64:責任とって(1)
リリアン・ハイネは自尊心が高い人間だ。
両親に愛され、兄に愛され、婚約者に愛され……、多くの人に愛されて育ってきたせいだろう。彼女は自分のことをとても大切にしている。
だから、どんな場面でも自分の命をかけることはない。自身のキャパシティを正確に理解しており、これ以上は死ぬという場面では一歩引くことだってできる。
「だから、リリアンが死ぬことは……ない」
白く清潔感のある皇宮の医務室で、青白い顔をして横になるリリアンの手を握り、ジェレミーは祈るように彼女の手の甲にキスをした。
消毒用のアルコールの匂いと、窓から差し込む柔らかな日差しと、頬を撫でるそよかぜ。
ここにあの、太陽のような笑顔があれば完璧だったのに。
あれから1週間。リリアン・ハイネは眠り続けている。
原因は単純に魔力の使いすぎだ。
医師の話では体を休めていればいずれ回復するとのこと。
だが、その『いずれ』がいつになるかは誰にもわからない。
「殿下、そろそろお休みに……」
「黙れ、キース」
「……すみません」
気が立っているせいか、ジェレミーは冷たく当たった。彼の性格をよく知るキースでなければ、理不尽なその態度に心が折れていることだろう。
「……俺の心配をするより先に報告だ」
「は、はい……。えっと……、まずはベルンハルト・シュナイダーについてです。魔塔の調査が済みましたので、彼の遺体を伯爵家に引き渡しました」
「……そうか」
「葬儀は……、その、ハイネ嬢がお目覚めになってからとのことです」
「……くそっ!」
ジェレミーはグッと奥歯を噛んだ。
あの後、キースはマクレーン領の山奥の小屋でベルンハルトを見つけた。
彼の体は柱に縛り付けられており、死因はおそらく餓死だ。瘴気が体を蝕むよりも先に、飢餓に苦しみ死んだと思われる。
(惨い事をしたものだ……)
餓死させるくらいならいっそのこと、その場で殺してやれば良かっただろうに。
空腹と喉の渇きで無駄に苦しんだ彼は、何を思いながら息絶えたのだろう。
飢餓に苦しむ人を救う研究をしていた彼が、飢餓により死に至るとはなんとも皮肉なことだ。
(できる事ならベルンハルトには生きていて欲しかった)
別に、ベルンハルトと特別な接点があるわけではない。
だが彼はリリアンの大切な人だ。彼女にとって大切な人はジェレミーにとっても大切な人になり得ただろう。
彼の死を聞いたリリアンはどんな反応をするのだろうか。
覚悟はしていたから大丈夫だと、無理に笑いそうな気がする。
ジェレミーはゆっくりと吐き出した。
「ベルンハルトの研究を彼の功績として発表したい。準備が整うまで、誰も彼の研究に触れることがないようにして欲しいとシュナイダー伯爵夫人に伝えておいてくれ」
「……はい」
こんなもの、ただの自己満足でしかない。けれど皇家の問題に巻き込んだせめてもの償いだとジェレミーは言う。
(リリアンの大事な幼馴染を奪ってしまったな……)
自分のせいではない事は理解している。この件を自分のせいだと主張するのはさすがに傲慢というものだ。
けれど、自分の事を皇族であると主張するならば、皇家の問題に巻き込まれた末に死んだベルンハルトのことはきちんと背負わねばならない。
ジェレミーはもう一度大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。
「……他に報告は?」
「先程、公爵閣下が公国から戻られました」
「早いな。城は血の海だったろう?見たかったな」
「いえ、無血開城となったようです。こちらに向かっていた公国の魔法師の首を手土産に渡したらアッサリと降伏したと」
「それは残念だな」
「公王はこのことを知らぬようでした。糸を引いていたのは野心がすぎる公子だったそうです」
「どっちでもいい。興味ない」
「公子の身柄はこちらに引き渡されました。公国にはハイネ嬢の兄君が残っておられます。陛下とヨハネス殿下はこれから公王と教皇聖下との会談に行かれるそうです」
「そうか」
「あと、当然の如く、ヨハネス殿下と公女の婚約も無くなりました」
「だろうな、それも別にどうでもいいけど」
公国の今後はどうでもいい。知ったことではない。どうせこちら側の人間を送り込んで属国とする事でケリをつけるだろう。
「……イライザは?」
「手足を切り落として牢の中です。洗いざらい吐かせたので用済みなのですが、処刑は先送りになりました」
「リリアンが目覚めないからか?」
「まあ、そうですね。陛下としては、聖女によって裁きの鉄槌が下されたのだとアピールしたいのでしょう。処刑にハイネ嬢を同席させたいみたいです」
「……そんなことまで背負わせないでくれよ」
やはり、あの時殺しておけばよかった。
あの神殿で変に理性を働かせたのが良くなかった。
誰に何と言われようと、あの時に全員殺しておけばリリアンは目が覚めてもゆっくりと休息を取ることが出来ただろうに。
「聖女か……」
ジェレミーは血が滲むほどに強く、唇を噛んだ。
「あんな神秘的な魔法を見せられては、聖女と崇めたくなる気持ちもわからないではないが」
「あの……」
「まだ何かあるのか?」
「いえ、その……」
キースは張り詰めた空気の中、視線を泳がせながら必死に言葉を選ぶ。
しかし上手い言葉が見つからないのか、何かを言いがけては口を閉じてを繰り返していた。
ジェレミーはそんな彼の雰囲気を察して、面倒臭そうに振り返る。
「リリアンを兄上の婚約者に戻す、という話でも出ているのか?」
「……っ!?」
キースはぐっと喉を鳴らした。
いっそ八つ当たりでもしてくれたらいいのに、とさえ思う。
声を荒げることなく、冷静にこちらを見るジェレミーにキースは苦しそうに顔を歪めた。
「……今回のこと、教皇は自分とは無関係であると主張するでしょう。しかしそれで陛下が納得するとも思っていないでしょう。おそらく教皇は正式にハイネ嬢に聖女の称号を与えることになるかと思われます」
教皇が与える聖女の称号の効力は絶大だ。大陸中がリリアンを慕い、聖女が誕生した国として帝国も他国から一目置かれることになる。
「民衆は聖女の誕生に湧くだろう。そして、聖女が皇后となることを望むだろう……、というのが上層部の見解です」
「……まあ、妥当だな」
「しかしその際、彼女の隣に立つのがジェレミー殿下では、その……」
「何かと不都合なのだろう?俺は父上の子ではないかもしれないからな」
ジェレミーは自嘲するように笑った。キースは何も言えない。
イライザとルウェリンの主張をまとめると、皇后クレアがイライザと体を重ねたことがあるという話はきっと事実だ。
そうなると、いくらジェレミーの瞳の色が皇帝と同じだろうと、彼がイライザとクレアの子である可能性も捨てきれないわけで。
たとえクレアが望んでイライザと関係を持ったわけではないとしても、皇帝の血が流れているかどうかわからないジェレミーを皇子として認めるわけにはいかない。
今更その地位を剥奪することはなくとも、ジェレミーを玉座に座らせることはできない。
「これで後継者は兄上に決まりだな」
「そ、そのことで……、明後日には貴族議会が開かれるそうです。それでその……、その前に陛下が少し話がしたいからと晩餐を……」
「わかった」
「あ、あの……」
「キース、何も言うな」
「ですが……」
「ごめん。今は言わないでくれ」
「……はい。すみません」
珍しくジェレミーが懇願するような目を向けるものだから、キースは俯き、口を噤んだ。
(皇帝陛下にお願いをされたら、ジェレミー殿下はきっと断れない)
皇帝はきっと、ジェレミーに身を引くようにとお願いするだろう。
親の愛情が不足しているジェレミーにとって、父親の頼みは断れるものじゃない。昔からそうだ。ジェレミーは家族としてそうする事を望まれたら、自分の意思など関係なく『かしこまりました』と頷いてしまう。
そして、今回の件でより大きくなったジェレミーの血の曖昧さが、彼の中にある劣等感をより大きくしている。
聖女にまで押し上げられたリリアンの隣に立つ資格なんて、自分にはないと思っている。
キースはジェレミーに一礼して静かに部屋を出た。
そしてしばらく無言で歩き、医務室が見えなくなったところで思いきり壁を叩いた。
「くそっ……!」
事件の詳細はまだ民には語られていない。そのせいで民衆の皇室への不満は高まっている。
神殿とその周辺の街は破壊され、それにより怪我をした人も、家を失った人もいる。
生贄になった人々はあの日の出来事を全て見ており、今更保護した彼らの口を封じることはできない。
故に、あの事件をただの事故として処理することはできないだろう。
どこまでを公表するかはまだ分からないが、揺らぎ始めた皇室や教会への信頼は対応を間違えば簡単に崩れてしまう。
だから、国の上層部はリリアン・ハイネを聖女として祀りあげ、未来の皇后として公表するつもりなのだ。
強烈な光を見せて、民の目を問題の本質から逸らし、いち早く事態の収集を図りたいから。
「なんて勝手なんだ……」
せっかく、二人は想いが通じ合えたのに。
キースは声を震わせながらつぶやいた。




