103.赤と黒の化け物
最近遅い時間で申し訳ないです……
2023/02/02 ちょっと修正しました。
「Я уже несколько дней не пью кровь. Могу я выпить немного его крови? Нет, я не могу выпить немного в моем нынешнем состоянии, я бы выпил все и убил его. Этот человек - ликантроп, и я хотел бы присоединиться к нему, если бы мог」
ロシア語だろう声が聞こえる。ガンライズさんの周りをぐるぐると回っている辺り、もしかしたら彼の処遇をどうするのか悩んでいるのかもしれない。実は時間だけはたっぷりとあったので、過去に外国語を勉強してみたこともあったけれど、どうしても何を言っているのか聞き取れずに断念してしまったという経緯がある。書籍であればどうにかなるんだけど……。
これでもかという程頑強に拘束されたガンライズさん。意識はあるらしく、自分の周りをぐるぐると歩き回る吸血鬼にたいして警戒の目を向けている。
既にガンライズさんは僕の存在に気付いているようで、後ろ手で拘束された状態でこちらに向かって必死に指を振っている。動き的に僕を追い返そうとしているようだ。
反対に、あの吸血鬼は僕の存在にまだ気付いていない。人間並の五感ということは、もしかすると暫く血液を摂取していないのかもしれない。懐に忍ばせておいたものにそっと触れながら僕は静かに深呼吸をする。大丈夫、条件が一緒であれば僕にも勝算はきっとある。
持ってきた日本刀をしっかり構え、長年培った技術で攻撃を仕掛ける。疾風迅雷からの構太刀。首を狙ったものの、さすがに直前で気付かれ、右腕で防がれてしまった。右腕が宙を舞う。
「Ай! Черт! Кто там?」
何ごとかを喚きながら落下した右腕を拾おうとする吸血鬼。僕は間髪入れずに畳み掛けながら、右腕をガンライズさんの方へと蹴り飛ばす。ひとまずの目標はガンライズさんを救出すること。その為には相手が起き上がれない程度には痛め付ける必要があるし、腕の修復を許すなんてもっての外。
懐から純銀製のディナーナイフを取り出し、ガンライズさんの手元へと投げ付ける。実はこんなこともあろうかと、ヴィオラの買い出しに付き合ったときに純銀製のカトラリーセットを見つけた際にこっそり購入していたのである。
純銀製の武器を入手しようと思えば必ず洋士に察知される。けれど、これはヴィオラの買い物に護衛として付き添ったときに本当にたまたま見かけただけなのでバレることなく調達出来たという訳。あのマンション内の店の品揃えの良さには感謝してもしきれない。
「ガンライズさん、申し訳ないけど自力で拘束を抜け出してナイフでその腕を切り付けて欲しい」
「ええ、そんな無茶な…………。くっ、死に物狂いでやらせていただきます!」
自分の命がかかっていることを思い出した様子で必死に拘束を逃れようとするガンライズさん。ひとまず右腕が勝手に動き出したりはしていないので、あれは彼に任せて大丈夫だろう。
それにしても、首筋こそ防ぎはしたものの、随分弱い。強い方が良かったなんて戦闘狂のようなことを言うつもりは全くないので大歓迎。だけどあれだけ特殊能力があってここ迄弱いなんてことがあるのだろうか。
ふと、原初の人々の特殊能力を頭の中で振り返ってみた。変身能力と人や動物を操る魔術。裏を返せば、逃亡や防御には便利かもしれないけれど、自分自身が戦う為の能力という面では余り役に立たない気がする。
普段も吸血鬼特有の身体能力の高さにあぐらをかき、逃げ惑う人々相手に一方的に襲い掛かることの方が多いとなれば……案外生きてきた年数に対しての実戦経験の数が少ない、何てこともありうるのかもしれないな。
考え込みながらも再び首筋を狙う。防ぎはするものの、なすすべもなく左腕を切り飛ばされる吸血鬼。ガンライズさんがまだ拘束を解くのに四苦八苦しているようなので、左腕は僕が確保。いや、両腕を切り飛ばしたなら一旦ガンライズさんの拘束を解く方に集中しても良い、か……?
でも変身能力は侮れない。狼や蝙蝠に変身しても腕がない今だと移動にも苦労するかもしれないけれど、霧であれば逃げることは十分可能な筈。ここで逃がせば回復する為に手当たり次第に近くに居る人達を襲撃する可能性が高い。具体的な変身方法も分からない以上、やはり今敵から目を離すべきではないだろう。
「Блин, что за чудовищная сила!?」
「あ、今のは言葉が分からなくても何となく通じましたよ! 僕の悪口を言いましたね!?」
腹が立ったので正面から切る。今度こそ首を狙おうかとも思ったけれど、左腕を僕が持っている今、ここで更にパーツが分裂するとちょっと面倒かもしれないので保留。
それにしても、古今東西悪口だけは何故か言語の壁を越えて通じるものがあるよね。僕はこの現象を勝手に裏・世界七不思議の一つと名付けている。
「Не глупите! Ты делаешь мне больно! Ааааа!」
突然目の前の吸血鬼が絶叫し、苦しみ始めた。いやいや、切りつけた位で大袈裟な……と思いながらふと後ろを見れば、ガンライズさんが無事に拘束を解き、右腕の断面から表面迄執拗に切り刻んでいた。おお、想像以上に良い仕事をしてくれていたみたい。
どうやら噂通り銀製の武器はよく効くらしい。確信を得た僕は、続けて左腕もガンライズさんへと投げ渡す。
「良いね、その調子! それじゃ、こっちの腕もよろしく!」
「そんな明るい声で物騒な物を投げ付けてくる蓮華さんが一番怖えよ!」
「失敬な! これでも君を助ける為に遠路遥々青森くんだり迄やってきたんだから感謝してくれても良いんだよ!?」
「いや、感謝はしてるけど! それとこれとは別って言うか! 俺一応ただの大学生だからこんなグロテスクな物に耐性なんてないんすよ!」
そういえばガンライズさんは大学生なんだっけ? それも十八歳ってことはついこの間迄高校生だったレベル。確かに普通に生活してたら腕の断面なんて見ることないよねえ……いやあ、申し訳ない。
「Принеси эту штуку в руке сюда!」
「えっ」
相手の吸血鬼が何ごとかを呟いた瞬間に、背後からガンライズさんの気配がこつ然と消えた。
本能的に危ない気がして、一歩左に動くことでとにかくその場を離れる僕。次の瞬間には左右の腕を持ったまま吸血鬼の隣に佇むガンライズさん。風圧で元々僕が居た部分の地面の雪が吹き飛ばされている辺り、超速で移動したのだろう。正直な話、血液を摂取していないこの状態で回避出来た自分を褒め称えたい位の速度。
どうやらガンライズさんは何らかの力で吸血鬼に操られてしまったようだ。苦しげな表情を浮かべている辺り、身体はともかく本人の意識はあるのかもしれない。しかし困ったことに、能力の正体も発動条件もさっぱり分からない。呪文のように何かを言うだけで周りの人々を操れるのだとしたら、とんでもない能力と言えよう。本人の戦闘能力が大して高くないのも納得が行く話だ。
両腕を切り落とされる前にガンライズさんを操ってしまえば右腕が犠牲になることはなかっただろうに、おかしな話である。それとももしかして、拘束を自力で解くのを待っていたのだろうか? 操ってから拘束を解かせない辺り、何か秘密がありそうではある。
「あ、もしかして道具を使うような指示は出来ない、とか……?」
「投げたナイフを使って拘束を解け」。その命令が出来ないのだとしたら、拘束を解けという命令に、ガンライズさんは自分の力だけでどうにかしなければならない。先程本人がライカンスロープ特有の力の強さを発揮せず、ディナーナイフを使って拘束を解いたということは彼は自分の能力でこの拘束を逃れることは出来ないと判断していたということ。
つまり、道具を使うような指示が出来ない場合、ガンライズさんは無理やり力任せに拘束を解こうし、その結果腕は使い物にならなくなっていた。自分の代わりにガンライズさんに戦って貰うつもりだったからこそ、それを嫌って彼が自力で拘束を解く迄待っていたのかもしれない。
「なるほど……やっぱり何かしらの制限はある訳だ。問題は僕がガンライズさんの速度に追いつけるかということだなあ……」
「Убей их!」
また何ごとかを呟く吸血鬼。言葉が分からないのがネックではあるけれど、多分僕を殺せとでも命じたのだろう。明らかにガンライズさんが戦闘態勢に入ったし、一人で逃げ出してガンライズさんを手放すのは惜しいと感じたのかもしれない。逃げずに現状を打開するには、ガンライズさんを戦わせるしか方法がないしね。
「れん、げさん、に、げて……」
ガンライズさんが必死な表情で僕に訴えかける。逃げてと言われても。血液摂取による身体能力向上がない今、ガンライズさんの身体能力には到底叶う気がしないし、何より逃げれば僕がここに来た意味がない。
「今の僕じゃガンライズさんの速度には到底叶わないし、助ける為に来たのに逃げるなんて出来ないよ……」
そう言ったものの、既にガンライズさんの自我は飲み込まれてしまったようでぐるぐる唸りながら僕の隙を窺っているだけ。意識がない彼を怪我させるのは忍びない。彼を出来るだけ傷つけずに、且つ、僕自身も死なないように無力化する方法……ぱっとすぐに思い浮かぶのは一つだけ。とはいえ失敗すれば僕もガンライズさんも命が危ない。
結局、予言の通りになりそうな予感がする。ガンライズさんに怪我をさせる赤と黒の化け物って、僕のことだったのかなあ……。