43:どいつもこいつも
それはまるで魔獣討伐に向かう魔法師の如く。
激しく殺気立ちながら王宮を闊歩する噂のご令嬢リリアン・ハイネに、メイドだけでなく名だたる大貴族や政府高官までもが自然と道を開けた。
彼女の行く末を阻んでは命がないと、本能的にそう察したのだろう。これは生物としての生存本能に近い。
「……あれ、ハイネ嬢よね?」
「ち、違うわよ、きっと。あの方はとても穏やかで優しい方だもの」
「いや、どう見てもリリアン様ですわ」
「……とても怖いのだけれど、何か怒っていらっしゃるのかしら」
「あの方が怒る事なんてありますのね」
「そういうば、先程第一皇子と第二皇子がハイネ嬢を取り合い、乱闘騒ぎを起こしたと聞いたわ」
「まあ!そんなことが?」
「ではやはり、ジェレミー殿下がお二人の間に割り込み、リリアン様を奪ったというのは本当なのですね」
「お可哀想に」
「人のものを奪うだなんて、さすがというべきかしら」
「そういえば、グレイス侯爵夫人もヨハネス殿下とリリアン様の婚姻が台無しにされたとかお怒りだったわ」
「まあ……」
去っていくリリアンの背中を眺めながら、ひそひそとそんな話をする貴族令嬢たち。
扇で口元を隠しつつも、そのスキャンダラスな噂に目元が醜悪に歪んだ彼女たちは、ジェレミーを悪にヨハネスを勇者にした安っぽいロマンス小説を捏造しては盛り上がる。
だから気がつかない。先ほど通り過ぎたはずのリリアンが背後にいることを。
「不敬ですよ、レディ?」
聞き馴染みのある声なのに、その声色はかつて聞いたことがないほどに冷たく冷え切っている。
令嬢たちは振り返ることができない。
「リ、リリアン様?」
「かつて不敬罪の罪に問われた方は、妻と仲良く城門にぶら下がっていたと聞いたことがあります」
「ヒッ……」
「こんな往来でそんな有りもしない妄想話をするものではないわ」
「も、申し訳ございません」
この国における不敬罪は皇族の匙加減で罪の重さが決まる曖昧な刑罰だ。明確な規定がないため、今の皇室はあえてこの罪状で誰かを咎めたことがないが、出来ないわけではない。
ずっと臣下たちの無礼な態度を黙認してきたジェレミーとて、誰に咎められる事もなく、この無礼なご令嬢方を殺すことができるのだ。
暗にそう言われた令嬢は硬直したまま、ただひたすらに謝り続けた。
「リリアン!」
そんな事をしていると、リリアンの姿を見たヨハネスが心配そうな顔をしてこちらに駆けてきた。しかも彼が連れているのはダニエルだけではない。ベルンハルトもいるではないか。
なんとタイミングの悪い。確かにベルンハルトを探してはいたが、こんな往来ではろくに怒りをぶつけることも出来ない。
逃げるように後ろに下がる令嬢たち横目に、リリアンは小さくため息をこぼした。
「ご機嫌よう、ヨハネス殿下。先程は失礼いたしました」
「いや。こちらこそ、その、悪かった。色々と」
なんとも歯切れの悪い口調。二人の間に流れる空気がどれほど気まずいかがわかる。
(どうしようかしら)
集まる視線。囚人監視のこの状態のおかげで、頭に血が昇っていたのに、一気に怒りが冷めたように冷静になれたリリアンは目を伏せて考えを巡らせた。
(とりあえず、場所を移したいけど……)
今ここでヨハネスと消えれば、噂は真実なのだと、また噂が立つ。
かと言ってベルンハルトをこのままにしておく事はできない。何を企んでいるのかは知らないが、お灸を据えてやらねばならない。
(と、なると……)
リリアンは顔を上げ、ベルンハルトの方を見てニコッと微笑んだ。
「シュナイダー卿。良かったわ、探していたの。ジェレミー殿下がお呼びよ?私と一緒に殿下のところへ行きましょう?」
ベルンハルトのみをこの場から連れ出し、裏でボッコボコにする。それが最良の選択だと、リリアンは結論づけた。
ベルンハルトも、人好きなする笑みを浮かべ、『自分も第二皇子宮に戻ろうとしていたところだ』と返した。
(よし。このまま近くの厩舎裏にでも連れて行こう。そして根性を鍛え直してやろう)
リリアンの拳に力が入る。リリアンはヨハネスに頭を下げると、ベルンハルトに『行こう』と言って歩き出した。
しかし、ここで素直にリリアンに従うベルンハルトでもなく……。
「リリアン。どうして服が汚れているの?裾の方は皺になってるし……」
急に幼馴染の距離感で話しかけてくるベルンハルト。
彼の指摘に、リリアンは自分のドレスを確認する。
たしかにドレスは少し汚れていた。おそらくは先程、ジェレミーの部屋で彼にお仕置きをした時のものだ。
(全然気が付かなかったわ)
そういえばあの後。ジェレミーと想いを確かめ合うみたいに『好き』を連呼していた気がする。
恥ずかしいくらいに、何度も何度も。
ふと、その事も同時に思い出してしまったリリアンは、一気に顔を赤く染め上げた。
彼女のその表情に、ベルンハルトはにいっ、と口角を上げた。
「……ジェレミー殿下に何かされたのか?」
「へ?」
「まさか、無理矢理……」
そこまで言って、ベルンハルトはわざとらしく手で口元を抑える。
リリアンは彼の目元が細くなるのを見て、気づいた。
(しまった!)
こんな所でそんな意味ありげなことを言われては……。
リリアンはヨハネスを見た。すると、彼のエメラルドの瞳が怒りと嫉妬に揺れる。
「リリアン。陛下のところに行こう。私たちが悪かった。今すぐにでも婚約を解消するよう、陛下に……」
「はい?」
「私はジェレミーを信用し過ぎた。まさか君に乱暴するなんて思ってもみなかったから。すまない」
「ら、乱暴なんてされてませんわ!誤解です!」
むしろ、乱暴したのはこちらの方なのだが。リリアンは慌てて否定した。
だが噂話を信じている周囲も、その噂が本当であることを望んでいるダニエルも、ヨハネス本人でさえ、リリアンの言葉に耳を傾けない。
彼女の言葉を『リリアンは優しいから、ジェレミーを庇っているだけ』と勝手に解釈して、彼女の本心を理解しようとしない。
「ベルンハルト・シュナイダー……。何を企んでいるの?」
リリアンはベルンハルトを睨みつけた。しかし、彼はほくそ笑むだけで何も答えない。
何が目的なのか。ヨハネスとリリアンを婚約させたいというよりも、ジェレミーとリリアンを引き離したいという意図が働いているように思う。
けれど、それをして彼に何の得があるというのか。
ベルンハルトはハイネ家の傘下であるシュナイダー伯爵家の人間。個人的な怨恨の可能性も考えられるが、ジェレミーとベルンハルトには、彼が騎士団に入るまで接点はなかった。
「ベルン、答えて」
「リリアン。ヨハネス殿下が全部解決してくれる。君は殿下の元で幸せになるんだ。ジェレミー殿下のそばにいちゃいけない」
「どういう意味よ!」
「リリアン、心配しなくて良い。早く陛下の所へ行こう」
ヨハネスはベルンハルトとの会話に割り入り、リリアンの手を引いた。その手を引く力は強く、少し痛かった。女性の扱いに慣れている彼らしくない強引さだ。リリアンはその手を振り払った。
女性に手を振り払われた事などない彼は目を丸くして、自分の手を見つめる。
「嫌です。行きません」
「……リリアン?」
「誰がジェレミー殿下との婚約を嫌だなんて言いました?私はそんな事、一言も申し上げてはおりません。妄想で勝手に人の気持ちを決めつけないで」
鋭い眼差しでヨハネスを見据えるリリアン。ヨハネスはその強い眼差しに気圧される。
「リリアン……」
「ヨハネス殿下、私はジェレミーと結婚します。これは私の意思です。誰に強制されたわけでもない、紛れもない私自身の意思よ」
リリアンはハッキリとそう言い切った。しかしまだヨハネスは納得できないというような顔をしている。
おかしな話だ。お前が自分で手を離したくせに。ふと、そんな事を思った。
「リリアン様、ヨハネス殿下は貴女を想って……」
「黙りなさい、ダニエル・ミュラー。あなたの意見など聞いていない」
第一皇子と名門ハイネ公爵家の令嬢との会話に割って入る権限など、一介の騎士ごときにはない。リリアンはダニエルの言葉をぶった斬った。
すると、リリアンの視界の端にジェレミーの姿が映った。
(どいつもこいつも、人の話を聞き入れないのなら……)
態度で示してやるしかない。リリアンはジェレミーの名を呼び、彼の下に走り寄った。
「リリアン!」
リリアンを見つけたジェレミーは主人を見つけた犬の如く、顔が綻ぶ。
「人だかりが出来ていると思ったら、リリアンが原因?」
「まあね。それよりジェレミー。もう少しこっちに寄って」
「ん?どうし……え?」
リリアンに顔を寄せたジェレミーは、いきなり彼女に胸ぐらを捕まれた。
つんのめりながらも足に力を入れて体を支える彼に、リリアンは小さく『ごめんね』と呟くと『危ないだろう』と反論する余地も与えず、その口を強引に塞いだ。
その一瞬でその場にいた観衆が湧く。
何が起こったのか理解が追いつかないジェレミーは目を丸くした。
「……んんんん!?」




