56:嫌な予感(1)
キースがジェレミーの元に辿り着いたのは、リリアンとイライザの地下牢に行ってから約30時間後。通常ならあと半日はかかっても良い距離なのに、いくら早馬を使ったとしても化け物並みのスピードだ。
「実は化け物か?」
息を切らせながら到着したキースに、ジェレミーは人外を見るような目を向けた。心外である。
しかしここで言い返したところで時間の無駄というもの。キースは『お前には言われたくない』という言葉をぐっと飲み込んだ。
「……こんなところにいたんですね。せっかく公爵様が邸宅を使えるよう手配してくださったのに」
「事は一刻を争う。野営で十分だ。それに飯はもらったから好意は無駄にしてない」
「そうですか。で?本物のシュナイダー卿は見つかりましたか?」
「いや、怪しいところをしらみつぶしに探している最中だが有力な手がかりは何もないな。魔法師にも確認させたが、魔法使用の痕跡すら見つからない」
「そうですか……」
公爵領は広いが治安は良く、人目につかずに黒魔法を使用できる場所は限られる。
ここはやはりリリアンの言う通り、マクレーン伯爵領から調べる方が早いかもしれないとキースは頭の中で地図を広げた。
ジェレミーはそんな彼を半眼で見つめる。
「……というか、お前は何故ここにいる?リリアンの護衛はどうした」
「そんな顔をしないでください。怖いです。僕はそのハイネ嬢からのお言葉を伝えるためにここにいるんですから、文句ならハイネ嬢に」
「リリアンの?」
「はい。マクレーン伯爵領も調べてほしいとのことです。伯爵への調査協力の手紙はもう送ってます」
「マクレーン?あの皇帝派の地味な男か?」
「ハイネ嬢はマクレーン伯爵というより、グレイス侯爵夫人に目をつけています。彼女の出身はマクレーン家なので」
「ああ、なるほど」
「……あと、一応お伝えしておきますがマクレーン伯爵は皇帝派の皮をかぶった貴族派ですよ。皇帝派寄りの中立派だったグレイス侯爵がいつの間にかあちらの筆頭になったのは彼のせいかと」
「……詳しいな」
「はあ……。貴方が興味なさすぎなんですっ!今の我が国の勢力図は複雑なんですよ?陛下はなんとかバランスを取ろうと苦労しておられると言うのに……」
「仕方がないだろう。どこの派閥に属していようと、俺にとってハイネ家以外は皆んな等しく敵なんだから」
「……そうでしたね」
誰がどの派閥に属していようと、誰がどこと繋がっていて誰が誰を嫌っていようと、ジェレミーには関係ない。何故なら彼にとって、どの家門も自分を否定するだけのやつらだから。
ジェレミーは自嘲するように笑った。
「とりあえずわかった。では伯爵領へ移動しよう」
「はい、そうしましょう。ですがその前に至急、医師の診察を受けてください」
「ん?目のことか?それならもう診察も受けたし、異常なしと言われているぞ?」
「いえ、魔塔の医師の診察です」
「は?なんで?」
「魔法を使ったせいでそうなったのなら、魔塔の医師に見てもらうのがいいとハイネ嬢」
「そうか、リリアンが言うのなら仕方がない。ちょうど医師も連れて来ているし、見てもらってくる」
「……うわぁ、本当だ」
「は?何が?」
「いえ、何でもありません!」
キースの想像よりもずっと素直に医師の診察を受けることにしたジェレミー。
側近の自分の言う事は絶対に聞かないのに、好きな女の言葉は素直に聞くのかという嫉妬と、気難しい主君を簡単に動かせてしまうリリアン・ハイネの偉大さに素直に敬服する気持ちがない混ぜになり、キースはなんとも言えない顔で敬礼した。
*
「これは、幻覚の魔法の類ですね」
夜明け前の静けさの中、自身の天幕でジェレミーの診察をした魔塔の医師は彼の目元に残る魔法の残滓を分析し、彼の瞳に魔法がかけられていた可能性を伝えた。
幸いにも目に異常はないとのことだが、医師は同時に不可解な点がいくつもあることも指摘する。
「殿下。何年もの間その効力を持続させるなんてこと、現代の魔法ではできません。最低でも月に一度は魔法をかけねばならないのですが……、そんなことをされたお心当たりは……」
「ないな」
「ですよね……」
月に一度、誰にも、本人にさえ気づかれず魔法をかけ続けるなんてほぼ不可能だ。何せ、彼は特定の人物と親しくする事がなかったから。
可能性として考えられるのは宮中の使用人が結託して彼が寝ている隙に魔法をかけるという方法だが、このジェレミーが就寝時に枕元に立つ人の気配を察知できないなどあり得ない。
残るは魔法師の一族であり、ジェレミーの唯一の後ろ盾とも言えるハイネ家が関与している可能性だが、それこそあり得ないだろう。ハイネ家の中でもジェレミーに頻繁に会える人間は限られているし、何よりハイネ家は気に入らない相手を潰す時、いつも物理的に潰している。こんなまどろっこしい方法は取らない。
「他に何かわかることはないのか?」
「そうですねぇ……、少し気になる、という程度なのですが使用された術が私の知っているものと若干違っているのです」
「と、いうと?」
「我々魔法師は魔法を行使する際、詠唱しながら術の完成形をイメージするのです。それが術を編むということなんですが、完成された術式は誰が編んでも同じ形をしています。けれど殿下にかけられた術式は我々が使用しているものとところどころ違っていて……。術自体はしっかりかけられているので失敗ということではないと思います。可能性としては新しい術を考案したか、もしくは他国の術式を使用したかかのどちらかかと……」
「他国の……、か」
この国には確かに他国の魔法師が滞在している。滞在理由は留学だったり、ただの旅行だったり、文化交流だったりと様々だが彼らがこの国にいる以上、他国の術式が存在することは自体は不思議ではない。
だだ、その他国の魔法師が帝国の皇子に術をかけるというのはどう考えても非現実的だ。彼らが皇族にお目にかかる機会はそうそうない。
しかし、ジェレミーはふと気がついた。
そういえば毎月通っていた場所がある。そういえばそこで、異国の衣装を着た男に何度かすれ違った事がある。
決して自分の意志で通っていたわけではないけれど、確かに定期的に会っていた人たちがいる。
「まさか、教会……?」
穢れを清めるという名目で司祭たちのサンドバッグにされていたあの日々を思い出し、ジェレミーは乾いた笑みを浮かべた。
まさか、そんなことがあるのだろうか。
「……なあ、教会で魔法の使用は可能か?」
「不可能ではありませんよ。確かに魔の力である魔法と神聖な教会は相容れないものなので、規則としては教会敷地内での魔法使用は禁止です。ですが、規則を無視するなら普通に使えますよ。まあ、そのあとは宗教裁判にかけられて最悪の場合は処刑ですけど」
「そうか……」
教会の人間はいまや富と権力に目が眩んだ者ばかりだが、それでも腐っても聖職者。原則を破って魔法を使っていたとは考えにくいが、ジェレミーにはそれ以外に心当たりがない。
ジェレミーはすぐにキースを呼んだ。
「キース。リリアンは教会について何か言っていたか?」
「いえ、特に何も……」
「本当に?」
「……」
「では、他に何か言っていなかったか?イライザに会ったのだろう?」
「あ、会いました……」
「何か情報は得られたか?」
「それは……」
「まさか、収穫ゼロなのか?そんなわけないだろう?あのリリアン・ハイネが牢に囚われた老いぼれ相手に何も聞き出せないなんて、そんなわけがない」
「……」
「罪人には容赦がないのがリリアンの良いところだ。そうは思わないか?キース・クライン?」
ジェレミーは目を細めてジッとキースを見つめる。キースは冷や汗を流しながら、『余計なことは話すな』というリリアンとの約束と自分の命を天瓶にかけた。
そしてグッと目を瞑り、心の中でリリアンに謝った。やはりどうしても死にたくはないらしい。
「……全部お話しします」
「よろしい」
キースはリリアンに口止めされたことを全て吐いた。
きっと帰ったらリリアンによるお説教が待っているだろうが、主君よりは優しいと信じたい。




