66:責任とって(3)
父と母と三人での食事。
それは兄のヨハネスにはあって、弟のジェレミーにはなかった経験。
だから、その日の晩餐はジェレミーにとってはとてもかけがえのない時間となった。
たとえ、自分を見る母の目が懺悔と後悔に満ちていても。
たとえ、父の笑顔に罪悪感が滲み出ていても。
薄っぺらい『お前は大事な家族だ』という言葉でさえ、彼にとっては宝物で。
……愛想笑いをする自分の頬が引き攣っていることには気づかないふりをした。
*
(リリアンは皇后に相応しく、俺は皇帝には相応しくない。それだけだ)
晩餐の席で父に何を言われたのか、よく覚えていない。緊張と喜びと、それを遥かに上回る虚しさで頭がいっぱいだったから。
終始申し訳なさそうにする父が何度も『お前が悪いわけではない』と言っていた気がするが、それはどうでもいい。
ただ、リリアンの手を離さなければならないという事実がそこにあるだけ。
いつもの大会議室。重々しい空気の中、読み上げられる議題を右から左へと聞き流しながら、ジェレミーは落ち着きなく手元をいじる。
ふと脳裏をよぎるのは自分のことを好きだと言ってくれた時の、リリアンの愛らしい顔だ。
あのかっこよくて可愛い、狂おしいほどに愛している婚約者はもう目を覚ましただろうか。
「ハイネ嬢とて、一国の皇后としての待遇を与えられたほうが幸せだろう」
会議の最中、そんなことを言う父の声が聞こえた。
反論できない。多分そうなのだろうと思うからだ。
ジェレミーはその出自の曖昧さから、確実に皇帝にはなれない。
それどころか、もしかすると皇族の地位すら失うかもしれない。
そうでなくても、元々の根暗な性格や社交性のなさ、人望のなさ。ジェレミーのあらゆる部分が皇族という身分に見合っていない。
その一方でヨハネスは正当な王位継承者だ。政治的なセンスもある。性格も容姿も完璧で、リリアンとの相性も良い。
きっと出自の問題がなくとも、彼女を幸せにできるのは間違いなくヨハネスの方だろう。
「そもそも、ジェレミー殿下には皇子として……」
そんな声が聞こえる。皇子として相応しくないなんて、何度も聞いた。
ジェレミーは小さく息を吐く。無意味だと知りながらも、その吐息に捨て切れない感情を乗せて。
(ごめん。リリアン……)
皇族に振り回されるリリアンには申し訳ないと思う。せっかく好きになってくれたのに、たくさん頭を悩ませて恋をしてくれたのに。
ああ、あんなにも愛おしい人を自ら手放すなんて、胸が張り裂けそうだ。
(でも、仕方ない。これが皆が望んでいる筋書きだから……)
ジェレミーは心の中で、これが皇子として国のためにできる唯一のことなのだと言い聞かせた。
嘘つきだ。
皇子としての役割に目覚めたなんて、そんなことないのに。
本当は出自の曖昧さがより明確になった自分に自信が持てないだけのくせに。
聖女にまでなってしまう彼女の隣に立つ自信がないだけのくせに。
ジェレミーはそんな自分の醜いところに気づかないふりして、自分自身に最もらしい嘘をつく。
そして好きだ好きだと迫っておきながら、彼女の意見すら聞かずに、自分の心に嘘をつき、彼女の手を離す。
ああ、なんて弱く醜いのだろう。
(ごめんなさい。愛してる、リリー)
ジェレミーはこの日、すべての議題に賛成の意を示した。
*
リリアン・ハイネに聖女の称号を与える。
賛成:9票。反対:1票。
リリアン・ハイネを第一皇子ヨハネスの婚約者とする。
賛成:8票。反対2票。
第一皇子ヨハネスを皇太子とする。
賛成:10票。反対0票。
公平で民主的な投票の結果、この日議題に登った全ての案件が可決された。
暖かな日差しが差し込む朝の議場。天使が描かれたステンドグラスは鮮やかに光り輝き、この国の新たな歴史の幕開けを祝福しているかのようだ。
そんな中、ヨハネスは自分とリリアンとの再婚約に賛成の票を入れたジェレミーを困惑の眼差しで見つめていた。
「おい。どういうことだ」
隣に座る弟に小声で問いただすヨハネス。だが彼は俯いたまま、何も答えない。
議場の貴族たちはハイネ公爵を除いて、皆ジェレミーの判断を賢明だと褒め称えた。
ハイネ公爵は呆れ顔で肩をすくめ、皇帝アルヴィンも満足げな顔をして会議を締め括ろうとする。
「待ってください、陛下!聖女の称号に関しては仕方がないにしても、婚約については本人の意見を聞くべきではありませんか!?」
ヨハネスはバンッと円卓を叩き、父王に訴えた。アルヴィンはそんな息子に対し、困ったように微笑んだ。
「その時々の情勢で婚約事情が変わるなんてことはよくある話だ」
「そ、それは確かにそうなのですが……。しかし陛下。私とハイネ嬢はすでに一度婚約を解消しております。そしてその事は公に発表され、彼女とジェレミーとの婚約もすでに公表済みです。それなのにまた私と婚約を結び直すとなると、民はどう思うでしょうか?心象は良くないのでは?」
「儂もヨハネス殿下の意見に賛成ですな。陛下の思惑は理解しているつもりですが、もう少し慎重になるべきかと」
「心配なさることはありません、ハイネ公爵閣下。ジェレミー殿下が汚れ役を引き受けてくださるそうですから」
「…………は?」
不敬にも口を挟んできた一人の頭が薄い小太りの紳士が、紳士らしからぬ下卑た笑みを浮かべながらジェレミーをチラリと見る。
ジェレミーは俯いたまま、小さく頷いた。
それが何を意味するのかヨハネスにはすぐに理解できた。
「噂をそのまま利用するのか?」
ベルンハルトに扮したイライザが、オリビアを使って流した噂。愛する二人はリリアンに横恋慕するジェレミーによって引き裂かれたというあの話。
アレを否定せずに広めることで、ヨハネスとリリアンの婚約をよりロマンチックに演出し、より正当なものへと昇華させるつもりなのだ。
ヨハネスはギリっと奥歯を鳴らした。
「あの噂はハイネ嬢本人が大勢の前で否定している」
「ですがその後すぐにイライザのことが明らかになり、場は混乱しました。ハイネ嬢本人の否定は忘れ去られているに違いない」
「そんなの許されるわけないだろう。おい、ジェレミー。黙っていないで何が言え。お前も当事者だぞ」
「兄上、俺は……」
「ヨハネス殿下。先程から何がご不満なのですか?貴方様は今この場で皇太子になることが決まりました。次期皇帝です。玉座に座る者は国母に相応しい女性をそばに置く義務があります。そしてこの国で一番貴方様の隣に相応しい女性は、聖女となるリリアン・ハイネ様ただひとりでございます」
「ヨハネス。ジェレミーはもう納得してくれたのだ」
「納得!?納得などするはずがないでしょう!?ジェレミーに何を言ったのですか!?ジェレミー、お前もお前だ!そんな簡単に諦められるような軽い気持ちでリリアンを欲しがっていたわけではないだろう!?」
「いい加減にしないか、ヨハン」
「しかし、父上……!」
「そもそも、この議題は公平な投票によりもう可決された。故にこの決定は覆らない」
基本的に敵対する派閥同士が集まった会議の場で、多数決により決定したことは絶対だ。
それが貴族社会の総意。ひいては国民の総意として扱われる。ヨハネスは大きく舌を鳴らした。
すると、その時だった。
議場の扉が乱暴に開かれた。
外にいた衛兵は内側へと倒れ込み、なぜか寝こけている。貴族たちは皆何事かとざわつく。
そんな騒然とした中、外からの眩い光と共に姿を現したのは軍服を着たリリアン・ハイネだった。




