58:嫌な予感(3)
ジェレミーが首都へと駆け出した日の昼下がり。多種多様な花で彩られた庭園を抜けた先、皇帝の執務室へと続く赤絨毯の廊下でハイネ公爵はグレイス侯爵と鉢合わせてしまった。
「これはこれは、ハイネ公爵閣下。魔塔の調査はいかがですかな?」
わかりやすい作り笑顔でそう話しかけてくる彼に、ハイネ公爵は足を止めることなく同じ質問を返す。
「……そちらの調査こそどうだ?」
「確証はありませんが、各領地で浮浪者が減ったとの報告が上がっています」
「なるほど、生贄はそこから集めていたのか」
「納税の義務も果たさない路地裏の浮浪者が減って得することはあれ、損することはありませんから。報告が上がらなかったのも納得です」
黒魔法に必要となる生贄。それを用意することは簡単ではない。大勢の人が街から消えると騒ぎになるし、逆に少しずつ騒ぎにならない程度に集めると時間がかかってしまう。
その点を踏まえて、イライザは浮浪者に目をつけたのだろう。
「しかし、イライザが一人で浮浪者を集めるのは難しいだろう」
「ええ、つまりは協力者いるということですね」
「心当たりはあるのか?」
「浮浪者の数が減少した地の領主たちは皆、何も知らぬようでした。派閥も様々ですし、卿と一切関わりのない者も多い」
「……となると、一番考えられるのは」
「教会、ですね」
グレイス侯爵は苦笑した。教会は帝国中の至る所に存在し、浮浪者が生き延びるために慈悲を求める先。生贄を集めるのにこれほど適した場所はない。
「それで?魔塔の調査、どうです?」
「どうもこうも、邪魔ばかりしてくる」
「何か詳しく調べられては都合の悪いことでもあるのですかねぇ」
「……さあな」
調べられては困ることがあるから、教会が派遣した調査員たちは邪魔ばかりしてくるのだ。
わかりきったことを聞いてくるな、とハイネ公爵は舌を鳴らした。
そんなつれない態度の彼にグレイス侯爵はやれやれと肩をすくめる。
すると、そういうわざとらしい仕草が鼻につくのだとまた悪態をつくハイネ公爵。これぞまさしく犬猿の仲というやつだ。
ハイネ公爵は昔からグレイス侯爵のすべてが生理的に受け付けない。挑発するようなわざとらしい仕草に胡散臭い笑み。柔らかな話口調の裏に見え隠れする打算。ハイネ公爵からすれば皇帝がいつまでもそばに置いているのが不思議なくらい、腹の底が見えないやつだ。
「陛下もさっさと切り捨てやれば良いものを」
「エイドリアン枢機卿のことですか?」
「……わかっているのに敢えて外してくるあたりが気に食わん」
「はて、何のことやら」
「チッ。…………しかし意外だな。君は教会と親密な関係にあると思っていたよ、グレイス侯」
「私はただ信仰心の厚い信者というだけですよ、閣下。神に仕える身でありながら、エイドリアン枢機卿のように富と権力に目が眩んだ司祭と同じにしないでいただきたい」
「なるほど、勘違いしていたようだ。では君の儂への態度の悪さはやはり、ただ単に儂を嫌っているだけだったか。何かと突っかかってきよって、鬱陶しい」
「突っかかるだなんて、そんなそんな。私はただ、当然の指摘をしているまででございますよ」
「嫌っているというところを否定しないのか」
「私からの好意をお望みで?」
「そんなわけあるか」
「というか、そもそもあなた様もお嫌いでしょう?私のこと」
「ああ、嫌いだな」
反皇室派の貴族たちをコントロールするためなどと理由をつけて、いつの間にか貴族派のトップに躍り出たが、実際は妻の生家のためだと丸わかりだ。女のために信念を歪めた男をハイネ公爵は鼻で笑った。
「グレイス侯!待たせてすまない!」
二人が笑顔で牽制し合っていると、向かいから息を切らせたヨハネスが後ろから走ってきた。
何故か髪は程よく濡れており、シャツのボタンを掛け違え、かつ頬を紅潮させている彼の姿を見て、ハイネ公爵もグレイス侯爵も半眼にならざるを得なかった。
「殿下、昼間から……」
「皇后陛下の宮へ寄るのではなかったのですか、はあ……」
「こんな有事に、呑気なものですな」
「は?何言って……」
「……」
「……」
「………………ち、違うからな」
はじめは二人の態度の理由がわからず怪訝な顔をしていたヨハネスだが、彼らがの言いたいことをようやく察したのか気付けば不愉快そうに眉を顰めていた。
「皇后宮のメイドが水やりをしていたところに通りかかって水を浴びてしまっただけだ。で、湯をもらってきたんだ」
「皇后宮のメイドに手を出したんですか?」
「だから違うって言っているだろう!?不敬罪で城門に吊るしてやろうか、公爵!」
「できるものなら」
「……それをしないのは私の慈悲であり、貴殿に敵わないからではないぞ」
「殿下の慈悲に感謝いたします」
ハイネ公爵は揶揄うように臣下の礼を取った。敬意など感じられない礼だ。やはり娘を婚約で振り回したことをまだ怒っているのだろうか。
ヨハネスはコホンと咳払いをしてこの話を強制的に終わらせた。
「ところで殿下。皇后陛下の宮で娘を見ませんでしたか?」
「リリアンを?見ていないが、どうかしたのか?」
「昨日の朝、皇后陛下の宮を訪れたと連絡をもらったのですが、その夜にはグレイス夫人から今日は泊まるとの連絡が追加でありまして。急に泊まるなど、ご迷惑をおかけしていないか心配で」
「え、泊まったのか?……おかしいな」
「どうかしましたか?」
「客人が泊まっているにしては宮はやけに静かだったし、何より母上は体調が悪いらしく面会できなかったのだが……」
「それは本当ですか?」
「グレイス夫人がそう言っていたのだから、間違いはないだろう」
「妙ですね……」
客人が泊まるとなれば事前連絡があったとしても大変なのに、当日の宿泊となれば宮のメイドは目も回るほどの忙しさに追われることだろう。貴賓室の用意に料理、掃除、あらゆることに気を配らねばなければならないからだ。
にも関わらず、宮の中が静かだというのは少し引っかかる。
加えて、なんだかんだと気遣いができるあのリリアンが、皇后が体調を崩しているというのにわざわざ宮に泊まるだろうか。彼女なら遠慮するように思う。
ヨハネスは腕を組み、難しい顔で考え込んだ。
「……リリアンは母上の宮にはいないのではないか?」
「しかし殿下。儂に連絡したのはグレイス夫人本人ですぞ?まさか夫人が嘘をついたと?何のために?」
「何かそうせざるを得ない事情があるのではないか?リリアンに頼まれたとか……。彼女はイライザの尋問に行ったのだろう?そこで何かを知り、一人で行動しているという可能性も……」
リリアンは阿呆ではないが直情的なところがある。怒りに任せて突っ走ることも珍しくはない。特に今回のように大切な人が害された場合なら余計に。
ヨハネスは顔を上げ、グレイス侯爵を見た。侯爵は何かを察したように頷く。
「陛下への報告は私一人で大丈夫だ。夫人に事情を聞いてきてはくれ」
「かしこまりました、殿下」
「手間をかけてすまないな」
「いえいえ、閣下。ご令嬢の一大事かもしれませんから」
「不穏なことを言うものではないぞ、グレイス侯」
「そうですね。イライザの尋問に失敗してしばらく姿を隠したいだけかもしれませんしね?」
「……おい、喧嘩を売っているのか」
「やめないか、二人とも。昼間っから。侯爵はいちいち一言多い」
「ははっ。これは失敬。では失礼します」
グレイス侯爵はケラケラと笑いながら皇后宮へ向かった。
自分の妻が何をしようとしているかも知らずに。




