106.どこだろう
「もしもし、洋士? 無事にガンライズさんを救出完了。今はホレさんという神様のお世話になっているところ。夜には戻るよ」
予想通りというかなんというか。ガンライズさんの携帯を借りて洋士に電話したところ、ワンコールで出たので用件を伝える。ちなみに、「家族と連絡を取りたい」とホレおばさんに伝えたところ、電波が良さそうな地上とここを一時的に繋いでくれたので電話することが出来ている。最悪、直接ガンライズさんだけ先に電波の良い場所に送り届けて貰わなければ駄目かと思っていたので一安心。一人倒したとは言え、まだ吸血鬼が居ないとも限らないからなるべく一緒に行動しておきたい。
『……そうか。無事なら良い。夜だな? 待ってる』
そう言ってぷつりと通話は途絶えた。どうやら向こうはばたついているらしい。それでもワンコールで出てくれたあたり、心配をかけていたのだろう。申し訳ない。
「ありがとう、ガンライズさん。助かったよ」
「これ位助けてもらったことに比べれば……。それより、夜迄は絶対安静っすよ。ホレさんから何か頼まれたら全部俺が代わりにやるんで」
「いやいや、ガンライズさんだって怪我人なんだよ? 僕が結構血を貰っちゃったから貧血を起こしてもおかしくないし」
「いや、まあ俺は血の気が多いんで、ちょっと持ってかれる位が丁度良いんですよ」
僕に気を遣ってか、ガンライズさんは笑いながらそんなことをいう。でも、血の気が多いというのは興奮しやすいというライカンスロープ族の特徴のことだと思う。赤血球増加症でもない限り、実際に血液が多い訳ではない筈なので心配だ。
「まあまあ、別にこき使おうなんて思ってないから安心しな、若いの。ひとまずこれで腹ごしらえだ」
そういってガンライズさんの前に差し出した皿の上には、ムール貝や肉類といった、貧血予防に最適な材料を使った料理。凄い、栄養素を理解している神様だなんて……。
「それからあんたにはこれだ。裏の家畜から貰ってきたから、たんと飲みな」
そう言って差し出されたのはコップになみなみと注がれた血液……。どうしよう、家畜を絞めて迄用意してくれた物を、まさか断る訳にもいかないし。動物の血なら、吐く迄はいかない、かな……?
「遠慮なくいただきます……」
そう言ってからぐいっと飲み干す。……のは無理なので、少しずつ少しずつだましだまし飲んでみる。これはトマトジュース、もしくミネストローネ……。
「うっ」
どう頑張っても血液は血液でした。嘔吐きはしたものの、ご厚意でいただいたものを粗末にする訳にはいかない……特に神様相手に無礼だなんて命を失ってもおかしくはない。なんとか気合いで飲み干し、そっとコップを返却する。
「おやまあ……あんた、血液が駄目なのかい」
どうやらバレていたようです。表情には出ていただろうし、そりゃそうですよね……。
「はい……でもなんとか吐かずに済みました。飲みやすかったです、ありがとうございます」これに関しては噓ではない。
「あんた、血液を摂取することに対して忌避感があるね? 吐かずに済んだということは普段は吐く訳かい。……ふむ。親しい人の血を飲んだことがあるんだね?」
「えっと……」
微妙な空気を察したのか、ガンライズさんは料理から顔を上げ、慌てて席を立って移動しようとした。けれど他人の家の中を勝手にうろつくのもまずいと思ったのか、動くに動けず動揺している。その様子に僕は、ガンライズさんに向かって聞かれても大丈夫だと伝える為に一度大きく頷いた。
「ああ、すまないね。それに関してどうこう言いたい訳じゃない。あんたみたいな症状の夜を統べる者を何人か知っている。皆親しい人の血を吸い、そして亡くなった人への罪悪感からそうなったんだ。あんたにも心当たりがあるんじゃないのかい?」
「……分かりません。恐らくそうなのでしょうが……訳あって、記憶の一部を封印しているので」
「ほう? ……なるほど、記憶を司る能力持ちが居るんだね。随分と古い封印だ。しかしまあ、よくここ迄放置したもんだ。一応私の方で解くことも出来るけれど、ここ迄複雑に絡んじまったものに更に介入するのはおすすめしないね。自力でどうにかした方が良い。ただね、これは記憶が戻るときに相当きつい思いをするよ、それだけは覚悟しておいた方が良い」
「分かりました。ご忠告感謝いたします」
「何、これ位どうってことないさ。それよりもあんたのその忌避感は親しい人を手にかけたという罪悪感から来る。つまり、その人物とは別の種族の血に対しての忌避感は弱まる。まあ、吸血行為そのものを忌んでいるからそれだけ不快感を感じるんだろう。きちんと自分の過去と向き合えば、今よりはましになる筈だよ。ただまあ、あんたのは特にひどい。きっと夜を統べる者として生を受けた当初から血液を好まなかっただろう。あくまで必要不可欠だから飲んでいる、そう割り切っていた筈だ。それに関しては記憶が戻ろうが戻るまいがこの先も変わらない、残念だけど諦めな」
ホレおばさんの話に思わず顔をしかめてしまった。いや、まあ血液を摂取しなくても死にはしないのでそこ迄困らないとはいえ、そうはっきりと「お前は吸血鬼としてどこか周りと違う」と言われてしまうと何とも言えない感情が襲ってくる。やっぱり僕はどこかおかしいのだろうか。
「そんな顔をするんじゃないよ。ピーマンを苦手だと思う者と好きだと思う者が居るのと同じさ。夜を統べる者だからといって必ずしも血液が好きじゃなければならないなんて決まりはないんだ。血を好む好まないの違いなんて些細なことでうじうじするんじゃないよ、全く。血液以外のものから栄養を補えば良いだけさ」
「そうはいっても……僕は人間だったときと同様の味覚のままなので人の食事を好みますが、排泄が出来ないので食べることは出来ませんし……」
「あんた……、いや、仲間も含めて皆同じ認識なのだとしたら、どこかで失伝したのか、或いは体質が変わったか。私が知っている夜を統べる者達は排泄に関して心配したことなんて一度もなかったね。身体の中で分解消失するんだとさ、そういう毒素みたいなのが体内にあるとかなんとか。その毒素のお陰で吸血時に対象が気絶してくれるとも言ってたけどね。あんたらは違うのかい? ま、そいつらも人の食事はまずいと感じるみたいだったけどね。魔女狩りなんてのもある位だから、周りに不審がられないように食べてたんだとさ。聞けば聞く程あんたは変わってるねえ、気に入ったよ」
にっこりと微笑むホレおばさん。とても有益な情報を聞いたので都合が悪い言葉は聞き流すに限る。神様のいう「気に入った」という言葉程恐ろしいものはない気がするからね!
「排泄、気にしなくて良いんですね……ってことはあのお店のケーキも食事も全種類コンプリートする迄通い詰めても問題はない……」これは夢が膨らむ。
「でも雨の日だけとなるとだいぶかかっちゃうなあ……」
「雨の日? ああ、日光が駄目なんだってね。いくら夜を統べる者と言えども、日中帯に外を出歩けない程だなんて聞いたこともないけれど。まあ、それに関しては私もお手上げだ、一応調べておくけど期待はしないでおくれ。……さあ、おしゃべりはここ迄だ。あんたは夜迄一眠りしてな」
そう言うとホレおばさんは僕の額に指を当てる。吸血鬼に眠れとは、これまたおかしなことを……なんて考えている暇もない程一瞬にして、僕の意識はブラックアウトした。
§-§-§
「はっ……何だったんだろう、今の……」
そうだ、あれは妻だ。妻が僕の名を呼んで、にこりと微笑み、首筋に抱きついてきたのだ。そしてその直後、僕は……。
「目が覚めたかい。もう日は暮れたからね、あんたらが居た東京とかいう場所へ送り届けるよ。準備は良いかい?」
「あ、はい……」
ホレおばさんの言葉に、思考は霧散していった。何か大事なことを思い出しそうだった気がしたのだけれど仕方がない。
見れば、ガンライズさんは新しい洋服に着替えて準備万端のようだ。枕元には僕用のであろう、まっさらな洋服。ご丁寧にコートと靴、それに日本刀を入れられる筒状の鞄迄ある。
「洋服迄……本当に何から何迄お世話になってしまってすみません」
「良いんだよ、私も久しぶりに人と言葉を交わせたからね。お陰で楽しめた。ま、本当に感謝しているならまた来ておくれ。世界中、どこだろうが井戸と池はここに繋がっているからね」
なるほど、そういうことだったのか。てっきりホレおばさんは青森に引きこもっている特殊な神様だと思っていた。
「あれ、では僕達が飛び込んだあの井戸はホレおばさんがわざわざ設置したものではないのですか?」
「ああ……私が自分で設置することはないね。おおかた、その場所には昔小屋の一つや二つが建っていたんじゃないのかい? 井戸だけ残っているなんてのはよく聞く話さ。それじゃ、さよならだ。また暇なときにでもおいで」
ホレおばさんの言葉を最後に、周囲の風景は一変した。辺り一面に積もっていた雪は一切存在しない。葉が落ちた木と大きな池がある公園のような場所だ。
「ここは……どこだろう」