63:聖女爆誕(4)
イライザが呆気に取られているうちに、ルウェリンはリリアンの背後に回った。そして怯えるクレアの手を引き、出口まで急ぐ。
「貴様!!裏切るのか!」
「正しい判断よ、夫人」
「……うるさいわ」
リリアンは二人を追いかけようとするイライザの前に立ち塞がると、大きく息を吸い、手元に意識を集中させた。
そして叫び声を上げながら、両手を広げるように一気に枷を引っ張る。
手枷の鎖がリリアンの血と共に宙を舞った。過度に力を加えすぎたせいか手首は深く切れ、おそらく骨も折れただろう。だが想定内だ。
「……ゴリラ」
「誰がゴリラじゃい!」
何事かと振り返ったルウェリンはあまりにもあり得ない光景に思わず声を漏らした。
誰がゴリラかと返したが、自分でもゴリラかもしれないと思う。
(ダメだわ。心を乱してはダメ)
自分がゴリラか否かなど、今は重要ではない。
リリアンはふうっと息を吐き、呼吸を整えた。
(この出血量……持って10分と言うところね)
出血量が多く、意識を保っていられるのはせいぜい10分ほどだろう。
それまでにイライザと仲間の魔法師を制圧しつつ、黒魔法の発動を阻止して生贄を救うとなると一番効率的な方法は……。
(アレね)
かなり久しぶりに使うが、タイミングさえ間違わなければ問題はないだろう。リリアンは静かに目を閉じた。
「おのれ、ルウェリン!待て!」
イライザは枷を外したリリアンになど目もくれず、クレアを追う。
魔法師たちはイライザに加勢しようと、リリアンに手を伸ばした。
リリアンは彼らの攻撃を浄化魔法で無効化しつつ、イライザの背中に飛び蹴りを食らわせた。
だが、体勢を崩したイライザは受け身をとりながら、それでも尚、クレアを追う。
「クレア……、クレア……!!」
「しつこいっての!」
引き際をわきまえないストーカーには天罰をくださねばならない。リリアンはイライザを追いかけた。
「……今だ!魔法陣を描き変えろ!」
隙をついた数人の魔法師たちが、魔法陣にクレアとイライザの名を刻む。そして、あとは対象者であるクレアの血をこの陣に垂らし、次に使用者であるイライザの血を垂らせば魔法陣は発動するという状態にまでもっていった。
「よし、完成だ!」
「おい!皇后を逃すな!」
魔法師たちはクレアの捕獲を急いだ。
リリアンはそんな彼らを物理攻撃により制圧すると、魔法を用いて高速移動する。
そして一瞬のうちに、イライザの背後に回り込んだ。
「……なっ!?」
「鬼ごっこは私の勝ちね、イライザ」
リリアンはイライザの首根っこを掴むと、魔法陣の方へと放り投げた。
投げられた衝撃で頬が切れたのか、彼の頬から顎を伝い………。
気がつくと魔法陣に一滴の血液が落ちていた。
「うぁああああ!」
耳鳴りのようなキーンという大きな音とともに、地面が揺れた。魔法陣を中心にして神殿が崩れ始める。
苦しみ出す生贄とイライザ。その隙にクレアとルウェリンは祈りの間を出た。
「くそっ!許さん。許さんぞ!!リリアン・ハイネ!!」
イライザは全身が引きちぎられるような痛みに耐えながら、リリアンに手を伸ばす。
だが、リリアンに彼の手は届かない。
「変態クソ野郎はそこで大人しく見ていなさい!」
リリアンは女神像や倒れた柱を足場にして、崩れ落ちた天井の隙間から外へと飛んだ。
どこまでも澄み渡る青空を背に、宙を舞う。
「やっぱり、結構大きいな」
リリアンは上から辺りを見渡し、神殿の大きさを把握した。
そして同時に、帝国軍の旗を掲げた集団を視界の端に捉えた。
(……お父様がいるなら大丈夫かな。うん)
リリアンは心の中で父に後始末を託すと、大きく両手を広げた。
手を広げた反動で、彼女の血液が神殿に撒き散らされる。
「リリアン・ハイネ!貴様、何をした!?」
「知らないの?黒魔法の魔法陣を不完全な状態で起動すれば、周囲を巻き込んで崩壊し始めるのよ。全てを地獄へ引き摺り込むようにね!」
黒魔法の発動条件は使用者の血液。たが対象者であるクレアの血がない状態で、発動すれば不完全な魔法と見做され魔法陣は崩壊する。
リリアンはこの瞬間を待っていたのだ。
「その場にある黒魔法を完全に浄化するには、魔法が発動するタイミングで最上級の浄化魔法をぶつけるしかないからね」
リリアンは宙に浮いたまま、祈るように手を組んだ。
全神経を集中させ、綿密に術を編む。
そして、小さく唱えた。祈りの言葉を。
「主よ、願わくば我に奇跡の力を与え給え。朝日の如き光を持って、全てを白く染め上げよ」
次の瞬間、地響きがピタリと止まり、散らばったリリアンの血液から天に向かって光が伸びた。天へと伸びた光はやがて神殿を、いや帝都一体を優しく包み込む。
「美しい……」
「暖かい」
「なんだこれは」
「聖女様……?」
苦しんでいた生贄たちは内側から全てが浄化されるような温もりを感じ、ただ呆然と空を眺めた。
リリアンの白の軍服と相まって、光の粒子に包まれた彼女の姿はまるで聖女が空から降りてきたようで、その刹那の光景は人々の目に強く焼き付いた。
「3、2、1……浄化完了かな」
辺りを見渡し、黒魔法の気配がないことを確認したリリアンはそこで集中を途切れさせた。
フッと力が抜けた彼女は一気に地上へと落ちる。
だが、彼女の体は地へはつかなかった。
「無茶をしすぎだよ、リリー」
「ジェレミー……?」
リリアンは自分を抱きとめた、この場所にいるはずのない彼を見て驚いたように目を見開いた。
「どうしてここに?」
「嫌な予感がしたからね、全部キースに投げてきた」
「あんまりこき使ってると、田舎に帰ってしまうわよ?彼」
「大丈夫だ。あいつは何だかんだで俺のこと大好きだから」
「ふふっ、間違いないわね」
「さあ、もう休みな。あとは俺に任せて」
「うん、ごめん。ありがとう」
ジェレミーはリリアンの瞼に軽くキスをした。
リリアンは安心したのか、ゆっくりと目を閉じた。
「リリアン……。愛してるよ」
だらんと力が抜けたリリアンをぎゅっと抱きしめたジェレミーは、何ごとかと神殿の様子を見に来た首都警備隊に彼女を託した。
そして振り返り、穏やかに笑う。
死を告げる死神のように冷たいその微笑みに、裏切り者の魔法師たちは命の終わりを覚悟した。
「楽に死ねると思うなよ?」
*
帝都に入り、真っ先に城に向かうつもりだったジェレミーだが、その途中でハイネ公爵家の旗を掲げた軍団を見かけた。
嫌な予感がし、軍団の先頭まで走ると鬼の形相のハイネ公爵がいた。
彼におおよその事情を聞いたジェレミーは、『先に行きます』とひと言残し、他の追従を許さない速度で帝都を駆け抜けて教会まで来たそうだ。
「出る幕がなかったな」
ジェレミーのなけなしの理性により、かろうじて息をしている程度の裏切り者たちを見下ろし、ハイネ公爵はため息をこぼした。
まさか自分が後始末に回ることになろうとは思いもしなかったのだ。
リリアンを連れてさっさと城に戻ってしまった彼を思い出し、公爵は苦笑するしかない。
「成長したな、ジェレミー殿下も」
「そう、ですね?」
公爵の戯言に部下は首を傾げた。
それはそこそこの強さの魔法師をまとめて相手にして、傷一つなかったジェレミーを褒め称えた言葉なのか、それともジェレミーが怒りに任せて奴らを殺さなかった事に対する賞賛なのか、判断ができなかったのだ。
曖昧な反応を返してしまった部下の男はそれよりも、と話題を変えた。
「お嬢様こそ、さすがですよ。あんな広域浄化の魔法を何の下準備もなしに使うだなんて。人々は聖女様が舞い降りたと騒いでおります」
「才能があるからなぁ、うちの誰よりも。だが、多くの人に見られたのは厄介だな」
「なぜですか?」
「聖女のイメージがついては困るだろう。本人はあんな感じなのに」
「確かに」
「それに……」
「それに?」
「……いや、まあいい。それより報告だ」
「あ、はい。まず囚われていた人々ですが、治療施して騎士団に身柄を引き渡しました。事情を聞いた後、今後のことを決めるそうです」
「皇后陛下は?」
「先程、陛下に付き添われて城へ向かわれました」
「聖教国から連絡はあったか?」
「ヨハネス殿下より、聖下がすぐこちらに向かわれるとの連絡がありました」
「そのヨハネス殿下は今どちらに?」
「グレイス家の件は部下に任せ、殿下もすぐこちらに来られるそうです」
「そうか。ではあとはヨハネス殿下と陛下直属の部隊に任せるとしよう」
「……へ?」
ハイネ公爵は腕を鳴らし、肩を回した。
そしてキョトンとする部下に対し、ニヤリと口角を上げた。
「裏切り者どもの話ではエルデンブルクの魔法師がこちらに向かっているのだろう?」
「ああ、なるほど」
「ならば、遊んでやらんとな?」
どういう経緯かは知らないが、このまま戦争になるだろう。
ハイネ公爵は魔法師部隊を引き連れ、公国の魔法師の迎撃へと向かった。




