70:責任とって(7)
「あ、あのぉ……」
物陰から、申し訳なさそうに顔を出したキースは、振り返った主人の表情を見て死を覚悟した。
笑顔なのに怖い。いや、笑顔だから逆に怖いのか。
キースは反射的に土下座した。
「キース・クライン。お前は本当に死にたいらしいな」
「緊急事態ですので、どうかご容赦いただきたく……」
内心では、こんな状況で乳繰り合っている方が悪いだろうと思いつつも、キースは言葉を飲み込んだ。
「こらジェレミー、いじめないのよ」
「ハイネ嬢ぉ……」
「ごめんなさいね、クライン卿。ほら立って」
「すみません。ありがとうございます」
リリアンはジェレミーを宥めつつ、キースに手を差し伸べる。
キースはその手を取ろうとしたが、ふと気づいてしまった。この手を取った瞬間に、手首ごと切り落とされる可能性に。
「…………大丈夫です。自分で立ちます。死にたくないので」
キースはスッと立ち上がると、チラリと主人を見た。彼の視線に気づいた主人は笑顔で小さく頷いた。
良かった。これで正解だったようだ。
「それで?どうしたんだ?」
「ヨハネス殿下が戻ってくるように、と。そろそろ魔法を解いていただかないと、大貴族たちの尊厳の危機です」
「どういう意味だ?」
「…………トイレに行けません」
「ああ、なるほど」
子どものお漏らしは可愛いが、大人のそれはただの失態では済まされない。
ジェレミーは奴らのそんな姿を想像し、鼻で笑った。
「ごめんなさい、そういえば忘れていたわ。すぐに戻りましょう」
「待って、リリアン。戻って大丈夫なのか?」
「え?何が?」
「何がって……、結構な事をやらかしただろう?」
大事な会議の場に乗り込み、国の重鎮たちを拘束し、皇帝を脅した。これは立派な反逆だ。
今戻れば無事では済まないだろう。
普通なら。
しかし、リリアンは心配するジェレミーに、あっけらかんとして「大丈夫でしょ」と言った。
「大丈夫って……、何を根拠に……」
「私ね、無謀な賭けはしない主義なの」
「どういう意味?」
「陛下は確かに愚かだったけれど、それは情が邪魔をして身近な人間に対しての判断力が鈍っていただけ。私を生かすか殺すか、どちらの方が国にとって利益となるのかが分からないほど、馬鹿ではないってことよ」
「だけど……、父上は君を……」
「殺せと言った?」
「……」
「大丈夫よ。あれは衝動的に言っただけだから」
父親の「殺せ」という命令を思い出し、ジェレミーは悲痛に顔を歪めた。
リリアンはそんな彼を優しく抱きしめた。
リリアンの髪から香る薔薇の香油の匂いが、ジェレミーの心を落ち着かせる。
「大丈夫よ。大丈夫」
「……どうしてそんなに楽観的なのさ」
「私を呼んだのがヨハンってことは、彼があの場を治めたのでしょう。なら心配ないわ。……それに、仮に私を殺そうとしても無駄だと思わない?あそこにいる奴らに私は殺せないわよ」
「……確かに」
普通の騎士をかき集めたところでリリアンには敵わない。
あそこにはハイネ公爵もいるが、リリアンを溺愛する彼が、娘を殺すのに手を貸すとは思えない。
「私を殺すには軍を動かしてもらわないと」
リリアンは冗談ぽく言った。だがあながち間違いでもないだろう。リリアンが本気を出せば、この城の掌握くらい造作もない。
小娘一人を殺すのに帝国軍が必要になるとは、何とも恐ろしい。人畜無害みたいな顔をしてとんでもない女だ。キースはブルッと体を震わせた。
「さ、行こう」
リリアンはジェレミーの手を引いた。
ジェレミーは彼女の、自分よりも小さな手に引かれて歩き出す。
いつも自分を掬い上げてくれる、小さいのに大きなこの手がとても愛おしい。
ジェレミーはだだ繋いでいた手を、指を絡めるようにして繋ぎ直した。
「もう絶対離さないから」
「ふふっ。次手を離したら、その時は私も容赦しないから」
きっと、国を滅ぼしかねないほどの喧嘩に発展するだろう。
後ろを歩くキースは、どうか二人がいつまでも仲睦まじく過ごしてくれることを祈った。




