54:初恋だった(2)
アルヴィンは自身の護衛であるイライザだけをその場に残し、近くにいた兵を下がらせた。そして、
『どうした?大丈夫か?疲れているのか?』
と、苦笑しながら返した。
おそらくは信じられなかったのだろう。優秀で信頼している幼馴染が、夜分遅くに皇帝の寝室を訪れるなんて無礼な真似をするわけがないと思っていたから。
『あー……、もしやクレアに何かあったのか?』
ルウェリンの言葉の裏にある真意を必死に読み取ろうとする彼。ルウェリンはその言葉に唖然とした。
どうしてそんなことを言うのだろう。どうして自分と愛し合おうという話をしているのに、あの女の名前が出てくるのだろう。
その夜、ルウェリンは彼に触れられることなく、イライザに連れられて自室へと戻された。
翌日から、イライザはクレア付きの護衛となった。表向きにはクレアの妊娠が発覚したからという理由だったが、おそらくはルウェリンの監視のためだろう。
クレアがルウェリンを慕っているため、アルヴィンは彼女の処分を保留にするかわりに、自分が一番信頼する騎士を妻のそばに置いたのだ。
そしてその上で、ルウェリンには縁談が持ち込まれた。
相手は若くして宰相を務めるグレイス侯爵。ルウェリンの父であるマクレーン伯爵はこの縁談を『陛下の推薦だ』と説明した。
クレアの侍女として城に務めるせいで今期を逃していたルウェリンに対する詫びとして、アルヴィンは行き遅れの彼女には分不相応な男を充てがった。
伯爵はこの縁談を大層喜んだが、もちろんルウェリンは素直に喜ぶなどできるはずもなかった。
だが、流石にもう理解はできた。
---アルヴィンは私を必要としていない。
そのことに気づいてしまったルウェリンはただ笑うしかできなかった。
心は同じだと思っていたのに、どうしてこうなってしまったのだろう。私たちはどこで間違えてしまったのだろう。
そんな考えが頭の中をぐるぐると廻る。考えても仕方がないことなのに、考えずにはいられなかった。
『結婚おめでとう』
気がついたら、ルウェリンは教会で好きでもないグレイス侯爵との永遠の愛を誓っていた。
結婚式当日、笑顔で祝いの言葉をくれるアルヴィンの残酷さに心を痛め、何も知らずに自分のことのように喜ぶクレアの純粋さに怒りを覚えた。
----ああ、もうどうしようもないのだ。痛い。心が痛い。
このままでは自分は壊れてしまう。絶望の淵にそう感じたルウェリンは、ようやくアルヴィンを諦る決心をした。
今なら侯爵夫人としての務めに専念するためと言って侍女を辞められる。彼から離れるにはちょうど良いタイミングだった。
しかし、予想外のことが起きた。
自分の監視のためにクレアにつけられたイライザがクレアに恋をしたのだ。
彼は誰にも気づかれないように気をつけていたが、同じ痛みを抱えているせいか、ルウェリンにはすぐにわかった。
護衛についてまだ日も浅いのにあの堅物のイライザが心を奪われるとは、
----そうか、クレアはとんでもない悪女なのだ
ルウェリンはそう確信した。
きっとアルヴィンもイライザもクレアに誑かされたのだ。そうでなければ、アルヴィンが自分を拒絶するはずがない。
純真無垢な少女のような顔をして、とんでもない毒婦だ。
騙されているアルヴィンを救ってやらねば。
一度消えかけた彼への想いが再燃したルウェリンはそのままクレアの侍女を続けた。
そこからの彼女は慎重にかつ巧妙に動いた。
クレアに警戒されぬよう彼女への嫌悪感をうまく隠し、アルヴィンに勘付かれぬよう溢れそうな恋心を必死に抑え込み……。そして主人への忠誠と許されぬ恋の狭間で揺れるイライザにゆっくりと、しかし確実に近づいた。
イライザの説得には随分と時間をかけてしまったが、第一皇子が産まれて5年後、ついにその時が来た。
イライザはルウェリンの協力の元、黒魔法を用いてアルヴィンになりすまし、クレアの寝室へと忍び込んだ。
クレアは事前にルウェリンが焚いていた幻覚作用のある香の効果も相まって、彼を夫と認識し、素直に彼に抱かれた。
そして翌朝、目が覚めたクレアは隣にいるのが夫ではないことに気づき、発狂した。
ルウェリンはクレアの慰め落ち着かせつつ、すぐにアルヴィンに報告した。イライザの名を伏せ、朝にクレアの寝室を訪ねたら見知らぬ男が彼女の寝室の窓から飛び降りるところを目撃したと。
クレアの様子とルウェリンの報告でアルヴィンはすぐに彼女が他の男と通じたのだと悟った。
これでクレアは終わりだ。きっとアルヴィンはクレアの裏切りを許さない。妻の裏切りに心を痛めた彼は妻を処刑するはず。
ルウェリンの計画ではこの後、姦通罪により処刑されるはずのクレアをイライザが助け出し、彼らは共に隣国へと逃げる。そしてルウェリンは傷ついたアルヴィンにそっと寄り添い、彼の心を癒し、彼の愛を取り戻すというシナリオだった。
けれどその計画は上手くはいかなかった。
アルヴィンはこの事実を隠蔽しようとしたのだ。
彼はすぐに侵入者を見つけ出し、殺すよう伝え、ルウェリンとイライザを含めた皇后宮の人間に箝口令を敷いた。
今後、今朝見た光景についてひと言でも口にしたものは容赦なくその首を切り落とすと宣言するアルヴィン。
ルウェリンはそんな彼を見て、これでも彼の目は覚めないのかとまた絶望した。
もう打つ手はないのか、イライザもルウェリンを頭を悩ませた。
そんな中、2人に好機が訪れる。クレアが妊娠したのだ。
時期的に、胎の子はイライザの子がアルヴィンの子かわからない。ルウェリンはこのチャンスを逃さなかった。
『お腹の子があの見ず知らずの男の子でも、私はクレア様のことを見捨てません』
『大丈夫です。たとえお腹の子が陛下との子でなくとも、陛下はきっと悪いようにはなさいません』
優しい言葉のようで、あくまでも胎の子が不義の子であることを前提とした慰め。クレアはルウェリンの言葉に取り乱し、なんとか妊娠を終わらせよくと画策した。
しかしそれはイライザにより阻止され、彼女は南の離宮で2人目の子を産んだ。
瞳の色からして産まれた子はアルヴィンとの子だったが、ルウェリンにはどうでも良かった。
幸いにも顔立ちや肌の色、髪の色はどことなくクレアに似ていたから、瞳の色さえどうにかすれば不義の子として主張できたからだ。
この世に、自分の血を引かない皇子が誕生してしまったのだ。これでもう、アルヴィンはクレアの不義を認めざるを得ない。
ルウェリンは生まれてきた皇子を抱きながら静かにほくそ笑んだ。
そしてルウェリンの目論見通り、教会は第二皇子を皇族として認めず、これでクレアはもうこの国にはいられない。そう思った。
だが、アルヴィンはルウェリンの想像をはるかに超えて諦めが悪かった。
ありとあらゆる理由をつけ、決してクレアの姦通を認めようとはしなかった。
たとえ周りが何を言おうとも、彼自身が妻を罪に問わないのならどうすることもできない。
ここまでクレアに執着するとは思わなかったルウェリンは完全に打つ手を無くした。
彼女の愛した彼は、もう完全に悪女の毒に侵されてしまったのだ。もう救いようがないのだ。
***
「ここまで頑張っても無理なら、もう手遅れでしょう?私はアルヴィンを救い出すことはできなかった……」
ルウェリンは悲痛な表情でそう呟いた。過去の辛い日々を思い出さしたのか、目尻にはうっすらと涙が浮かんでいる。
リリアンは長々とした昔話を聞きながら、もう冷めてしまった紅茶を眺めた。
「私もね、もうそこで諦めてしまおうとしたのよ?でも今度はイライザの方が諦めきれなくなってしまったみたいでね。彼はクレアの護衛を離れてからもずっとどうにか彼女を自分のものにできないかと考えていたわ。…….で、ある日彼はとっておきの魔法を見つけてきたの。それはもう本当の本当に最終手段なのだけど、彼があまりにも必死に協力してほしいと頼み込むものだから、私は手を貸したわ」
もしイライザが皇后クレアを手に入れることができれば、皇帝アルヴィンの隣は空席となる。そうなれば自分がそこに収まってやらなくもない。
ルウェリンは尊大な態度でそんな妄言を吐いた。
リリアンはとうとう耐えられなくなったのか、呆れたように大きなため息をこぼす。そして静かに息を吸い込み、言葉と共に勢いよく吐き出した。
「………きっっっしょ!?」




