44:失恋
「ちょ……!?待って、リリー……んん!?」
息継ぎの合間、言葉を発そうとしたジェレミーの唇を何度も塞ぐリリアン。
令嬢たちは両手で目を覆いながらも、指の隙間からしっかりと二人の熱く艶かしいキスを見ていた。
そして、彼女たちの中の誰かがボソッと呟く?
『あれ、舌入っていますよね?』
その声が耳に届いたジェレミーはリリアンの肩を掴み、自分から引き剥がした。
「入ってないっ!!」
耳まで真っ赤にしたジェレミーが力強く否定する。
いつも澄ました顔をしている第二皇子のこんな表情は初めてだ。
観衆は彼につられて顔を赤くした。まさに見てはいけないものを見てしまった気分である。
「ちょっと!ど、どどどどうしたのさ、リリアン!」
「愛しているわ、ジェレミー。私は貴方だけを想ってる」
「ふ、ふぇ!?」
攻めるのは得意だが、攻められるのは慣れていないジェレミーはただただ慌てふためくことしかできない。
リリアンは少し背伸びをしてジェレミーの耳元に唇を近づけると、『好きよ』と囁いた。
ジェレミーは息を吹きかけられた耳を抑え、口をパクパクとさせる。
何か言ってやりたいのに、言葉が出てこない。
やけに艶っぽく、恋愛化石と化していた女とは思えないほどに妖しげな笑みを浮かべたリリアンは、そんな彼に背を向けてヨハネスたちの方へと向き直った。
こちらはダニエルだけが顔を真っ赤にしており、ベルンハルトとヨハネスの顔は逆に青かった。
「リ、リリアン……。こんな往来でそんな事は、その、やめた方が……」
「だって、誰も私の言葉を聞いてくださらないんだもの。ならば見せつける方が良いかなーっと」
もっと見せつけた方が良いかしら、とそう言ってリリアンは目元を細めた。
ヨハネスが癒されていた青の瞳。庭園に咲く青薔薇のように鮮やかで優しいはずの青が、今日は獰猛なほどに強く光る。
「あ……」
ヨハネスはふと、思い出した。彼は彼女のこの目を、過去に何度か見たことがある。
あれは確か、魔獣討伐に向かう時。ハイネ家を馬鹿にするような声が聞こえた時。あとは……、そう。ジェレミーの陰口が聞こえた時。
「は、はは……。気づかなかったよ」
ヨハネスは少し泣きそうなった。
今までずっと、ジェレミーが馬鹿にされると、彼自身も同じように怒っていたから気がつかなかった。
リリアンがこんな風に怒るのは昔からヨハネスの大事な弟が絡んだ時で、ヨハネス自身のことを言われた時ではなかった。
「何だよ。はじめから負けていたのか……」
自覚がなかっただけで、彼女の心はずっと弟の方に向いていた。
ヨハネスはそれを、『自分の弟だから可愛がっているのだ』と思い込んでいた。
突きつけられた現実に、悔しさと恥ずかしさが込み上げる。
「悪かった、ハイネ嬢。私がどうかしていたようだ」
「ご理解いただけて嬉しいですわ、ヨハネス殿下」
「皆の者も、騒ぎ立ててすまなかったな。私の軽率な行動があらぬ誤解を生んでしまったようだ。だが、心配はない。二人はこれほどまでに思い合っている。まあ、往来でこうも堂々と見せつけられると城の風紀が乱れるから、控えてくれると嬉しいがな?」
ヨハネスは観衆を見渡し、弟とその婚約者の噂は誤解だと明言した。
先ほど視覚的に見たリリアンの大胆すぎる行動にヨハネスの言葉が合わさり、皆顔を見合わせて『ヨハネス殿下がそうおっしゃるのなら』と納得した。
ベルンハルトだけが、悔しそうに顔を歪めていたが知ったことではない。リリアンは勝ち誇ったように、彼の方を見て、ふんと鼻を鳴らした。
「さあ、解散だ。こんな場所で集まっていては通行の妨げになるからな」
ヨハネスが手を叩き、解散を促すと、観衆は首を傾げながら散り散りになっていく。
少し騒ぎを大きくしすぎた気はするが、皇帝に報告するほどでもないだろう。
ヨハネスはジェレミーの方を見て、困ったように笑った。
「悪かったな、ジェレミーも。私は勘違いしていたようだ。お前がリリアンの嫌がることなど、するはずがないのに」
「兄上……」
「でも良かった。二人の関係がそこまで深くなっているなんて思わなかったよ。おめでとう、ジェレミー」
「ありがとう、ございます……」
リリアンの『好きになる努力』は実を結んだらしい。
ジェレミーに近づいたヨハネスは、いつもみたいに弟を可愛がるふりをして思い切りその黒髪を撫でた。
ジェレミーはその手がいつもよりも強く、微かに震えているのを感じた。
おそらく、悔しいのだろう。彼も同じ女を想っていたようだから。
「……あの、痛いです。兄上」
「私の愛だ、受け取れ」
「え、いらない……」
「なんだと!?」
「ふふっ。仲良しですね」
「ははっ。まあな!」
「……」
兄弟が戯れるのを嬉しそうに見守るリリアンを横目に見て、ジェレミーは足元に視線を落とすと、フッと笑みをこぼした。
本当に鈍いな、と。
あのヨハネスが、普段は確信の持てない噂や人伝に聞いた話をそう簡単に信じたりはしないはずの兄が、先走った行動取ったのはどこかでそうなって欲しいと思っていたからだ。
でも、リリアンはその理由に気づいていない。
そして多分、ヨハネスも伝える気はないのだろう。
ジェレミーは頭の上にある兄の手を払い、彼の顔を見た。
今の彼の表情は、弟のため、飲み込んだ言葉を必死に消化しようとしてくれているような顔だ。
ジェレミーはその事に罪悪感を覚えつつも、申し訳なさそうに小さく呟いた。
「ごめん、兄上。ありがとう」
「何がだよ、馬鹿」
「何となく言いたかっただけ」
「フッ。そうか」
唐突に謝ってくる弟の上目遣いが、その昔、兄の本にお茶をこぼしたことを謝りに来たときと同じような顔をしていた。
そのせいか、なんだか弟がより可愛く見えてしまい、ヨハネスは少しの悪戯心で彼の頬を引っ張った。
そしてようやく気がついた。
弟の瞳に父の面影があることに。
「な、おま………なぁ!?」




