10.お前何言ってんの?
確認作業が長引くことも考慮して、お客様にお出しするご飯でも作ろうと考え、久々に山を下りた。
田舎の朝は早くて、未だ薄暗い午前四時頃には朝市に食料が並び始めるのが僕にとっては本当に助かる。
近くの商店もこの時間帯から開いているので、米と調味料はそちらで購入。
今日は無難に和食にするつもりだ。とは言え、焼き魚は食べにくいだろうから、白身魚と秋野菜の黒酢あんかけにでもしようかな。
ご飯は十五穀米――これは単純に僕のこだわり――で、味噌汁は豆腐と里芋と舞茸としめじ。黒酢あんかけは、蓮根・にんじん・なすとえりんぎ。あとは卵焼き。
ゲーム内ではまだまだ食材が手に入らないから、見た瞬間あれもこれもとついつい材料を買いすぎてしまったけど……これ全部消費出来るかな? 米は日持ちするけど他はなんとか今日中に食べきりたい。
来客用のお気に入りの着物の上に割烹着を着て早速下拵え開始。洋士の性格上、かなり早く来そうなので、先に着替えておかないと僕が困るのだ。
鼻歌を歌いながら下拵えをしている最中、玄関扉ががらがらと開く音がした。ほらやっぱり。
予想通り、洋士はインターホンも押さずに入ってきた。時刻は朝六時。まあ予想よりは遅かったかな? お連れ様に配慮したのかも。と言うか、無言で勝手に家に入ってくるから後ろでお連れ様が慌ててるよ、ねえ。まあ、「いらっしゃーい」なんて当たり前のように笑顔で迎え入れる僕も大概か。
ここ数十年めっきり御無沙汰だっただけで、昔っから洋士はこの家に勝手に入ってきてはくつろいで、気付けば勝手に帰って、を繰り返していたから、慣れたものなのだ。
「お、お邪魔します……」とはお連れ様の声。四十代くらいと言ったところだろうか。柔らかい物腰とグレーの髪が印象的なナイスミドル。世の女性の憧れのロマンスグレーと言うのは、こう言う方のことを指すのかな?
「ああ、彼はいつも勝手に入ってくるので気にしないで下さい。遠路はるばる、ご足労いただき申し訳ありません。今お茶を用意しますから、どうぞあがって下さい」
なんて僕が声を掛けてる間にも、洋士は勝手にあがって応接間に向かっている。いや、お前が連れてきたんだからフォローくらいしろよ。僕はこの人が誰なのかも分かってないんだけど??
お連れ様を応接間にお通ししたあと、三人分のお茶を用意してから僕も向かう。どうみても彼は人間。と言うことは、僕も人間のふりをした方が良いのかな? 正直、その辺りの質問だけは事前に電話でしておけば良かったと、今更後悔。
「お待たせいたしました」と三人分のお茶を机の上に置いたら、「いや、飲まねえよ」と洋士の声。ん? と思って彼を見ると、「この人俺のこと知ってる。あとお前のことも説明済み。と言うか、この後来る運営の人間にも説明する為に俺達は来たんだよ」って。は?
「いや、お前何言ってんの?」おっと、お客様の前でついうっかり口が滑ってしまった。いや、だって当たり前のように告げられたこっちの身にもなってよ。ちょっと訳が分からない。
「あ、ええと、申し遅れました。私、内閣官房副長官の和泉と申します」と名刺を差し出して来る男性。
「ええええええええええっ!?」
「うるさいなお前」
え、これ怒られる僕が悪いの? 電話で「連れが居る」みたいなことは言ってたけど、それが内閣官房副長官なんてとんでもない地位の人だなんて、誰が想像するの? って言うかそんな人にお前さっきからあの態度なの!? なんて言いたいことは山ほどあるけど、とりあえずここは僕が大人になろう。
「……失礼致しました。頂戴します。ええと……蓮華 陽都と言います。名刺は……多分どこかにある筈なのですが……申し訳ありません」
「いえいえ、お気になさらず。突然お邪魔したのはこちらですから。
それにしても、貴方が蓮華先生だったとは。実は私、貴方の大ファンなのですよ」
そう言って和泉さんが鞄から取り出したのは、デビュー作の初版本。お世辞でも何でも無く、どうやら本当にファンで居てくれているらしい。メディアに残らないように顔出しをしていない僕としては直接ファンと顔を合わせる機会が滅多にないので、思わず興奮してしまい、思わず洋士に話しかけてしまった。
「ちょっ……洋士聞いた!? ファンだって! どうしよう、凄く嬉しい」
「あーはいはい、そう言う話はあとにして、取り敢えず今はこのあとのことを説明してくれ」ちょっと鬱陶しげに言う洋士。その通りではあるんだけど、こいつはさっきからなんで和泉さんにたいしてこんなにフランクに接してるの?
「ははは、洋士さんの言う通りですね。覆面作家である蓮華先生にお会い出来て、つい私も興奮してしまいました。
では改めまして、今日このあとについてですが、実はVR機器およびGod of Worldの開発を行っている、ソーネ・コンピュータエンジニアリング社に対して、蓮華先生の情報を開示した方が良いのではないか、と我々は考えております。勿論、蓮華先生が良ければ、ですが。
理由といたしまして、蓮華先生がその……血液をあまり好まれないとのことで、今回の件につきましてはそれが元でVR機器の故障を疑われているとお聞きしています。
恐らくこちらにあるコクーンタイプのVR機器自体には何の問題もないでしょうから、このまま蓮華先生が今まで通りの摂取量でプレイしても、事態は変わらないでしょう。
お仕事でも使用するとのことですし、脳波が正常に読み込まれないままでは支障がある。そこで、ソーネ社協力の下、現在搭載されている栄養補給パウチの接続部分を改造し、蓮華先生がGod of Worldへと接続中に意識せずに血液を接種出来るようにするのが最善の策ではないかと。
私がここに居るのは、政府として洋士さんや蓮華先生のような方の存在を正式に認めていること、ただしそれは混乱を招く恐れがあるため、公には開示していないことをソーネ社に対して説明する為です。実を言えば他にもそう言った種族の存在は確認しており、その一部の方はVR機器の改造をすることでGod of Worldへと接続していたりもします。私は前もその調整役として、ソーネ社のトップの方とお会いしているので、話は通りやすいと思います。
事後報告で申し訳ないのですが、実は前もってソーネ社の方に、本日の訪問に関しては会社のトップの方と開発側の中心人物にお越しいただくよう調整はしております。ネットワーク上でその類の話をしますと、盗聴の恐れもありますから。蓮華先生には前もってお伝えしておきたかったのですが、そのような事情でお話し出来ず……」
「えっ、あの、僕この間洋士に相談したときに、血液がどうとか普通に電話越しに話してしまいましたが、それは大丈夫でしょうか……?」
「洋士さんの携帯は政府側で用意している盗聴防止加工が為されているので恐らくは。念の為、その電話のあとすぐに洋士さんからの要請で通話内容の記録の類いは全部消去しましたが、それ以降のやりとりは対面でさせていただきたく、本日は押しかけさせていただきました」
「お話は分かりました。僕としてもその提案は魅力的です。ですが、一つだけ疑問なのですが、政府はどうして我々のような少数種族や、いちゲームに対してここまで精力的に動かれているのでしょうか? 確か企業が参画出来るように法整備をしたと言う話は聞きましたが……」
「まず第一に、洋士さんと政府は昔から懇意にしています。長命の方の知識は我々としても是非参考にしたいところですので。第二に、実はGod of Worldは政府としても大いに期待をしているからです。蓮華先生は一昔前に実施したGIFEスクール構想をご存じでしょうか」
「はい。Global and innovative future for everyone――全ての人にグローバルで革新的な未来を提供する――。個別最適化され創造性を育む教育ICT環境を実現する趣旨の構想ですね」
「その当時は学校教育にタブレットやパソコンを導入すると言う手法でしたが、それをそのままバーチャルリアリティ空間へと移行出来ればと考えているのです。そのテストケースとして法整備を行い、企業側へのバーチャルオフィス移転を積極的に推奨しています。ですから、何らかの理由でバーチャル空間へ接続出来ない方に関しては、運営元へと依頼する形でなるべくは解消出来ればと考えているのです」
想像よりも大きな話だなあ。て言うか洋士、政府と繋がりがあったのか。まあ東京で暮らしてるし、やたら裕福だし、あれだけ目立っているにもかかわらず平穏無事に過ごせているのは何故だろう、と思っていたけれど、そう言うことだったのか。それに、これは僕の偏見だけど、和泉さんは政府の人間にしては全く高圧的じゃないし、凄く親切で物腰が柔らかくて……とにかく良い印象。勿論それだけで内閣官房副長官なんて地位に就けるとは思えないけれど、この件に関しては安心して任せられる気がする。
「なるほど。良く分かりました。ところで、ソーネ社へ説明が必要と言うことは、僕たち吸血鬼に関してはまだコクーンの改良を誰もしていないと言うことですよね? ……洋士はそれで良いの? 僕のせいで少数とは言え、第三者に僕らのことを知られてしまうけど」
「まあ、別に。他の仲間にも念の為報告したけど、お前のことだって分かったら笑ってたよ。吐き出すんだから仕方がないよな、ってな。だからそこに関しては気にしなくて良い。俺も昔から政府と繋がってたしな」
「うん、分かった。今回のこと、わざわざ和泉さんに相談してくれてありがとう。えっと……和泉さん、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「いいえ、こちらこそ」
話もまとまったので、ほっと一息。と思ったら、和泉さんのお腹が鳴ったのが聞こえた。そう言えば、随分早い時間に来たし、下拵え中だったから応接間まで料理の匂いが漂っている。和泉さんにとっては飯テロ以外の何物でもなかっただろう。
恥ずかしそうに俯く和泉さんに、朝食を作る旨を伝え、僕はそそくさと準備に取りかかる。
土鍋で炊いたご飯は良い感じに蒸らせているし、昼用に用意した食材を使って、軽く炒め物。お味噌汁も温め直して、器に盛る。
「お昼用に用意していたので、一部被っちゃうメニューもあるんですが、どうぞ」と言うと、和泉さんは物凄い勢いで掻き込んでくれた。いや、本当にうちの洋士が早い時間から連れ回してご迷惑をおかけしました。ん、今回に関しては僕が元凶だから何も言えないか……。と言うより、吸血鬼が作った料理を何も疑わずに食べるなんて凄いですね。
話しているうちに、洋士が和泉さんが赤ん坊のころから面識があると発覚。道理で洋士の横柄な態度も笑って流せる筈だ。そのあと、大分雰囲気が和んだからか、和泉さんは僕の初版本をおずおずと取り出し、サインを所望してきた。いやあ、サインなんて滅多に書かないからちょっと震えてしまったのは内緒の方向でお願いします。