03
ルーシィは焼き上がったパンを店頭に並べる。
食べずとも美味と分かる香りが店内に充満する。その香りを嗅いだカナリアのお腹が控えめになったのを隣にいたルーシィは聞き逃さなかった。
「食べる?」
パンを差し出されたカナリアは真っ赤な顔を左右に振った。
「いえっ、まだ仕事中ですし! お客様もいらっしゃいますので!」
「あらあらいいのよ、カナリアちゃん。ちょっとくらい摘まんでいても私たちは気にならないわ」
店内にいるのは、常連客ばかりだった。
「ほら、そう言ってくださっていることだし」
差し出されたパンを躊躇いつつ受け取る。その瞬間、手に優しい温もりが伝わり、恥ずかしそうにしていた顔が途端に綻んだ。
「では、あの、お言葉に甘えて……いただきます!」
大きな口を開けてかぶりつくと、彼女は満面の笑みを浮かべる。
これが、カナリアがルーシィを怒るに怒れない原因だった。
「おいっしぃぃ!」
その表情を見た常連客たちは「私も買うわ」と持っていたトレイにパンを載せた。彼女たちはこの店のパンの美味しさを知っているからこそ足を運ぶのだが、それとは別にカナリアの幸せに満ちた顔を見たくて来ている節もある。その顔を見るとどれだけ落ち込んでいても、ふっと自然に笑みが零れるのだ。
今日も、本当に美味しそうに食べる子を見ることができた客たちは、満足げに帰って行くのだった。
『主、主っ』
幸せを噛みしめているカナリアの腰に小さな衝撃が走った。
カナリアが目線を下げると大きな金色の瞳と視線がぶつかった。
『僕も食べたいにゃっ』
猫のような形をした異界のモノ、ケットシーがパンを催促する。
「そうね、ケットシーも朝早くからずっと頑張ってくれていたもんね」
ケットシーは人間と同じように二足歩行することができるので、厨房から店内へパンを運んだり、パンを袋に詰めたりなどカナリアに次ぐルノエールの大事な従業員だった。賃金という概念がないケットシーに報酬としてルーシィはパンを与えていた。以前、もっとちゃんとしたものの方が良いのではないか、と尋ねると、彼は首を左右に振った。
『ルーシィさんが焼くパンが一番のご褒美にゃっ』
それ以来、ルーシィとカナリアは働いてくれた対価としてパンをケットシーに渡していた。
ケットシーは二本の前足で今日の対価を貰い、口いっぱいに頬張った。
『んにぃぃ、美味しいにゃぁぁ!』
二股に分かれた尻尾が左右に揺れる。
『ルーシィさんの作るパンは本当に美味しいにゃっ。あっちの世界でも美味しいって評判で、みんな食べたいって言ってるにゃ。こうやっていつでも食べられる僕は本当に幸せモノだにゃぁ、主と契約出来て本当に幸せにゃっ!』
ありがとう、と言ってくる瞳を見ながら主であるカナリアは複雑な顔をした。