92.悪いようにはしないから
「おーい、起きろ。ほら、早く起きて」
頬を何度かぺちぺちと叩いてみることしばし。「ううん」と唸りながら神官が目を開いた。そしてぎょっとしたように身を固める。それはそうだ、目が覚めた途端に首筋に刃物が当てられていたら誰でもそうなるだろう。
「静かに。うん、良い子だ。小耳に挟んだんだけど、この部屋の出口、君の魔力が必要なんだって? まあ大人しくしてたら悪いようにはしないからさ、ちょっとここの扉と隣の部屋の扉、開けてよ」
「これじゃどっちが悪者か分からないな……」
後ろから何か聞こえるけど気にしない。いやいや、問答無用で太もも刺したりするより全然生易しい方だと思うよ? まあ血痕が落ちたり下手に騒がれたりして周りに気付かれるのが面倒だからやらなかっただけなのだけど。状況次第では選択肢に入ってきます、はい。
僕の要求に神官は少し抵抗したが、首の皮をうっすら傷つけたら黙って頷きました、よろしい。
「別に自己回復出来るなら逃げたって良いんだよ? まあ首切られても治療出来るだけの力量があるのかは知らないけれど」
「い、いえ、大丈夫です。喜んで開けさせていただきます」
黒髪の男性相手には随分と威勢が良かった割に降伏が早いな、この神官。まあ戦闘能力が皆無の人が命の危機に瀕したらこんなものかな。毒ナイフ一撃で僕を殺れなかったのが運の尽きだったね。でも、さっきの男性の話だと魔力はともかく、治療は神官自らやっているんじゃないのかな? どうしてこんなに自信がなさげなのだろう。それとも、そこにも何かからくりがあるのか。
本棚付近へと歩を進めている最中、後から呼び止められた。振り返ると、地下の戦闘が一段落ついたのか床から突入班所属のプレイヤーが覗いていた。僕が神官の首筋にナイフを当てている絵面を見てちょっと驚いたような表情をしている。
「あー……班長。こちら捕縛完了しました。負傷者四名は治療中、二名死亡で拠点へ戻りました」
「了解。えーとどうしよう。まずリスポーンした人はこっち迄戻ってくるのは厳しいようなら突入班Bと合流して。雰囲気的にこっちはA班だけで何とかなりそうだから、B班は地上に出てヴィオラの方の手伝いをして貰った方が良いかも」
突入班AとBはそれぞれ千五百人ずつ。当初は下水路での大規模戦闘を考慮していたけれど、既に建物内に侵入出来た今、千五百人でも多い位な筈。
それならば今の内に陽動部隊と合流し、正面とここからの挟撃作戦に移行する準備をしておいた方が何かあっても対処をし易いかもしれないと判断。
「それと支援班は解毒ポーションも作って貰えると助かるかな。当たり前のように毒を使ってきたからね、この神官」
『こちら支援班、先程のやり取りを聞いていたので、早速作り始めてます!』
『こちら陽動部隊。中央礼拝堂の雰囲気が怪しいわ。突入班Bが合流してくれるのであれば早めに来て貰った方が良いかも』
『突入班B、了解した。地上へと帰還する。突入班Aの帰還組は現地集合されたし』
『了解、教会正面で待機します』
「さて、と。それじゃあ突入班Aはどうしようか。全員が登ってきてもあれかな……ああ、でも中央礼拝堂の雰囲気がおかしいなら、全員一緒に居た方が良いか。時間はかかるけど全員上がってきて貰って良い? さて、じゃあ神官さんには出口を開けて貰おうかな。たかしくん、なんかつっかえ棒みたいなの探して出入り口の扉を固定して貰っても良い?」
「おっけー」
「お、お言葉ですが余り大人数では人目につくんじゃありませんか……?」
神官が口を挟む。僕達の心配をしているというよりも、礼拝しに来た市民に見られたくない一心な気がする。
「心配してくれるの? でも、人目について困るようなこと、僕達はないから大丈夫だよ。むしろ困るのは貴方達、でしょう?」
にっこりと笑顔で追い打ちをかけるのを忘れないでおく。がっくりと項垂れてはいるものの、まあちゃんと扉を開けるという仕事はしてくれたのでよしとしよう。そんなことより、礼拝堂の様子が怪しいとはどういう意味だろうか。もたもたしてはいられない。一刻も早く他の人達を救出して向かわないと。
廊下に誰かが待ち構えている可能性も考慮してみた物の、誰も居ない。ふむ……ここまで来ると何だか拍子抜けだなあ。案外教会側のプレイヤーが少ないとか。うまみもあるのかないのか怪しいもんね。いや、でも匿名で忠告があった位だしある程度の警戒心は持っておくべきか。
出てきた部屋の扉を振り返ると、何の変哲もない壁に見える。今は仲間達が出て来られるように開けているものの、閉まった状態であれば扉があると分かっていても見つける自信がない。なるほど……これでは仮に今迄助けに来た人が居たとしても、ここに部屋があるとは思わずにスルーしていただろう。
部屋を出て左に歩くこと数歩。何の変哲もない壁に向かって神官が自分の手の平を壁につけ、魔力を注ぐとあら不思議、あっという間に壁が扉のように開いたではないか。
「お、開いた。さて、と。全員居ると良いけれど……」
僕達は事前に行方不明者の容姿・年齢・名前を記録した一覧を作成していた。つまりそのリストに該当する人全員が見つかれば全員救出の目安となり、逆に足りなければ別の場所に囚われていると判断出来る。探すか神官を問い詰める必要が出てくるだろう。
『蓮華くん、急いで。礼拝堂で一悶着始まってる。ただ、教会側と私達じゃなくて、神官同士が一触即発って感じなの。私達は礼拝の振りして傍観中。ちょうど住民の注目が集まっているし、人質を保護したら連れてきて貰った方が良いかもしれないわ』
神官同士が一触即発? もはや何が何だか分からないけれど、とにかく急ぐ必要がありそうだ。僕は神官の首筋に短刀を当て続けるという重要な任務があるので、事情説明とチェックはたかしくんに一任。リストの名前を一人一人読み上げて応答して貰っている。
「蓮華さん、全員居るみたい。リストに居ない子も三人居た」
「全員居るなら良い……かな。あ、えーと、そうだ。他にも囚われている人を知っている人は居ますか?」
僕の質問に対して首を振る人が多い中で、何人かが何かを言いたげな様子だ。誰が話すのか決めていたのだろう、ようやく一人の少女が立ち上がって話し始めた。
「あ、あの……多分一人、居ます。でも、その子は何か……私達と違って」
「違う? どういうことですか?」
「きれいな洋服着てるの。でもこの部屋みたいに自分じゃ出れない場所に閉じ込められてるって言ってた。地下牢にいたときにたまたま一緒になって」
「そこがどこだか分かりますか?」
「えっと、どこだろう……」
戸惑いながら他の人達に知っているかを確認する少女。そこまでは話をしていない、か。しかし綺麗な服を着ている? どういうことなのだろうか。
「一階だって言ってた。だからいつか脱出するチャンスはある、外の世界を見てみたいって」
「一階ってこの階だよね……神官、この部屋と隣の部屋以外にも隠し部屋が?」
「わ、私は知りません! 女神シヴェラに誓って本当です」
「ってことは、存在していたとしても君の魔力じゃ開かない可能性が高いのか……どうしたものかな。壁を直接打ち壊してみるとか?」
「もし本当にそんな部屋があるとしたら、ここと同様、破壊防止の魔法陣も組み込まれている筈です! 下手に刺激をすれば侵入者と判断して魔法陣が反撃してきますよ」
なるほど、やけに素直に扉を開けてくれたと思ったら、僕達が無理やり開ければこの神官も反撃魔法にやられるのが分かっていたからか。巻き込まれるのはごめんだとばかりに悲鳴をあげているのがその証拠だ。しかし、この神官が開けられない以上、力任せに壊すしか方法が思いつかない。或いはここに師匠が居れば魔法陣の破壊方法を聞くことが出来たのかもしれないけれど……。
そう考えてから、ふと思いつく。見張り班Bの持ち場が師匠の住む家のすぐ近くだった筈。
「見張り班Bの誰か、急いで師匠……魔術師シモンのところへいって、魔法陣の見つけ方と破壊方法を聞いてくれないかな。僕の名前を出せば話が通じると思うから」
ややあってから応答があった。
『了解、俺が行きます!』
「俺」が誰かはよく分からなかったけれど、ひとまずお願いすることにする。少し遠いけど念の為ってことで配置についておいて貰って良かった。まさかこんなところで活躍して貰うことになるとは。
「魔法陣を壊すなんてそんな簡単に出来るようなことではないのでは……」
などと神官がぼそぼそと、それでいて少し馬鹿にしたような顔で口出しをしてくる。お? もしかしてもう短刀の存在を忘れていらっしゃる?
「さあ、それはやってみないと分からない。少なくとも君よりはここに居る人達の方が魔法の才能はある筈だからね」
むっとした表情で黙り込む神官。腹が立つのであればちゃんと修行すれば良いだけなのに。師匠も言っていた筈だ。素質は確かに黒髪黒目の人の方があるけれど、結局は努力がものを言うのだと。それに才能の有無が目につき始めるのは、エルフを筆頭に長命種の方だとも。つまり人間族の寿命であれば、才能云々なんて気にする必要はなかったのだ。
それを勝手に勘違いして自分には無理だと決め付けて、挙げ句の果てに黒髪黒目を誘拐して魔力貯蔵庫のように扱っていたのはこの人達だ。自業自得と言わずに何と言えば良いのだろう。
連絡を待っている時間が勿体ないので、ひとまず僕以外のプレイヤーの皆さんには捕虜になっていた人達を連れて先に中央礼拝堂へ行って貰うことにした。どんな理由で揉めているにせよ、とにかく今は情報が欲しい。もしかしたら今話に出て来た「もう一人囚われている誰か」が話の中心と言うこともあり得るしね。