94.分かりました
遅くなりました!
神官の猿轡外す描写追記しました。本当だよ、なにしれっと話してるんだろうこの人……。猿轡されてたじゃないですか。
聖下=教皇の敬称です。
つい先日のクリスマスパーティー。実はクリスマスケーキというものを作るのが人生で初めてだった。
ところがこれが厄介で、生クリームを絞る道具は太いので割とすぐにこつが掴めたんだけど、問題はチョコレート。もたもたしていたら袋の中でチョコレートが固まっちゃうし、文字を書く為の切り口は細いので中途半端な力では出てこない。最初はもう、文字が途切れ途切れで見るも無惨、散々な出来映えだった。
それでも、折角なら完璧なものを作りたいと思って、何度も何度もチョコレートで文字をかく練習をしたのである。
「今こそ、練習の成果を試されるとき……!」
先程同様、既に開いている中央の部屋の魔法陣で試してみる。チョコペンのコツは、一定の速度で、一定の力で絞ること。更に事前に書く場所や文字をイメージしてから始めるとなお良い。
今回の場合は、そもそも魔法陣の読み方が全く分からない。上書きというのが具体的には分からないけれど、要するに一種の芸術品のように綺麗に一字一句違わず書き上がったものが魔法陣だとするならば、線一本追加するだけで効力を失うのではないだろうか。その為には僕の魔力の質の方が上である必要がある、と。
右上の模様が一番複雑そうだし、ここに波線をぐぐーっと引いて崩してしまえば良いかな……。力はこの位で、速度は今の鼓動の速度にしよう。最後に魔力を右の人指し指に集めるようなイメージで……。
淡く光っている魔法陣に、さっと一筆で波線を描き入れる。うん、練習の成果が上手く出ているんじゃないだろうか。
均一の太さを維持した波線は、すうっと魔法陣の中に溶け込み、その直後魔法陣は光を失った。
「これで良いのかな? 試しに扉を閉めてみるか……お、壁に溶け込まずに境目がくっきり見えるし、閉めたあともちゃんと開く。ってことは成功か」
「もご、もごもごもご」
神官が後ろでもごもご言っている。ああ、猿轡か……。何か言いたいことでもあるのだろうか。そっと外してやると、呆然とした様子で独り言のように話し始めた。
「まさか、本当に……いや、これが『練習の成果』ですか。……私は練習なんてとうの昔にやめてしまった、これがその違いなのですね」
僕の「練習」を神聖魔法のそれと勘違いしているようだけれど、チョコペンです。まあ都合が良いので否定はしないけれど。彼に構っている暇もないしね。
再び右掌全体から魔力を放出。まだ見つかっていない魔法陣のありかを探る。なかった場合どうすれば良いだろう。なんてことを心配している間にも掌全体にピリピリとした感覚が伝わってくる。ビンゴだ。
「ここか。どれどれ……形はさっきよりも複雑だし、全体的に丁寧な感じがするなあ。よっぽどばれたくないと見える」
でももうコツを掴んだ僕は怖くない。と思う。さっきと同じ手順を踏めば大丈夫な筈。複雑な形をしてる分、無効化する手順も複雑なんてことはないよね? どきどき。
「まあ失敗しても精々右腕の一本持っていかれる位でしょ……多分」
今死んで復活拠点に戻るのは困るけど、右腕が使えなくなる位ならば問題ない。ちょっと不便を感じるだけで、左腕でだって十分刀は振るえるし。
先程よりも丁寧な魔法陣なので、こちらも先程よりも丁寧さを心掛けて魔力を指先から捻り出す。これはぶっつけ本番、複製なんて出来ない特注のケーキだと思うんだ……。やり直しは利かない、一発勝負だぞ!
先程のように一度波線を引いてみたけれど、模様が複雑だからか魔法陣は光を失わず稼働したまま。ふう、焦るな自分。ここで焦って最初の線と太さが変わってしまえばきっと僕の魔力が負けてしまい、魔法陣が反撃をしてきてもおかしくない筈だ。
よくよく考えれば、左腕でも刀は振るえるけれど魔力の調整も上手く出来るかというと怪しい。つまり、チャンスはこの一度きり。焦らず、先程と同じ調子でもう一本、円の左下辺りを狙って書いてみよう。
ゲームエンジンが正確に僕の心情をトレースし、額からは汗がしたたり落ちている。いけない、緊張で手が震えては失敗してしまう。深呼吸。鼓動の音は先程よりも早く、リズムの役には立ちそうにない。大丈夫、思い出せば良い、足でリズムを取る。トン、トン、トン……。
一本目の波線同様、リズムに合わせてさっと魔力を流し込む。今度こそ魔法陣が効力を失えば良いのだけれど。一秒、二秒……消えた。
「よし!」
喜びを声に出してからそっと扉を開く。罠が魔法陣だけとは限らないし念には念を、ね。もう毒ナイフは懲り懲りだ。
中にはまだあどけなさが残る顔立ちをした少年と、女性が居た。女性の方はプレイヤーアイコンが頭上に表示されている。この人が先程礼拝堂で話題になっていた「えいり」さんだろうか。
「……誰?」
少年の方が警戒心も露わに僕に尋ねる。いや、僕というよりも僕の後ろから部屋の様子を伺っている神官の方に視線が向いているようにも見える。
「そんな……なんてことだ……本当に、本当に大神官猊下なのですか?」
僕の後から神官が少年に駆け寄るも、女性プレイヤーがそれを制する。
「何ですか、貴方は!?」
神官が激昂する。いや、どう考えても少年が貴方を警戒してるから身を挺して庇っているだけでしょう。教皇なんて地位にいるにもかかわらず、神官を警戒する。これはもう、大神官代理とやらは真っ黒以外の何ものでもないのでは?
「貴方こそいきなりなんですか。まるで何も知らないような顔をして……。仮に本当に知らなかったとしても、この子の状況を見て何の疑問にも思わないんですか? 大神官猊下だとは分かっているんですよね?」
「そ、それはそうですが、しかし……私は一体何を信じたら……」
女性プレイヤーの剣幕に押され、神官はしどろもどろになりながら後ずさる。何を信じたら、って最初から女神だけを信じていれば良かったものを、大神官代理なんか信じたからこうなったのでしょう。
「失礼。その首輪は? いや、それ以前にこの部屋に貴方達を閉じ込めたのは大神官代理ですか?」
神官の存在はさくっと無視して、僕は二人に話しかける。そう。一番気になるのは少年の首に嵌まっている首輪だ。一見したところ、他の黒髪黒目の人達とは違って手錠こそ嵌められていないものの、少年の首がか細い分、首輪の方がより醜悪に見えたのだ。
「そうです、朝一番に『今日は来客が多いから』と閉じ込められました。それからこの首輪は、彼が魔法を使うことを禁ずる道具のようです。多分鍵も大神官代理が持っている筈」
「随分と殴られた跡がありますね」
「あの男はこの子に治療用の魔法スクロールを量産させているんです。でも最近は何をされても作らないので、業を煮やしたあの男が……。私が治せたら良かったんですが、まだ全く魔法が使えなくて」
「分かりました。治療する前に……ひとまず、中央礼拝堂の方に聖下に会う為に神官達が押しかけているようです。お二人も一緒に行って、現状を皆に訴えましょう。……えいりさん、ですよね? 皆さん心配していましたよ。無事で良かったです」
「……良かった。本当に良かった。王都クエストが発生していたみたいだし、今日ならなんとかなるかもしれないと思って騒ぎになるように立ち回っていたんです」
そう言いながら、えいりさんが立ち上がり、少年に手を貸す。教皇は二年の監禁生活の弊害か、筋肉が衰えて歩きにくいようだ。
「君は……大神官代理個人に仕えるのか、女神シヴェラに仕えるのか。今からでもしっかり考えた方が良い。まあ、もう手遅れな気はするけれどね」
最後に神官に声をかけてから部屋をあとにする。さすがにもう逃げられても暴れられても作戦に大きな支障はないだろうと判断し、解放した。
壁一枚隔てただけなのに、中央礼拝堂へは裏庭をぐるっと回って正面へ出ない限りはいけないらしい。壁をぶち抜いて行きたいところだけれど……大神官代理を初めとした関係者が失脚したとしても、教会自体はきっと存続するだろうし。面倒なことにならないように器物損壊はやめておくとしよう。
§-§-§
「これはどう言うことですか! こんなひどい……神に仕える者のすることではありません」
「ああ、ああ、なんてこと……! 巷で変な噂が流れているのは知っていましたが、まさか我々が元凶だったとは」
「魔力の搾取だって? 最初から利用する為に根も葉もない噂をでっち上げていたってことじゃないか!」
「お前ら、今迄俺達を騙していたってことか!? それじゃなにか、この間やって貰ったばあちゃんへの祈りの儀式も、何の意味もなかったってことか! 冗談じゃないぞ!」
礼拝堂の中は混乱を極めていた。怒鳴り散らす住民、騒ぎを聞きつけて駆けつけたものの状況が飲み込めずにいる治安維持隊の隊員と、僕達に協力していたので事情を知っているのだろう、説明している別の隊員。そして詰め寄る神官達と、詰め寄られている神官達。騒ぎの中心に居る黒髪黒目の人々。
そんな中、僕とえいりさんに連れられて誰よりも美麗な刺繍が施された神官服を身に纏った少年が登場した。そして少年の首に嵌まった悪趣味な首輪と黒髪黒目というその容姿。誰の目にも少年が神官を束ねる存在であると同時に、あちらに居る黒髪黒目の人々と大差のない扱いを受けていたことも一目で明らかだ。
「あの服……まさか、大神官様?」
「そんな……それじゃあ今迄大神官だと思っていたあの男は一体……」
「大神官猊下! ようやく、ようやくお目にかかることが出来ました……!」
「一体これは……ご病気というのは噓だったということですよね!?」
「罪のない人々だけではなく、大神官猊下迄……こんな恐ろしい場所だったなんて。私は神ではなく、悪魔に仕えていたのでしょうか」
「冗談じゃない! おい、治安維持隊! こいつらが一体どんな恐ろしいことをしていたのか、全て明かるみにしてくれ!」
「いや、それは我々の仕事では……」
「そんなことは分かっているさ! とにかく逃げる前に捕まえてくれと言っているんだ。特に大神官の振りをしていたあのペテン師! あいつだけは絶対に捜し出して捕まえてくれ」
誰かが話している最中であっても構わず叫ぶ人々。もはや誰が何を言っているのかも、近くの声以外は聞き取れない。そんな中、こつこつとヒールの音を打ち鳴らしながら登場する、貴族令嬢。さすがに身分社会、これだけ混乱を極めていても貴族だと気付いた時点で人々は静まった。
「……騒がしいわね。けれど皆さんの言うことは正しいと私も思います。 ずっと大神官だと思っていたあの男性は偽者で、そこに居る少年が本物の大神官猊下だった。いえ、すべきことさえしているのであればまだ良いでしょう。ですが、今迄の話を聞いている限りそこに居る神官達は卑劣な手段を用いて自分達の能力低下を隠蔽しようとしただけ。そして最も重い罪は、女神シヴェラの子である大神官猊下を閉じ込めていたということ……。神をも恐れぬその所業、既に神官である資格があるとは思えません。そうでしょう、父上?」
よく通る声で皆の意見をまとめたのは最近よく会うかのご令嬢。フェリシア・バートレット嬢。そしてその隣、父上と呼ばれた人物は当然、現侯爵であるアーサー・バートレットその人。
「うむ、娘の言う通りだ。娘に治療を受けさせる為に様子を見に来てみれば、こんな状況になっているとは……」
随分と説明口調な辺り、最初から分かっていてあえて出張ってきましたね。僕の視線に気付いたのか、フェリシア嬢がこちらに目配せをしている。ああ、要するに二人を利用して事態を収拾しろと。そういうことは初めに伝えておいて欲しかったですね……。





