛成。でも良いの? ストーカー被害にあったとか、僕に相談したとか……またヴィオラが面倒なことに巻き込まれかねない内容な気がするけれど」
例えばそう、「出会って間もない人間、しかも男に相談するなんておかしいんじゃないのか」とか言われるのは目に見えているのではないだろうか。
「でも私に友達が居ないのは過去の配信で周知の事実なのよ、残念なことにね。それに前々から仕事の愚痴っぽい話はしているから信憑性は増す。ストーカーに関しても嘘ではないのよ。だから遅かれ早かれあの職場は辞めてもおかしくなかった。蓮華くんに相談したのは、たまたま蓮華くんと出会ったのが丁度ストーカーにつきまとわれているときだったから……でどう? 場所に関しても嘘はつきたくないし、慌てて書店に逃げ込んだら蓮華くんが居た体にしたいんだけど。で、様子がおかしいと思った蓮華くんが喫茶店へと私を連れて行って、話を全部聞いた……」
「確かにそれならほとんど嘘をつかなくて済むし、万が一今後あの日の目撃情報が出ても問題がないね」
「でしょう?」
満足げに笑うヴィオラ。確かに、「嘘をつくときは八割が真実で残りの二割に嘘を混ぜ込め」なんてよく言うよね。今回の場合は「ヴィオラがエルフであり、吸血鬼に命を狙われる可能性があるから引っ越してきた」という部分。「ストーカー被害にあったから引っ越してきた」であればほとんど嘘をつく必要がないので視聴者さんに質問攻めに遭ったとしてもぼろを出す確率が限りなく低い。更には、「ストーカー被害」であれば余り触れたくない話題だと思い、あまりずけずけと質問してくる人も少ないというおまけもついてくる。恐るべしヴィオラ……実に策士である。しかし、本当にストーカー被害に遭っていたというのは気になるなあ……大丈夫なのだろうか。
「さて、今後の方針も決まったし、パパッと作ってちゃちゃっと食べてログインしますかー」
お昼はヴィオラたってのリクエストでカツ丼で験担ぎ。……なんかこう、僕の胃袋がちょっと軽めのものを所望しているのでGoWにログインしたら何かあっさりしたものを口にしたいけれど……もう王都を出る直前だから難しいか。ちなみにゲームにも験担ぎする姿勢は嫌いじゃないですよ。何ごとにも全力を尽くす人は好きです。