7:ジェレミーの好きな人(3)
「リリアン!」
「おかえり、ジェレミー」
「ああ、ただいま」
リリアンはジェレミーの手を取ると、ニコッと微笑んだ。彼女のその笑顔に、ジェレミーの頬はほんのり赤く染る。
その様子を呆然と見ていたキースは空いた口が塞がらない。
(うわぁ。よく見るとわかりやすいくらいに好きが溢れている!!)
今までは気がつかなかったが、ジェレミーの想い人がリリアンだと知った今となっては彼がどれだけ彼女を好いているのかがよくわかる。
なぜ今の今までジェレミーのこのわかりやすい変化に気がつかなかったのだろう。
(えぇ……。鬼のジェレミー殿下が。帝国の獅子が。デレデレだぁ)
戦場での冷酷なジェレミーを見てきたキースは何だかいけないものを見てしまった気分になり、目を逸らせた。
「またクライン卿をいじめてるの?」
「いじめていない。こいつが勝手に土下座しただけだ」
「ふふっ、また怒らせてしまったと誤解されたのね」
表情筋が乏しいせいか、いつも誤解されがちなジェレミー。リリアンは彼の頬に両手を添えるとその肉を掴んで横に引っ張った。
「にゃにしゅるんだよ」
「ジェレミーには笑顔が足りないのよ。だから怒ってるって誤解されるの。ほら、笑って?」
花が綻ぶように笑うリリアンに、ジェレミーは一瞬切なげに目を細めたが、結局彼女に釣られるように柔らかく微笑んだ。
それは女神の微笑みの如き美しさで、ジェレミーに後光が差しているように輝いて見えた。
いつの間にか主君に視線を戻していたキースは生唾を飲み込む。このままその美しさに惑わされてしまいたい。そんな気分になる。
「キース・クライン。気を確かに持ちなさい」
「ハッ! 危なかった!」
リリアンの一言で我に帰ったキースはゴシゴシと目を擦る。
再び目を開けた時、そこにいたのはいつもの無表情な第二皇子だった。
「……先程の光景は幻でしょうか、ハイネ嬢」
「貴方まだ見たことなかったの?この老若男女問わず、惑わしてしまう微笑みを」
「殿下にお使えして3年になりますが、初ですね」
「そう。初めてが私がいる時でよかったわね。そうでなければ卿は今頃牢の中よ」
「噂には聞いていましたが、ここまでとは思いませんでした。以後気をつけます」
「ええ。気を引き締めてちょうだい。そうでなければ第一皇子殿下から直々に拷問を受けることになるわ」
「おそろしい。笑顔で一枚一枚爪を剥がすヨハネス殿下の姿が目に浮かぶ……」
「リリアン、何だかよくわからないがとても不愉快な会話をされているような気がするぞ」
「気のせいよ、ジェレミー。貴方が可愛いという話だから」
「やはり不愉快な話じゃないか」
ジェレミーは可愛くないと眉間に皺を寄せると、ギロリとキースを睨んだ。
キースが言ったわけじゃないのに、理不尽だ。
「あ、そうだ! ねぇ、ジェレミー。聞いてると思うけど、私とヨハネス殿下は婚約解消したから」
「……ああ、聞いている」
何でもないことであるかのように婚約の解消を話すリリアンに、ジェレミーは気まずくて視線を足元に落とした。
自分のせいで兄と彼女の6年がなかったことになったのは、流石に申し訳ないと思うらしい。
しかし、それでもジェレミーは彼女を手に入れたいのだ。
ジェレミーはグッと顔を上げてリリアンの手を取り、真剣な眼差しで彼女を見据えた。
「リリアン!」
「なぁに?」
「あのさ……。俺、リリアンに言いたいことがあって…」
「言いたいこと?」
「ああ。聞いてくれるか?」
「うん……?」
「お、俺は、リリアンのことが、その……好……、す、すすす……」
グッと拳を握りしめるジェレミー。心臓が早鐘を打つ。
そばで見守るキースは、自分の存在がこの雰囲気を邪魔しないようにと口元に手を当てて息を殺した。
『え? 指輪は? 花束は? というか、ここ廊下ですけど!?』なんて思っても、それを口に出してはいけない。そんなことをすれば、きっとジェレミーに殺されてしまう。
それほどまでに彼の周りは緊張感に包まれていた。兄の許可が出た今、きっともう、気持ちが抑えられないのだろう。
しかし、熱を帯びた目で話を切り出した彼の様子にリリアンはなぜかクスッと笑みをこぼす。
「ふふっ。そんなに責任感じなくても大丈夫よ」
「……え?」
ジェレミーは一瞬、時が止まったような感覚を覚えた。
リリアンのふわっとした微笑みに嫌な予感がする。
「私とヨハン……、じゃなくて、ヨハネス殿下は元々愛し合っていたわけじゃないし、婚約解消されても皇室とハイネ家の関係は良好なままだから」
「そ、そう?」
「だからね、頑張ってね!」
「えーっと、何を?」
「好きな人、いるんでしょう?」
「……うん」
「プロポーズするって聞いたから」
「する……と言うか、しようと思っていたというか……」
「私さ、ジェレミーのそういう話聞けて、実はすごく嬉しいのよ? 貴方のハートを射止めたのは一体どこのご令嬢なのかしら」
「ハハハッ。ど、どこだろうね……ハハッ」
「応援してるからね、ジェレミー!」
「ありがとう……」
ジェレミーの手を取り、ブンブンと振り回しながら確実に彼に傷を負わせていくリリアン。
キースはその様子を見上げ、思わず『うわぁ……』と声を漏らした。
(ああ。哀れな殿下。脈ゼロじゃん)
確かに、花束も指輪も持っていない状態で勢いに任せて求婚しようとしたジェレミーが悪いのかもしれない。
だが普通、少しでも相手のことを異性として見ていたら、明らかにちょっと告白の雰囲気を出して話を切り出そうとした男の話をぶった斬って、『別の女に求婚するんだろう? がんばれ』なんて言わない。
これが遠回しにフっているのでないとしたら答えはただ一つだ。
リリアンは、ジェレミーのことなど眼中にない。
元々、貴族令嬢の憧れであるあのヨハネスにさえも特別な感情を抱かなかった女だ。
ジェレミーのことも、さほど意識したことなどないだろうとはある程度は予測できたが、まさかここまで眼中にないとは思わなかった。
(スペックだけで言えば、ヨハネス殿下より勝るのに)
キースはチラッとジェレミーを見る。
ジェレミーは相変わらず無表情だが、目には薄ら涙が浮かんでいるようにも見えた。
「私、明日には公爵邸に戻るから。正式な引っ越しはまだ先だけど、今までみたいにあまり頻繁に会えなくなるかもしれないわ。だから元気でね」
「……もう出ていくのか?」
「うん。婚約者でなくなったのに、いつまでもここに居るのはツェツィーリア公女殿下にも悪いしね」
「そうか……」
本当に随分とアッサリしている。
ヨハネスとの間に恋はなくとも彼との関係は良好だったし、この城には思い出が詰まっているはずだろうに。
何事にも執着しないタイプの人なのだろうか。自分ともこうして頻繁に会えなくなるのに、そのことについてもなんとも思っていないのだろうか。
考えると悲しくなってきたジェレミーは小さくため息をこぼした。
「じゃあ、またね。ジェレミー」
「ああ、また……」
「クライン卿も」
「あ、はい。また……」
キースは謎に正座したまま、さわやかな笑顔で去っていくリリアンを見送った。
「なあ、キース・クライン」
「はい。なんでございましょうか、ジェレミー殿下」
「花の手配を頼みたい」
「は、花ですか?」
「薔薇の花束だ。なんかとりあえず大きいやつ」
「………」
「………」
「殿下」
「何だ」
「大きければいいってもんでもないと思いますけど」
多分、それよりもやる事があるはずだ。
キースはもう少し仲を深めてからプロポーズすべきだとジェレミーを諌めた。




