101.幽霊!
現状を聞いたヴィオラが囮になることを申し出てくれたけれど、それは却下した。敵からしても罠と丸わかりの状況でエルフ族を襲うかといえばそんなことはないだろう。自分の快楽を優先させるならばいざ知らず、同族の日本進出を成功させる為であればひとまず人間族を襲うのではないだろうか。ようするにヴィオラが外を出歩いたところで、僕達が監視している以上あまり効果がない筈だし、監視なしで出歩かせるなど言語道断。
つまるところ、現時点で僕とヴィオラに出来ることは限られている。
「人手かあ……。残念ながら僕は知り合いが多くはないし、例え多かったとしてもこんな危険なことに巻き込めないし……古の忍者のように、僕自身が分身出来れば良いのになあ」
なんてことを独りごちながらオフィス街の執筆部屋にて黙々と仕事。仕事は出来るタイミングできちんとこなしておく。これから先、たとえ忙しくなっても黎明社に迷惑をかける訳にはいかないからね。
困ったことに、今日は更に頭を抱える企画も佐藤さんから持ち込まれた。そう、先日黎明社の方にお詫びに伺った際にも言われた、サイン会の件である。どうやら次の新刊発売に合わせてサイン会イベントを本格的に推し進めたいらしい。ぐぬぬ……。
配信者としての僕を知らない人達にも、今回の王都クエストでそれなりに顔を覚えられてしまったしなあ……もし万が一サイン会にプレイヤーが来てしまったら、あっと言う間に職業も名前もバレてしまう。いや、でもそもそも僕の小説を読んでる人はまあ、それなりに居るとはして。その中からわざわざサイン会に来たいなんて人、居るのだろうか……?
「ああ、でもGoW内で実施するなら交通費とか考えなくて良いし、気軽な分意外と需要が……?」
うーん。篠原さんも言ってたよなあ、下心を持って近付く人が増えてくるって。どうしよう。新刊に合わせてとなるとあと半年ちょっと。準備や告知、抽選なんかを考えるとあまり保留にする訳にもいかない。
普段なら洋士に相談するところだけど、最近はそうも言っていられないし、いい加減自分一人で判断しないとなあ。......よし、サイン会を実施するメリットとデメリットを洗い出して、メリットの方が多ければ受けてみよう。
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メリット
一、知名度が上がって印税が増えるかも
二、仕事のオファーも増えるかも
三、読者と触れ合って、僕の作品に需要があるということを再認識出来る
四、黎明社への恩返し
五、篠原さんへのお詫びにもなる筈
六、副次効果でGoWの配信収益も上がるかも
デメリット
一、GoW内で活動がしにくくなる
二、配信でますます迂闊な発言が出来なくなる
三、更にアンチが増えそう
四、顔出しすればこの先何十年か困ったことになる、か?
五、……
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「あれ、思ったよりデメリットが思いつかないな……」
六対四。メリットの勝ち。……ふむ。自分で決めたルール、破る訳にはいかないだろう。サイン会は実施の方向で。……大丈夫、思ったより反響が大きくて面倒なことになったら、今度こそキャラクター削除をするなり、キャラメイクをしなおすなり考えれば良い。
時刻は午前三時。この部屋で仕事をしている間は強制排出はされないのでいくらでも続けていられる。けれどさすがにぶっ通しで仕事をし過ぎたのもあって、一旦ログアウトでもしようかな。
ログアウトボタンを押下し、視界が暗転してから数秒。プシューという聞き慣れた音と共にコクーンの蓋が開く。
「洋士は……やっぱり居ない……か。どうしよう、ヴィオラが寝ていることを確認してから図書室で本でも借りて来る?」
と独り言を言ってからふと違和感を感じた。何だろう。洋士が居ない今、どう考えてもありえない生体反応がある……ような気がする。
反応自体は微弱で途切れ途切れ。正直気のせいかと思うほど弱々しい。けれど、コクーンから一歩、二歩と離れると徐々に反応を強く感じる。……気のせいではないみたい。
「誰か、居ますか?」
静かに問い掛けてみるものの、反応はない。え、幽霊だったらどうしよう……。でもまさかこんなことでヴィオラの睡眠の邪魔をする訳にもいかないし……。それこそ敵の吸血鬼だったらヴィオラを呼ぶのは論外。
愛用の日本刀……はさすがに室内で振り回すのは不利なので、護身用の短刀を右手に握って息を殺す。その気になれば血液を摂取した状態でも心臓や呼吸の音を止め、無音の状態になることは出来る。ちょっと違和感を感じるのでやりたくはないけれど、今はそんなことは言っていられない。
そろり、そろりと反応が強くなる方向へと進んでいく。方向としては扉の方から感じる。ということは部屋の外?と思い、廊下へと顔を出すと、反応は少し弱まった。どうやら僕の部屋の中に居るらしい。
更に居場所を絞り込む為に扉側を向きながら一歩、二歩と蟹歩き。……箪笥の中か。
閉まっていた筈の扉がうっすらと開いている。誰かが開けた証拠だろう。うわあ、開けたくない。開けた瞬間血まみれの人が立っていたら気絶する自信しかないんだけど……!
覚悟を決めて深呼吸。次の瞬間、勢いよく両手でそれぞれの扉を開くと暗闇にきらりと光る両目と目が合ってしまった。……目が合ってしまった!!!!
「「う、うわああああああああああ!」幽霊!」
「ん?」
「え?」
僕が叫ぶのは分かるけれど、なんで相手が叫ぶのだろう。いや、それよりもこんなにはっきりとしゃべれる幽霊って居る……のかな?
「あれ、幽霊じゃない……?」
「幽霊ではないのです! 失礼なのです!」
「何だ……幽霊じゃないなら良かった。……どちら様?」
「妖精族の千里なのです! じゃなくて! も、もももももしや、吸血鬼ではないですか!?」
「え、うん。まあそうだけど……勝手に入ってきたのは千里く……ちゃん? だよね?」
「妖精族に性別はないのです。個人的にはちゃんはやめて欲しいのです」
「それは失礼、では千里さん。改めて、うちにはどのような要件で?」
「――なのです」
「え?」
「だから! 蓮華様の! ファンなのです! まさか吸血鬼だったなんて……千里の命はここ迄なのですうううううう、お許し下さい、父上、母上えええ」
「ええ……」
初対面でとても失礼なのはどっちなのかという話ではあるのだけれど。それ以前に、僕が血を好む類いの吸血鬼だとしても、このサイズ感は正直……腹の足しにもならないのでごめん被るというか。まさに手の平に丁度収まるサイズ。一体このサイズにどれだけの血があるというのだろう。
「……? がぶっといかないのです? どうせならひと思いにいってほしいのです」
「いやあ、僕は血は好きじゃないから……」
「変わった方ですね」
「ファンだからって理由で勝手に家に侵入してくる人には言われたくないかな」
「あっ! その物言い! まさに蓮華様なのです! 神官に向かっていった感じそっくりなのです」
「あれ、そこまで軽蔑した感じで言ったつもりはなかったんだけど……ごめんね。って、ん? ファンって、そっちのファン?」
てっきり小説の方かと思った。いや、顔出ししてないし特定される要素はあまりないか……。
「? それ以外に何かあるのです? 一つ前のおうちに住んでいる方が蓮華様の大ファンだったのです。私もついつい横目で見てしまい、そこから虜になってしまいました! なので、次にお世話になるおうちは蓮華様の家、と決めて場所を調べたのですが……何たる不覚、気が急いてしまって深く調べずにやってきてしまいました。まさか吸血鬼だとは……」
「あー、うん。えっと、僕は千里さんのことを食べないからまずは安心して欲しい。で、うちに住むってどういうこと? 色々な人の家を転々としているのかい?」
「はいなのです。私達は妖精族の中でも、人間の間でブラウニーと呼ばれる者の原形だと思うのです。家の持ち主は私達が住んでいることを知りません。気付かれたら次の家に行く。それが生き残る秘訣なのです」
ブラウニー。確か、家に住み着いて家人がいない間に家事や家畜の世話をする妖精、だっけ? ただお礼の仕方を間違えると、家を出て行ったり悪い妖精に転じたりするとかしないとか。
「……なるほど。家を選ぶ基準は?」
「我々も食べないと生きていけません。ですからちょこっと……いえ、まあそれなりの量の……食料をいただくのです。それに気付かない住人であることが第一条件。次に清潔であること。食料が減っていても気付かない家の大半はおうちが汚いのです……食事を貰う代わりに何か恩返しはしますが、さすがに汚いおうちを片付けたら気付かれるし、何より嫌なのです……。あの黒光りする生物と目が合った日には寝ることも出来ないのです。
家族で住んでいるところが理想ですが、基本的に人数分の食材を買っていることが多いのです。なので食べると気付かれやすいのです。……私のせいでつまみ食いを疑われて喧嘩になるのは忍びないので、一人暮らしを狙うのです」
おお、意外とよく考えられている。ただ、今回に関しては本当にリサーチ不足もいいところ。第一に僕は洋士と二人暮らし。第二に、この家には食事をする者が居ない。つまり、食材の類いが一切ないということである。大丈夫かな、この子。
「うーん……気付いちゃった以上、別にこの家に住んで貰うのは構わないけれど。生憎僕は家主じゃないからね、住むなら彼の許可が必要かな。あと食事をするのは千里さんだけだから、一緒にスーパーに行って買うことになると思う」
「そ、そんな至れり尽くせり……! はっ、さては裏がありますね? きっと家主が血を好む方の吸血鬼なのです!」
当たりだけど多分洋士も千里さんの血は絶対要らないと思うなあ……要らないって言ったら逆に傷付くかなあ。……あ。
「いや、そもそも僕達はちゃんと人間族の人々に許可を貰って血を分けて貰ってるから……そんなどこぞの吸血鬼と違って襲ったりはしないよ」
「で、で、でも、巷で失血死をした死体が見つかったって前のおうちの人が読んでいたですよ?」
「ああ……話すと長くなるけれど、今この国には別の国の吸血鬼が来てて。僕達で追い払おうとはしているんだけれど、如何せん人手が足りないって感じで。ごめんね、不安にさせて。少し時間はかかると思うけれど、絶対また元の安心な世の中にするから」
僕は殲滅戦に加わっている訳じゃないので、こんなことを言うのは仲間にも、千里さんに対しても申し訳なさを感じるけれど。
「むむむ……。吸血鬼がうろうろしているのであれば、また一からおうちを探すのは得策ではないのです。蓮華様が血を好まないというのを信じるとして、……暫くはこのおうちにご厄介になりたいのです!」