69:責任とって(6)
先ほどまで晴れていた空が、不吉なほどに分厚い雲に覆われている。
今にも降り出しそうな空模様に焦ったジェレミーは、急いでリリアンを探した。
そして広い庭園の片隅で、拗ねた子供のように小さくうずくまる彼女を見つけた。
「リリアン……。降り出しそうだから、とりあえず屋根のあるところに入ろう?」
ジェレミーはリリアンの小さな背中に手を伸ばした。
だが、彼女は振り返ることなくその手を拒絶した。
「来ないで」
地を這うような低い声。これは本気の怒りだ。
ジェレミーは伸ばした手をすぐに引っ込めた。
「……私、今怒ってるから」
「ご、ごめん……」
「ねえ、それって何に対する『ごめん』なの?」
「君を悲しませたから……」
「それだけ?」
「……え?」
「私、知らなかったよ。ジェレミーにとっての私が、こんなに簡単に手放せる程度の存在だったなんて」
「ち、違う!それは違う!」
簡単に、なんてありえない。本当は今でも身が引き裂かれそうなほどに辛い。
ジェレミーはリリアンの言葉を強く否定するように叫んだ。
けれど、リリアンの声は冷たいままだ。
「手放したのだから同じよ。嘘つき」
リリアンは立ち上がり、くるりと振り返った。
そして服の袖で涙を拭い、真っ直ぐにジェレミーを見据える。
「ジェレミーはもう私のこと、好きじゃないの?」
「好きだよ!今でも好きだ!愛してる!」
「じゃあ、どうして身を引く決断をしたの?」
「それは……!」
「民のため?国のため?みんなが望んでるから?…….あなた、そんな殊勝なことを言う人だったかしら」
リリアンの知るジェレミーはもっと利己的だったはずだ。
今まで国のことなど一度も考えたことがない、皇族としては最低な男。
いつも死ぬために生きてきいて、危険な魔獣討伐に赴くのだって国のためじゃない。せめて、死に意味を持たせたいという彼の個人的な願いのためだ。
リリアンとの婚約だって、相手の気持ちなんて考えもぜずに脅して、半ば強引に決めた。
「……そんなふうに利己的に生きてきたのがジェレミーでしょ?」
「そんなはっきり言わなくてもいいじゃないか」
自覚はあったつもりだが、他人の口から改めて聞くとやはり最低だ。ジェレミーは気まずそうに視線を足下に落とした。
「何よ。本当のことでしょ?」
「まあ、そうなんだけど……」
「そんな貴方が、自己犠牲?笑わせないでよ」
「……」
「もし貴方が自分を犠牲にすることを美徳としているのなら、私はそんな人とは今後付き合っていけない。自分を大切にできない人は、結局他人のことも大切にできないもの」
「リリアン……」
「私はジェレミーの本心が聞きたい。貴方がどう思っているかを知りたい」
リリアンの鋭い視線がジェレミーを捉える。その大きな碧の瞳は、決して逃しはしないと言っているようで、ジェレミーはグッと唇を噛み締めた。
そしてしばらく迷い、観念したように口を開いた。
「……本当は君と一緒にいたい。ずっと死ぬまで一緒にいたい。君が他の男のものになるなんて耐えられない。ましてそれが兄上だなんて、最低最悪な気分だ」
「へぇ。そう」
「で、でも…………、自信がないんだよ。聖女になってしまった君の隣に立つ自信が、今の俺にはない。だから皆の要求を受け入れるふりをして、自分の弱さを隠そうとした」
今の自分じゃ、君に相応しくない。
高潔な君の隣に立つ資格が欲しい。
ジェレミーは消え入りそうな声でつぶやいた。
それは彼の本心だった。
だが、リリアンはそんな彼の本心を小馬鹿にしたように、鼻で笑った。
「……なんで笑うんだよ」
「だって、おかしくて」
「おかしい?何が?」
「その資格って、誰が決めたの?」
「誰って……」
「私の隣に立つ資格があるかどうかを、なぜ他人が決めるの?それがあるかないかを判断するのは私でしょ?」
「それは……、確かにそうかもしれないけど……」
「私は私の隣に立つ男に条件を設けた覚えなんてない。でも強いて言うなら、その資格があるのは私が認めた男だけよ。……現に私は、私が認めた男としか婚約してない!」
ハイネ公爵家の力は絶大だ。その上、リリアン・ハイネはスペックだけで言うと、皇族よりも価値のある女だ。
だから、たとえ皇命であろうと、リリアンは断ることができた。もしリリアンが国を出ると脅せば、ヨハネスとの婚約もジェレミーとの婚約も反故にすることができた。
それでもそうしなかったのは、彼女にその意思がなかったからだ。
「私に認められているのに、何が不満なの?」
一切の迷いも感じさせないほどの揺るぎない瞳でリリアンは言い切った。
あまりにも自信満々に言うものだから、ジェレミーは思わず吹き出してしまった。
「……あはは!そうか!そうだよな!君に認められているのに何を恐れることがあるんだろうな!」
大好きな人が自分の事を好いてくれているのに、どうして資格とか他人からの評価を気にしてしまったのだろう。ジェレミーは愚かな自分が心底おかしくて、笑いがおさまらない。
「はあ……。どうしてそんなにカッコいいのさ」
ジェレミーは無意識にリリアンの頬に手を伸ばした。
しかし、その手を盛大に振り払われる。
相変わらず力が強い。ジェレミーは振り払われた手をさすった。
「…………痛いんだけど」
「私まだ怒ってるから。触らないで」
「どうしたら許してくれる?」
「自分で考えて」
「えー?そうだなぁ、今度甘いものを食べに行こう。美味しい菓子屋を知ってるんだ」
「やだ」
「んー、じゃあ朝市の食べ歩きは?港町の方の朝市は首都より賑やかで面白い食べ物がたくさんあるらしい」
「……」
「あ、ちょっと揺らいだ」
「うるさい!」
珍しい食べ物が気になって何が悪い。
リリアンはジェレミーの口を左手で塞いだ。
するとジェレミーは彼女の手首を掴み、薄らと目を細めた。
そして手のひらをペロリと舐める。
リリアンはその舌先の感触にブルッと体を震わせた。
「な、何するのよ!」
「え、何となく?」
「何となくで人の手のひらを舐めるな!離してよ!」
「やだ」
ジェレミーはニッと口角を上げ、リリアンを自分の方へと引き寄せた。体勢を崩したリリアンはあっけなく、ジェレミーの腕の中に収まる。
いつも自信満々で堂々としているせいだろうか。体はこんなに小さいのに、いつも実際よりも大きく見える。不思議だ。
「好きだよ、リリアン。大好き」
「知ってる」
「勝手に婚約を解消しようとしてごめん」
「本当にね」
「もう絶対そんなこと言わないから。許してほしい」
「……今回だけよ。次はないから」
「わかった」
「言っておくけど、私、これが初恋だから」
「奇遇だな、俺もだ」
「だから、責任とってもらわないと困るわ」
「うん。取るよ、責任」
「じゃあ、ちゃんと誓って」
リリアンはそっと、ジェレミーを見上げた。
その視線に気づいたジェレミーは、同じようにリリアンを見下ろす。
交わる視線に胸の鼓動が速くなる。
二人の頭の中に思い浮かんだ“誓い”から連想される行為は、おそらく同じものだろう。
リリアンは軽く背伸びをし、ジェレミーは彼女の後頭部に手を回した。
徐々に近づく距離。唇が触れるまであと数センチ……
というところで、一人の男の足音が全てを台無しにした。




