65:責任とって(2)
リリアンは静かに目を覚ました。
だが脳はまだ起きていないのか、手足が重く動かない。どう動かせば良いのかを忘れてしまったような、そんな感覚だ。
これが夢なのか、現実なのか、区別がつかない。
リリアンは微睡の中、視線だけを左右に動かした。
すると、彼女の視界にはもう会えないと思っていた幼馴染の姿が映った。
『……ベルン?』
リリアンがそう尋ねると、ベルンハルトはいつもの顰めっ面で「おはよう」と返す。
随分と痩せこけ、髪は真っ白だし、肌の艶もまるでないが、声は間違いなくベルンハルトだ。
『これは夢かしら』
ベルンハルトに尋ねるも、彼は何も言わない。
ただ困ったように笑うその顔で、これが夢なのだと悟った。
『ベルン、死んだの?』
『ごめんな、リリアン。先に逝くよ』
『そっか……、そう、だよね……』
リリアンの推測ではベルンハルトが黒魔法の呪いを受けてからもう1年近くが経つ。
鍛えたイライザでさえ、ああなのだ。ベルンハルトが生きている可能性は限りなく低かった。
けれど、死んでいるとも思いたくなかった。大事な幼馴染だから。
『ごめん。ごめんね、ベルン』
リリアンは静かに涙をこぼす。
夢の中のこのベルンハルトの姿はきっと、彼が死んだ時の姿だ。こんな風になるまで、彼は苦しんだのだろう。
もっと早く、幼馴染の異変に気付けばよかった。定期的に手紙のやり取りをしていたのに、異変に気づけなかった自分が不甲斐ない。
ベルンハルトが皇宮に現れてからも、彼らしくない言動が多々あったのに、すぐに別人だと気づけなかった。黒魔法の使用の可能性を頭に入れなかった。
自分の恋に浮かれて、大事な人の異変に気づけないなんて、情けない。
ベルンバルトはそう言って懺悔するリリアンの涙を、痩せこけた手で優しく拭ってやった。
『……リリアン。もういい。泣くな』
『大切な幼馴染を思って泣くのはいけない事なの?』
『泣いてくれるのは嬉しいが、それは今じゃない。今は泣いている場合じゃない』
『どうして?』
『君がもし、彼と共にありたいと思うのなら、どうか早く目を覚まして』
『ベルン……?』
『僕はいつまでも君の幸せを願っているよ。だから、もう良い子はやめろ』
ベルンハルトはそれだけ言い残すと、花吹雪とともに姿を消した。
リリアンは消えゆくベルンハルトの手を掴むように、腕を伸ばして飛び起きる。
「……あ、夢……」
シンとした白い室内。伸ばされた腕には添え木がされている。
折れた骨や裂けた皮膚を魔法でくっつけてくれたのだろう。微かに残る痛みからリリアンは今の自分の体の状態を把握した。
「……お、おはようございます」
声をかけられ、リリアンはハッと横を向いた。
すると、キース・クラインが目を丸くしてこちらを見ていた。
「おはよう、クライン卿。あなたが看病してくれたの?」
「い、いえ。今の今までジェレミー殿下がずっとそばにいらしたのですが……。今は少し外されています……」
ジェレミーの名を口にした瞬間のキースの表情には少し影が見えた。
リリアンはその表情の変化を見逃さなかった。
「キース・クライン。状況説明」
「……え?」
「早く」
「あ、は、はい!」
キースはリリアンの強い口調に驚きつつも、これまでのことを全て報告した。公国のその後からイライザ達の現状、聖女の話から婚約の話まで全て。少しでも隠そうものなら命の保証はないような、そんな気がしたのだ。
「……と、いうわけです」
「そう。ありがとう」
話し終えたキースがチラリとリリアンの方を見ると、リリアンはにっこりと微笑んだ。その微笑みが逆に怖い。
「クライン卿。私の軍服とローブを持ってきて」
「え……、あの、着替えならメイドを呼びます。殿下がドレスを用意してくださっていますよ」
「いいえ、軍服とローブが必要なの」
「……な、何をなさるおつもりですか?」
軍服とローブが必要ということは、それを着ていなければできない事をしようとしているということ。
キースの顔は一気に青ざめる。やはりこの人は守られているだけのお姫様ではいてくれない。
「あの、ハイネ嬢の腕の骨は仮でくっつけているだけです。体力も魔力も完全には回復していませんし、医師はまだ安静にしていてほしいと……」
「……ねえ、クライン卿。私はね、結構皇室に尽くしてきたと思っているのよ」
1年だけだが進んで魔獣討伐に赴き、皇家の希望でヨハネスと婚約してからは血反吐を吐く思いで苦手な淑女教育を受け、6年間ヨハネスの婚約者としてそこそこ完璧に振る舞った。そしてジェレミーが望むからという理由で急に婚約を解消され、6年間の苦労を水の泡にされた。
別にリリアンに拒否権がなかったわけではない。断ろうと思えば全て断れた。
これらは全てリリアンが自分で選んだ道で、それを選んだこと自体は後悔していない。
けれど、また皇家の都合でヨハネスの婚約者にしようなど、さすがに振り回しすぎではないだろうか。
このリリアン・ハイネがずっと、いつまでもニコニコと言われるがままに従うと思っているのなら大間違いだ。
「私は都合の良い道具じゃないのよ」
「そ、そうですね?」
「それで?クライン卿。ジェレミーは私を諦めるつもりでいるわけ?」
「あの、お、おそらくは……。自分が陛下の子ではない可能性に真実味が帯びてしまいましたし、何より民が望んでいるからと」
「ははっ!何それ。民が望んでいるからで身を引くなんて、そんな殊勝な性格ではないでしょうに」
「……その、シュナイダー卿の死が影響しているのかもしれません。彼の研究と彼の志を目にして、その、皇族としての自覚が芽生えたと言いますか……」
「はあ?今更?今までそんなこと、一度も考えたことなかったくせに」
リリアンは苛立ったように舌を鳴らした。
「…………クライン卿。やっぱり軍服とローブを持って来て」
「あの……」
「持って来いと言っているのよ。この私が」
「……は、はい!」
殺気が混ざった鋭い眼差しにキースはブルッと体を震わせた。
ジェレミーの犬としての本能が、彼女に従えと言っている。
キースはすぐに外のメイドに服を持ってくるよう命じた。
そしてリリアンに背を向けたまま、もう一度問う。
「……あの、本当に何をなさるおつもりですか?」
「殴りに行く」
「……はい?」
誰を?
なんて、キースは怖くて聞けなかった。




