61:聖女爆誕(2)
巨大な魔法を使用する際に必要となる魔法陣と、明らかな生贄の人々。
魔を嫌う神殿にあってならないものが、そこには揃っていた。
「リリアン・ハイネ。あなたはこの者たちを見捨てていけるのかしら」
「下衆が!」
リリアンは顔を歪めた。
別に、リリアンに彼らを助ける義理はない。おそらく、納税義務も果たしていない浮浪者であろう彼らと、高貴な身分の自分とクレア。命を天秤にかけ、自分たちの安全を優先したところで誰もが責めはしないだろう。
だが、ここで助けを求める彼らを見捨てていけるほど人間として大事な物を捨ててはいないのもまた事実。
「また黒魔法?一体何をするつもり?」
「どうしようか迷っているところ。ここに集めた者たちはね、元々はイライザの呪いを代わりに引き受けるための器だったのよ」
「呪いを、引き受ける?」
「そうよ。イライザはクレアと一緒になるための計画を立てたのだけど、黒魔法の呪いが厄介でね。呪いの影響で本人が長く生きられないんじゃ意味がないでしょ?だから呪いを他人に押し付けて、残りの人生を謳歌する予定だったの。わたしとしても、イライザに早々に死なれてクレアが帝国に戻ってきたら私も困るしね」
「ハハッ……。何言ってんの?そんな都合の良い話、あるわけがない。呪いはそんな軽いものじゃない」
リリアンからは嘲笑が漏れた。
一度受けた呪いは死ぬまで続く。リリアンは魔塔でそう習った。だから黒魔法に手を出してはいけないのだと。
「あなたが知っている魔法だけが全てではないでしょ?現にイライザは16年前、一度目の黒魔法を使用した際に呪いを他人に押し付けているわ。エルデンブルクの魔法師の手を借りてね」
「……16年前?」
「そうよ。16年前、イライザは黒魔法を使ってアルヴィンになりすました。その時に生贄となる人間を必要数の3倍用意したの。そうすると、黒魔法を使用しても、その呪いを余分な生贄に押し付けることができるんだって」
そんなこともわからないの?、とでも言いたげに肩をすくめるルウェリン。
リリアンは大きなため息をこぼした。そして手枷がついたままの腕で、クレアを優しく抱きしめた。
クレアは困惑した様子で身動ぐが、リリアンは自分の胸と彼女の間に彼女が息をできるだけのスペースを確保しつつ、腕で耳を塞いだ。
「それ、本当に黒魔法だったの?」
「……え?」
「幻覚作用のある香を焚いて、幻覚魔法を使えば少しの間だけ他人になりすますことはできると思うけど」
術をかけておいてやっぱり無かったことに、なんてできるほど黒魔法は便利なものではない。イライザのように黒魔法を用いて容姿を変えた場合、それを元に戻すためにはもう一度同じように黒魔法を使わねばならない。
だが、イライザは皇帝アルヴィンになりすました後は普通のイライザとして過ごしていた。
「どう考えても、幻覚魔法を使用しただけでしょう」
リリアンは呆れたようにため息をこぼした。
ルウェリンは彼女の説明に困惑した表情を浮かべる。
「で、でも!生贄を用意して、ちゃんと手順に則って……魔法をかけたわ」
「その瞬間をあなたは見たの?」
「……え?」
「イライザが黒魔法を使った瞬間を、あなたは見たの?」
「み、見てない。でも、イライザは黒魔法を使ったと言っていたわ。術を使った瞬間、意識が飛んで、気がついたら生け贄の人たちが消えていたって言っていたもの」
「ではイライザ本人はその時、生け贄となった人たちが苦しみながら全身の穴という穴から血を流し、徐々に人の形を失っていく様を見ていないのね」
「……何、それ」
「生贄はね、痛い痛いって泣き叫びながらゆっくりと死んでいくの。徐々に体が壊れていくの。でもあまりにゆっくりと崩壊していくものだからそう簡単には死ねなくて、いっそ殺してくれと叫びたくなるほどの苦痛を最低でも丸2日は味わうのよ。実際に生贄になって生き残った人なんていないからわからないけれど、一説によれば体の中を数匹のネズミに食い散らかされるような痛みとかなんとか……」
「……ひっ!」
あくまでもそういう噂があるという程度の話だが、リリアンの発する物騒な言葉の数々に、ルウェリンは悲鳴をあげた。
まさかそんなにも惨たらしい術だとは思いもしなかったのだろう。
しかしだからこそ、黒魔法は術者に呪いをかけるのだ。私利私欲のために他人の命を弄んだ罪を思い知らせるために。
「ふふっ、きっとベルンに成りすました時、彼は驚いたことでしょうね。黒魔法を使った瞬間、本物の地獄を目にしたのだから」
「……そ、そんな」
「でも……、仮にベルンに成り済まして一年ほどが経過していると考えてもよくこれだけ持っているわね、彼。普通なら耐え切れなくて自殺しているはずよ」
「じ、自殺?」
「徐々に瘴気に蝕まれていく体は、どれだけ鍛えられていても内側から少しずつ壊れていく。加えて気を抜けばすぐに生け贄の断末魔の叫びが頭の中を反芻する。眠ろうと目を閉じれば、人間が人間でなくなっていく光景が瞼の裏に浮かぶ。正直、鍛えている彼だからこそここまで持っているだけでしょうね」
リリアンは愉快そうに笑った。余裕ぶったあの男も実はさほど余裕がないはずだ。
「で、でも、じゃああの生け贄達は?私はこの目で確かに見たのよ、生贄として集められた人たちを」
「見ただけでしょう?奴隷として売り捌かれたか、もしくは別の誰かの欲のために生贄となったか……」
「……そんな」
「大枚はたいて生贄を用意したのに、残念ね。いいようにカモにされていたのよ、貴方達は」
「そ、そんなことあるわけないわ!」
「じゃあ、今ここにいる人たちを連れてきた大馬鹿者にでも聞いてみたら?」
彼女の言葉にハッとしたルウェリンは後ろを振り返った。
「エイドリアン!どういうこと!?」
物陰に隠れて様子を伺っていた頭部の淋しい教会の枢機卿エイドリアンは、リリアンを睨みつけると同時にルウェリンを見て嘲笑った。
「愚かな女だ」
そう言った彼はあっさりと白状した。
16年前のことはエルデンブルクの魔法師と結託して、魔法の知識がない彼らを騙していたのだと。
そしてその後も、エイドリアンと一部の枢機卿たちはルウェリンやイライザから金をむしり取れるだけむしり取り私腹を肥やし、生贄として人を集めさせた人間は魔法師を借りた対価としてエルデンブルクへ渡していたのだ。
「裏切ったのね!」
「裏切るも何も、最初から協力などしておらんよ」
怒りに震えるルウェリンをエイドリアンが鼻で笑う。
「むしろ裏切られたと言うのならそれは私の方だ。勝手に帝国の魔法師を巻き込みよって。もう一度エルデンブルクと取引ができると思っていたのに」
「ということは、イライザがベルンになりすました時は魔塔が手を貸したのね」
どうりで見知った顔がこの場にいるはずだ。リリアンは抱きしめていたクレアを解放して立ち上がった。
「今回も金だけむしり取って集めた人間はエルデンブルクに渡すつもりだった、と。フッ、本当にいいカモだったのね、夫人」
「くっ……!」
「まあ、あなた方の目論みはどのみち潰えているわ。さあ、両手を頭の後ろに組んでおとなしく投降なさい」
リリアンは一応、投降の勧告をしてみた。だが当然のごとく、彼らは応じない。
「お前に何ができる?公女様。もう既に、こちらにエルデンブルクの魔法師が向かっている」
「エルデンブルクと結託してここで私や皇后様を殺し、全ての罪を夫人に擦りつけ、自分はエルデンブルクの魔法師と共に公国へ逃れるつもりね。そこの生贄を献上して」
「御明察。さすがですな」
「売国奴が。楽に死ねると思うなよ」
これは戦争になるな、とリリアンはまたため息をこぼした。
戦争になればハイネ家は忙しくなる。この件が片付いたらしばらくゆっくりしたかったのに、とんだ誤算だ。
(エルデンブルクの魔法師が来る前に、お父様が異変に気づいてくださると思うけど)
間に合わなかった場合を考えると、魔封じの手枷は厄介だ。
リリアンはどうしたものかと頭を悩ませた。
しかし、その必要はなかった。
突如としてエイドリアンが奇声を上げて倒れたのだ。彼の背中には短剣が突き刺さっており、白い服には血が滲んでいる。
ルウェリンもリリアンも驚いたようにゆっくりと顔を上げた。
「やはりな、そういうことだったか」
そこには囚われているはずのイライザがいた。




